第6話 そして990年余り後の王立図書館③

「で、ですが一方でウルクは、古くから死を回避し魔を寄せつけず災厄を除けるとも言われ、その、つまり、すごく昔からとても強く、たくさんのものを護ってきた良い名前でもあるのです。呪いも効きません。は、跳ね返します」


 後半はこじつけだったが、もし自分の子供に『ウルク』と名付けるなら、そんな想いを込めるだろうと思ったのは本当だ。ウルク神は冥府の番人、死を司りすべてに死を与えるが、それに護られるものに死は訪れない。古い神話だ。

 言い切ってしまった後で、黙ったまま見上げてくる三対の目が痛かった。


「初めてです」


 バーニェッタが頬を赤らめて言った。


「父以外のヒトに、よい名前と言われたのは初めてです」


 バーニェッタの年相応にふわりと力の抜けた表情に胸がきゅっとした。

 ああ、よかった。お父様はきちんと良い名前だと伝えていたのだわ。

 と、少しは救われる思いがした。説明もなく、そんな名前を付けられていたら、言葉の意味がわかる年頃になれば辛いだろう。『死神姫』と揶揄したイオライエは軽い気持ちだったろうが、バーニェッタが深く傷ついていたのはよくわかる。と、ウイが口を開いた。


「イオは、好きな子には、すぐ意地悪するよね」


 さらりと爆弾発言だ。途端に真っ赤になってイオライエが叫ぶ。


「はぁーッ!? 何言ってんだよ、バカウイ!! 呪われっ子きょうだい!! そんなわけないじゃんッッ」


「ウイ、お黙りなさい。イオライエ、今すぐその下品な口を閉じて態度を改めないのなら、今夜はトイレに行けなくなりますよ」


「どういう意味だよッ」


「あなたがいま言ったでしょう? 私は死神姫ですもの、幽霊にもたくさん知り合いがいてよ?」


 びくん、とイオライエの動きが止まった。幽霊? 『視る者』って、今でも本当に幽霊を見るのかしらと興味を惹かれたところで、ウイがまたやわらかな声でイオライエに囁いた。


「ほらイオ、ごめんなさい、は? 姉上は本気だよ」


「………ご、ごめんなさい」


 予想以上に素直にイオライエが謝り、すぐに仲直りとなった。ひどいことを言ったはずなのにバーニェッタもイオライエも、もう気にはしていないようで、ウイを真ん中に改めて横並びに整列した。アージネアは先輩司書から教わった通り、厳かに正しい手順を踏んで、本の返却手続きを完了した。


「確かに、授業で使った本を三人、いえ四人分、返却を受け付けました。皆さん、ありがとうございました」


「終わったー」


 イオライエが真っ先に部屋を飛び出して行った。ウイがその後に続く。バーニェッタも行きかけて、不意にくるりと振り向いた。


「不躾ですが、お名前を教えていただけますか?」


「えっ? あのっ……アージネア・イアージョ、です」


「ありがとうございます、アージネア先生。また本を借りにまいります」


 丁寧に会釈をしてから、バーニェッタは美しい所作でドアを開けて出て行った。




「せん、せい……」


 思いがけず呼びかけられた言葉の美しい響きが耳の奥までこだまし、軽やかな旋律を奏で脳内に広がっていく。胸にじんわりと熱いものがこみ上げてきた。先生…アージネア先生……なんて素敵な響き……生まれて初めて呼ばれた、この世でもっとも素晴らしい称号………


「どうだった、子供たちの印象は?」


 妄想の雲に包まれ軽やかに宙に浮きかけていたアージネアの意識は、不意に現実に引き戻された。いけない、仕事中!


「は、はい!」


 どこかのんびりとした声をかけながらドアから顔を覗かせたのは、先輩司書のトゥエリク・カルゴーダだった。声の印象そのままの、のんびりとした風体ながら、特別クラスで子供たちを教えている博覧強記の若き大学者。アージネア憧れの歴史学者でもある。

 特別クラスとは俗称で、三家の年齢の近い子供たちが王太子と共に学ぶ場のことを言う。三家とは、英雄王ファリスの末裔で国王となる王家、それを諫める諫家、政治を補佐する宰相家のことだ。宰相は、古くは世襲ではなかったようだが、今では家によって受け継がれているため合わせて『三家』と呼ばれている。

 三家にはいくつかの決まりごとがあり、幼少期に共に学ばせるため、諫家と宰相家では王太子の誕生に合わせ後継者をつくる産むというのも、その一つだった。

 現在の王太子ルヴェリオネ・ファタは今年で10歳になる。諫家のバーニェッタが同い年、その二つ下に弟のウイと宰相家のイオライエがいる。男の子の年が揃って二つも下なのは、今の国王の結婚と王太子の誕生が急だったために間に合わなかった、というのが真相だったが、それについて言及してはいけないのはアージネアも幼い頃から、なんとなく察していた。幼い王太子の許嫁が、早々に諫家の娘ウルク・バーニェッタに決められたのも、父親である現国王の奔放な結婚が原因だ。

 王太子は先ほどの三人と共に学んでいるはずで、貸出記録にも名前があったが、本の返却には現れなかった。


「三家のお子さんたちのお相手なんて初めてで緊張しました。バーニェッタ様はとても気品があって公正な方に感じました。ウイ様は温和で可愛らしく、対照的にイオライエ様はとても元気が良くて」


 王太子の不在には触れず、当たり障りなく問われたままに応えると、トゥエリクが苦笑した。

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