第10話 きらきらと光り輝く未来③ アージネア

「先生さよならー! また明日ぁ~」


 元気よく手を振って駆け出していく子供たちの姿を見送り、アージネアは分厚い本を抱え直した。歴史教師の夢はまだ叶っていないが、最近では司書の傍ら、子供向けに神話や歴史の本を読み聞かせる会を開いていた。この会はなかなか好評で、そこでは子供たちが『先生』と呼んでくれるのが少しくすぐったい。トゥエリクに言わせると『何かの知識を伝えるものは先生と呼ばれてよい』だそうで、『アージネア先生』を認めてくれた。

 トゥエリクのことをふと考え、アージネアは本を抱えていた左手の手首に目をやった。胸がくすぐったくなるのは、服の袖に隠れるようにひっそりと巻いた飾り紐のせいだ。それは昨夜からアージネアの手首を飾るようになり、時折ちゃりりと可愛らしい音を立てては胸をざわつかせている。

 昨夜も、最後まで王立図書館に残っていたのは館長のトゥエリクと、見習いが取れた司書のアージネアで、「もう鍵を閉めますから!」と守衛に追い立てられるように通用口を出たところで二人は行き会った。

 いつ頃からかは覚えていないが、そうして二人で一緒に帰るのが習慣になっていた。いつものように並んで話しながら新しい神殿広場に差し掛かった。広場には灯火のゆらめく美しいランタンが飾られ、様々な露店が並び、夜になっても多くのヒトで賑わっていた。救世の女神ホノの祝祭日だ。救世の女神ホノは今の国王夫妻の結婚を祝福するために拠り所とされた比較的新しい信仰で、国王の庇護を受けて急速に広まり、季節ごとの祝祭日には王都を華やかに彩るようになっていた。


「今日はなんのお祝いだろう。救世の女神ホノは祝祭日が多いから覚えきれないよ」


 と、トゥエリクが笑った。実際に、救世の女神ホノは旧来の神々よりも祝祭日の数が多いのだ。


「今日は、女神様の生誕祭です」


 さらりと答えたアージネアに、トゥエリクが意外そうな顔をした。


「よく知ってるねぇ? 君も救世の女神ホノの信仰だっけ?」


「あ……い、いえ、違います。信仰ではないのですが、今日は私も誕生日なので覚えてしまって」


「誕生日?」


「はい……おかしいですよね。我が家は祖父が神官で、父も私も魔法の素質が無くて神官にはなれなかったのですけど、本当は古い神々の神官の家系なんです。それなのに、新しい女神様と同じ誕生日なんて」


 思わずそんなことを言ってしまったのは、記憶の奥深くにしまい込んでいるのに時折、刺さった棘のようにちくりと痛む苦い想いがあるからだった。

 古い神々の祭祀には魔法を使うため、すっかり魔法が衰退した今でも、神官は魔法の素質のあるものから選ばれる。魔法の素質は血統に現れるものではなく、家系だけで継げるものではないのだが、神官を多く輩出する家というのはあり、アージネアもそんな家の出身だ。古い神々を信仰する家系にとって神官に選ばれることは、とても栄誉なことだった。

 幼い頃、自分には魔法の素質がないとわかったときの祖父の落胆した顔は今でも忘れられない。それを理由に責められたことは一度もないし、アージネアをとても可愛がってくれたのは間違いない。祖父も両親もアージネアに神官職に就くことを求めたこともない。それでも考えてしまうのだ。


―――もしも、魔法が使えていたら。


「いまの陛下が女神様を信仰するようになってから、古い神々の神殿はすっかり廃れてしまったでしょう? その上、魔法も使えない神官家の娘がライバルの女神様と同じ誕生日だなんて、なんだか言いにくくて」


 つまらない自分の話をしてしまった恥ずかしさから、さらに取り繕うように余計なことを言ってしまい、アージネアは自分の要領の悪さに俯いた。こんなの、エリ先生に聞かせる話じゃない。せっかくの時間をもっと楽しい話がしたいのに。


「どうしてそれ、もっと早く言わないの!」


「え?」


「誕生日だなんて、初めて聞いたよ。お祝いしよう!」


「ええッ!?」


「あ……でも、今日はもう遅いから、若い女の子を連れて行けるような店は開いてないかなぁ。困ったなぁ」


「ああああの、いえいえいえ! その、そもそも若くもないし女の子って言ってもらえるようなあれじゃないし、いえ、そうじゃなくて、お祝いとかそんなつもりじゃなくてッ!」


「あっ! じゃあ、ああいうのはどうだろう?」


「えぇ!? エリ先生、聞いてます!?」


 辺りを見回したトゥエリクは露店の並びに何かを見つけたようで、アージネアが止める間もなく、どんどんヒトの間を縫って進んで行ってしまう。慌てて後を追うと、露店の一番端にランタンの灯りに照らされて、きらきら光る小さな店が出ていた。

 光っていたのは、展示用の板に掛けられていたアクセサリーだ。


「これは、なんの石だろう?」


 珍しそうに覗き込むトゥエリクの肩越しに遠慮がちに顔を覗かせると、露店の店主らしい老婆が声をかけてきた。


「お嬢さん、そんな後ろからじゃ自慢の商品が見えやしないよ。とって食われるわけじゃなし、もっと近くに寄ってご覧よ」


「いいいい、いえいえ、私は、その……」


 驚いて一歩後ろに下がろうとして逆にヒトにぶつかって押し出されてしまい、トゥエリクが庇って開けてくれた隙間にはまり込んだ。

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