第9話 きらきらと光り輝く未来② トゥエリク

「……これは、殿下」


 室内からは、王太子の姿はちょうど窓の間の壁に遮られて見えなかった。慌てて全身を見せ礼をする。そうしながら、この不自然な状況が理解できなかった。

 王太子は、回廊に出たトゥエリクの正面に立っている。その王太子の前にいる少女は今年で12歳になる王女ルル・エルクルイラ。長身の王太子の胸にやっと届くほどの身長しかなく、何故かその二人の間に割って入るように王女より小さな黒髪の男の子がいる。王太子は、手にしていた王女の淡くコーラルの溶ける白金プラチナの髪のひと房をはらはらと離した。

 子供たちの背後に立ったトゥエリクには二人の表情は見えないが、心なしか王女の肩が震えている。あの小さな悲鳴は王女のものか。

 男の子には見覚えはないが、黒に見える深い藍の髪には覚えがある。

 回廊には他に、王太子のずっと後ろの柱の陰で膝をつき頭を垂れて控えている男の姿がちらりと見える。王太子の従僕だろう。

 何があったのか、この場で正確にトゥエリクに説明してくれそうな者はいない。


「カルゴーダ先生」


 浮かべた微笑みを崩しもせずに王太子が言った。それだけを見れば、王太子が年の離れた妹と何か話でもしていたのだろう。―――だが。


「お久しぶりです、王太子殿下。今日はルル殿下のクラスを観にいらしたのですか」


 内心の動揺を表に出さずに思い切ってそう問いかけた。

 トゥエリクが教えていた8年間、王太子が妹姫の存在を気に掛ける素振りを見せたことは一度もなく、後半の2年ほどは王女も王立図書館の中の違う教室で学び始めていたが、二人が一緒にいるのを見たこともない。

 それが、学業を終え、もう来る必要はなくなった王立図書館をわざわざ訪れ、王女の前に立っている。そして王女はトゥエリクの見間違いでなければ、両手で口を抑え肩を震わせている。二人の間にいる男の子は、バーニの末の弟ではないだろうか。

 奇妙な緊張と違和感が、トゥエリクの脳裏に警鐘を鳴らしている。


「じゃあ僕たち、もう行くね、ルーヴェ」


 唐突に男の子の遠慮のない元気な声が響いた。ルーヴェ? トゥエリクが呆気に取られていると、男の子がくるりと振り向き、半ば強引に王女の手を引いた。王女はまだ残った片方の手で口を抑えているが、その淡いグリーンの瞳も戸惑い揺れている。


「エル、こっちから行こう!」


「二人とも、気をつけてお帰り。ウイにも会いたいと伝えてくれ」


 そう言って、男の子を見つめる王太子の表情は柔らかく緩み、「はーい!」と元気よく答えて「先生、この部屋通っていい?」などと言いながら、許可も待たずに王女の手を引っ張って収蔵庫を駆け抜けていく後姿を穏やかに見送った。


「え、えーと、まだいいって言ってないけどなぁ………まぁ、いいよ、うん」


 あまりに自然かつ強引に王女を連れて行ってしまった男の子の様子に、すっかり拍子抜けしてしまった。王太子のことをルーヴェと呼ぶなら、やはりバーニの末の弟だろう。急に空気が和やかに変わり、これは勘ぐり過ぎたかと少々ばつの悪い思いがして、王太子の顔を見るのが気まずかった。


「カルゴーダ先生」


 改めて呼びかけられ向き直ると、青年になってますます神懸ってきた美貌に迎えられ、らしくもなく胸をつかれた。相も変わらずお美しい。口にこそ出さなかったが脳裏にはそんな言葉が浮かび、ほんの一瞬、見惚れていた。


「不躾に声をかけてしまい…」


「今日は先生に、お尋ねしたいことがあり参りました」


 学業を終えた今、もうトゥエリクを教師として敬う必要はないというのに、王太子は丁寧にそう言った。なんという美しい謙譲。思わず声に出かかったのを抑え、問いかけた。


「どんな御用でしょう、殿下」


「先生ならば、ご存じかと。ふと、思い出したのです。幼い頃に古い書物を見つけたことを」


 幼い頃の些細な発見を探求する、その飽くなき好奇心の素晴らしさ。さすが我が魂の君主。さらさらと湧き上がる言葉を胸の内に留め、トゥエリクは「古い書物?」と記憶を探った。


「歴史の授業のときに」


 王太子が続けた言葉に、「ああ!」と声を上げた。なんという素晴らしい記憶力!


「よく覚えておいででしたね! そういえば確か、イオライエと二人で古い本を持って来てくださいました」


「はい」


「あれは、とても古いということだけはわかったのですが、解読が難しく……あの本の閲覧をご希望ですか?」


「はい、先生ならば必ず覚えていてくださると思いました」


 丁寧な言葉と僅かな称賛にぞわりと心が跳ねた。お褒めの言葉をいただいた!! その瞬間、左の手首にじりっと灼けるような痛みが走った。なんだ? 痛みの反射で左手首が僅かに動いた拍子に、ちゃりっと微かな音。その音は本当にとても微かなものだったが、トゥエリクに左手首に巻いていた飾り紐の存在を思い出させた。


「殿下、では………こんなところではなく、読書室へご案内しましょう」


「読書室?」


 王太子の目がちらりと収蔵庫を見た。


「はい。あの本は、とても古いものでしたので、この一般の収蔵庫ではなく、3階の稀覯書を保管している読書室に収蔵しました。……こちらです」

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