第13話 君に好きだと言えばよかった②

これは…………なに? 何が起こった?

王太子を見た。

恐ろしいほど場違いに、笑みを浮かべる美しい顔。

胸から生えたそれは背後からトゥエリクを貫いたまま、なおもゆっくりと動き、ぬらりと血液に濡れた鋭利な先端がずるずると王太子に向かって伸びていく。

胸が詰まり呼吸ができない。

唐突に悟った。……これは、致死の痛みだ。


「博識のカルゴーダ先生でも、これは、ご存知ではないでしょう」


 恍惚と歪む笑み。

 何故だ? トゥエリクの疑問が痛みに呑み込まれていく。急激に現実味を失う世界。解に辿り着くには絶望的に時間が足りない。それでもトゥエリクの意識は、ただ問うた。何故だ? あの本に、何がある?

 その時、背後のドアが派手な音を立てて勢いよく開いた。


「エリ先生ッ」


 トゥエリクをそう呼ぶのは一人しか居ない。消えかけた意識が引き戻される。恐怖が初めて、トゥエリクを襲った。この痛みを彼女にも負わせるのか。


「か、火事ッッ……!? せんっ…せ……」


 迫りくる痛みに負けるよりも先に振り向こうとしたが、体が上手く動かせない。持てる限りの力で体を捻り、左手を伸ばした。


逃げろ


 込み上げてくる血が喉につまり声が出せなかった。それでも声を出したかった。ほんの一言でいい。これで最期でいい。言わなければ―――

 

逃げろ


 アージネアが呆然と、応えるように左手を伸ばした。

 指先が触れあったのかは分からない。アージネアの背後に吹き上がった炎が、その姿を呑み込み、激しい閃光と衝撃がすべてを吹き飛ばした。




消えていく意識は、最期に幻を見た。


夜の広場をほんのりと照らす幻想的な色とりどりのランタン。

きらきらと光り輝く世界。


隣には君がいる。


思い出すのは、いつも胸に本を抱えている姿。可愛らしい眼鏡。

はにかんだように笑う。


ああ……君に、――――君に好きだと言えばよかった





****






「あれ? ばあさん、あのご自慢の品が無いけど、どうしたんだい? あの、ラピスラズリの逸品さ」


 商品を一つ一つ検めて箱にしまっていたネリが、ふと声をかけた。


「誰が、婆ァだって?」


「あーはいはい、オウラ。ごめん、て。あれ、随分大事にしてたじゃないか……まさか! 夕べ店じまいのときにしまい忘れた? 落っことしてないよね!?」


「騒ぐんじゃないよ、忘れても落っことしてもない。あれは売った」


「売った!? いくらでさ? 誰にも売らないんじゃなかったの?」


 売値を言えば『なんでまた、そんな馬鹿みたいな安値で!!』と、娼婦上がりで金勘定にうるさいネリが怒り出すだろうから、オウラはそこは濁して「石が言うからさ」とだけ答えた。


「う……えぇぇ?? 希代の大占星術師オウラ・マージョがそんな理由で石を売るって、ちょっと怖いんだけど!? やばいもんでものかい?」


「そんな呼び方をするんじゃないよ。今じゃ、しがない露天商の婆さんだ」


「自分で婆さんって言っちゃってんじゃん……オウラが売ったならそれでいいけど、あれは元々は由緒あるなんたらって言ってたじゃないか。ありがたいご利益があるんだろ?」


「ああ、そうだよ」


「じゃあ今頃は、あれ買ったお客には破格の幸運が降りるんじゃ……」


 さすがにネリは、長い付き合いでオウラの扱う石の意味を理解しているだけに、少し不安そうな顔をした。『破格の幸運』などというものには、その反動があるのを知っているのだ。


「破格の幸運くらいで足りりゃあいいけど」


「え?」


あんなもんで、あの子らが凶星まがつぼしから護られればいいが」


 オウラの呟きに、ネリはそれ以上何も言えなかった。見も知らないお客の身を密かに案じながらも、深く溜息をつくオウラを急かして荷造りを急ぐ。救世の女神ホノの祝祭日は終わった。街道への門が開くのを待って朝一番に王都を出立し、快楽伯領の商都マデリカ・クラベリカへの帰途へ就くのだ。

 夜には寝床にしている荷馬車に、すっかり荷物を積み終えたことを確認して、二人は御者台に並んで座り、馬に軽く鞭を入れた。


「ほら、帰るよ」


 ネリの声に、馬はゆっくりと歩きだした。


「そういや、ずいぶん前に珍しい髪の色をした娘を王都ここまで送ってきたことがあったよね。藍晶石みたいな娘さ」


「なんだい急に」


「なぁに、オウラが『石が言う』なんて言うから思い出したんだよ。あの娘、元気にしてるかねぇ」


「どうかねぇ……星読みなんて碌なもんじゃない。ちょっとばかし先のことが見えたところで、余計なことさ」


「あの娘、白の辺境騎士団領の騒ぎがあった時だから……あー……もうあれ、二十年も前になるのか。あの辺も、そろそろ街に人が戻ってるようだけど、次の祝祭日には行ってみようかね?」


「いや。やめておきな、ネリ」


「まだ駄目?」


「あんな土地へ戻るもんじゃない。しばらくはこっち商都で大人しくしてな」


 馬車はゆっくりとだが確実に、王都から、王都の災厄から二人を遠ざけていった。朝早くに門を出たおかげで、二人はその後の騒動には巻き込まれることはなかった。

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