第7話 そして990年余り後の王立図書館④

「まるで、お手本のようにきれいな答えだね」


「……すみません、でも緊張していたのは本当です。あの……お世辞でもないです」


「イオライエはやんちゃ坊主でね、名前のことですぐにバーニとウイをからかうんだ。そのくせ、何かあると真っ先に二人を庇って前に出る。さっきも、バーニが殿下の侍女に叩かれたのを一番に抗議していた。あの子は正義感が強いねぇ」


「は、叩かれたって……?」


「それなんだけどねぇ」


 特別クラスには、将来王位を継ぐ者が決して慢心せず、諫家、宰相家と共に協力することを幼少期から学ぶという重要な意味がある。この仕組みは古くからあり、歴代王太子は皆、この学びの場では側仕えを付けず、身分に頼らず様々な経験をする。本の返却といった些細なことも、教師の指示に従い基本的な決まりごとを守るという道徳的な意味で大切なことだった。


「王妃の厳命だとかで、侍女が殿下から離れないんだよ。今日も、初めて図書館の利用方法を教えてね。4人で分担して使った本を返却してから帰りなさい、と言って授業を終えたのだけど、こっそり様子を伺っていたら…」


「隠れて見てたのですね…」


「侍女がさっさと殿下を連れて帰ろうとしてね。バーニがすぐに『お待ちください殿下、本の返却が終わっていません』と呼び止めたのは、かっこよかったなぁ。バーニは将来、いい王妃様になるよ」


「まさか……それで、侍女さんに叩かれたんですか?」


「そう。いい歳した大人が、正しいことを言ったはずの10歳の少女の頭を問答無用に叩くなんて酷い。『殿下にそのような口をきくとは何事ですか』とさ。さすがに飛び出そうとしたら、イオがね『おい、ババアッ! お前こそバーニにこんなマネするとは何事だ!』ってさぁ~あの子は宰相家より諫家のが合ってるんじゃないかな」


「バ、……バァって言ったんですか…殿下の侍女さんに」


 トゥエリクの口真似は絶妙に上手く、臨場感たっぷりだ。


「そうそう。そうしたら、ウイが、あの優しいウイがだよ? 殿下に向かって『謝罪を要求します』って毅然と言い放ってね。『姉に対する不当な暴力は、たとえ殿下と言えど許しません』って8歳の子供が言うセリフ? 侍女じゃなくて殿下にだよ?」


「そ、それで、殿下はどうなさったのですか?」


「うーん、それがねぇ。表情も変えずに『これは失礼した。この者には、後できつく言っておく』って、そのまま帰ってしまった」


「え!? 帰られてしまったのですか?」


「そう。殿下は、それはそれは見目麗しく聡明で、あの御年にしては神々しくすらあるのだけれど、あまり表情がない。どこかふわふわとしていて、いつも微笑みを浮かべていらっしゃるが、掴みどころがないんだよねぇ」


「それは、なんというか…」


 王太子ルヴェリオネ・ファタは、王国内で最も民に愛されている存在だ。アージネアも、祝祭日に王宮のバルコニーから手を振る姿を見たことがあるが、まるで光を放つかのような豪奢な黄金の髪と遠目からでもわかるきれいに整った容貌に強烈に心奪われ、しばらくは、その姿を思い返すだけで胸が高鳴ったものだ。

 見た目の美しさだけではなく、幼いながら魔法を巧みに操ることから神童と呼ばれ、『身分違いの大恋愛の末に周囲の猛反対を押し切って結婚した国王夫妻の下に産まれた世継ぎの御子』という背景も手伝って、今では熱狂的な支持を得ている。

 まるで用意されたかのような、出来過ぎた素質と背景を持つ存在。ふと、薄ら寒さを感じたことにアージネア自身、この時はまだ気づいてもいなかった。


「まあ、王妃がねぇ、あまり大きな声では言えないが、ずいぶん宰相のことも困らせているようだから、殿下の特別扱いくらいは可愛いものかもしれない。殿下がもう少し大きくなれば、母親の影響も弱まるとは思うんだけど」


 先ほどからトゥエリクが王妃に対しては敬称を使っていないことにも不安を感じ、そちらに気を取られたもののアージネアは結局、窘めることもできなかった。


「あの三人が将来、三家として殿下をお支えするのでしたら、きっと大丈夫ですよ。王太子殿下はまだ10歳ですし、聡明な方でいらっしゃいますから」


 と、直接知りもしない王太子を当たり障りなく持ち上げた自覚はあった。が、その前の言葉は本心から出たものだ。バーニェッタ、ウイ、イオライエの三人ならば大丈夫。王家はともかく、諫家、宰相家への信頼は揺るぎないもので、それはそのまま、まだ十分に幼い三人への無条件の信頼となった。それは栄光のファラナシア王国に生まれ育った者ならば、誰もが自然に胸の中に持っている感情だ。

 なにがあろうとも三家がある限り大丈夫。栄光のファラナシア王国の繁栄は続いていく―――


「皆さんが大人になるのが楽しみですね」


「殿下の即位は壮麗なものになるだろうねぇ。実は子供の頃から即位式の儀礼係に憧れていてね、殿下のときにはなんとか儀礼係にしてもらえないかなぁ」


「……まだ陛下がご健在ですよ……さすがに、不敬です」


 二人しかいないのを分かっていても小声でそっと窘めると、トゥエリクもようやく口を慎んだ。


「そうだった、これは口がすべった。今の代の子供たちは皆それぞれ素晴らしいからね、どうしても期待してしまうんだ。きらきらと光り輝く未来をさ」


 三人の子供たちと出会い、トゥエリクと笑い合ったその日のことは、アージネアにとって王立図書館での最も楽しい思い出となった。トゥエリクの言葉を借りるならそれは、『きらきらと光り輝く』美しい思い出だった。

 その後、トゥエリクは次の即位式の儀礼係には選ばれず、アージネアの2番目の夢も叶うことはなかった。栄光のファラナシア王国に忍び寄る暗黒を二人はまだ知らなかった。

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