第11話 きらきらと光り輝く未来④ アージネア

「わぁ……」


 ピアスの穴もなく、いつも首元まで襟を留めリボンを結んだ上衣に、きっちりと編み込んだ三つ編みを後ろでまとめているアージネアには、装身具といえばトレードマークの眼鏡しかなく、アクセサリーには縁遠い。それでも、様々な天然石をあしらい色とりどりに並んだネックレスやピアス、指輪や髪飾りはどれも美しく、微かな乙女心に訴えるものがあった。


「そうだねぇ、お嬢さんには、こんなのはどうだい?」


 客商売の長そうな露天商の老婆は、さすがに一目でアージネアの趣味を見抜いたようで、台の上に並んだブレスレットを薦めた。ブレスレットならば確かに、普段の装いを邪魔しない。細い鎖や革紐のもの、鮮やかな色彩の飾り紐のもの、どれも小さな天然石が組み合わされている。

 その中で、見たことも無いほど深く鮮やかな青の石と、光を纏いながらほんのりと透き通る石をあしらった、凝った意匠の飾り紐に目がとまった。


「きれい……」


「おや、お目が高い………それは古い古いお守りから組み直した由緒ある逸品だよ。邪悪を払い幸運をもたらす聖なる石だ。飾り紐には古いまじないの言葉が編み込まれていて……」


 と、言いかけて老婆は、今日が救世の女神ホノの祝祭日と気づいたのか慌てて「そうそう、それに、救世の女神ホノ様に祝福された、それはそれはありがたーい満願成就のぉ…」と続けたが、トゥエリクが愉快そうに笑い遮った。


「古いまじないとは丁度いいねぇ。これにしよう! これ一つください」


「え!? いえっそのっ欲しいわけじゃなくて…」


「え? 別なのがいい? もうちょっと違うのも見てみようか?」


「いえいえいえいえ、そうじゃなくって! もちろん一番きれいで好きな感じで…」


「一つでいいのかい? 困ったねぇ、これは元々二つ一組で…」


 おばあちゃん、商売巧すぎッ!?


「じゃあ、二つください」


「えぇぇぇぇ!?」


 アージネアが慌てている間に、あれよあれよと支払いが済み、老婆の温かく柔らかい手によって一つはアージネアの左手首に、片割れはトゥエリクの左手首に巻かれたのだった。


「あの、エリ先生、あの……」


 帰り道を並んで歩きながら、なおも真っ赤になって恐縮しているアージネアにトゥエリクが言った。


「今日の終わりは思いがけず素敵なものになったよ。アージネア・イアージョという後世に名を遺す偉大なる歴史家の生誕を祝うことができたのだからねぇ。その才能を神官に持っていかれずに済んで本当によかった。神に感謝しなくては」


「そっそそそそそんな!!」


「『そ』って何回言うんだい? 誕生日おめでとう」


 その後、家に着いてからも目はぐるぐる回り顔も真っ赤に火照って何も手につかなかったのだが、はたと我に返ったのは、きちんとお礼も言えず、トゥエリクの誕生日も聞きそびれたことに気づいたからだ。彼女はやっぱり、うっかりだった。




 ぼんやりと左手首を見つめるアージネアは自分が本を抱えたまま、戸口に立ち尽くしているのすら忘れていた。トゥエリクはさして気にもせずに言ったかもしれないが、その何気ない言葉は、長くアージネアに刺さっていた棘を溶かし始めていた。

 休み時間にこっそり調べたところ、深い青の石は本当に『幸運の石』と呼ばれていて、ほんのり透き通った石は『月の石』と呼ぶらしい。老婆の説明は、ただの売り口上ではなかったようだ。淡い水色と白の組み合わさった飾り紐に石がとてもよく映える。古いまじないとは、何が込められているのだろう。

 深い青はアージネアの一番好きな色だ。ひとつには、アージネアを初めて『先生』と呼んでくれたウルク・バーニェッタを思い出させるから。そしてもうひとつは……


「先生ーーーっ!!」


 不意に緊迫した子供の声に意識を引き戻された。表門の外から、先ほど駆けて行った子供のうちの一人が戻ってきて、こちらを指さして叫んだ。


「先生っなんか変だよ! 煙が出てる」


「えっ!」


 表門の衛士も驚いたように建物を見上げ、何か叫んだ。

 アージネアの背後から、館内にいた利用者が何人も駆けて来た。口々に「火事!?」「早く逃げろっ」と叫びながら次々と飛び出して行く。普段は静かな館内が騒然となっていた。


「来てはダメ!! 早く逃げなさいッッ」


 咄嗟に声の限りそう叫ぶと、戻って来ようとした子供は弾かれたように踵を返し、門に向かって走り出した。その後を次々と飛び出してきた利用者たちが追っていく。

 アージネアも外へ駆け出そうとした瞬間、真っ白になった脳裏にトゥエリクの姿が閃光のように浮かんだ。

 ―――収蔵庫!

 躊躇いは無かった。ヒトの流れに逆らい、アージネアは館内に駆け込んだ。避難誘導をしていた守衛や同僚の司書が、煙の漂い始めた奥へ進むアージネアを必死に止めてくれたが、振り切って2階への階段を駆け上った。うるさいほどの鐘の音にも日が沈むのにも気づかずに研究に没頭しているトゥエリクの姿が脳裏に焼き付いている。最近は、ヒトの出入りが少ない2階の収蔵庫に籠っていることを他に誰か知っているだろうか。

 2階の廊下に出ると煙が充満していた。片方の腕で口元を覆い進もうとしたが、すぐに絶望的な状況を理解した。炎が噴き出しているのは収蔵庫からだったからだ。


「エリ先生ッ」


 叫ぼうとしてすぐに煙を吸って咳き込んだ。煙が目に染みて涙が滲み熱と煤で胸が灼けそうだった。どうしよう、どうしようッこれじゃ……その時不意に、この王立図書館の開設に携わった祖父の言葉が耳によみがえった。


『本は火に弱い。水にも弱い。本当に脆く、あっという間に消えてしまう。それでも後世に残すべき大切なものだ。だから特に大切な本の収蔵庫には、魔法をかけておくのだよ』


 3階の特別な読書室……火元がここならエリ先生は絶対そこに行く!!

 アージネアは3階へと続く階段を駆け上がった。

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