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 マヤが色とりどりのチョコスプレーがかかった甘いドーナツだとすれば、私はただ揚げられただけの素朴なドーナツだ。男子どころか、女子だって仲の良い子がマヤくらいしかいない私には恋愛感情というものが未だにわからず、ずっと胸の中にもやもやとした気持ちが居座り続けていた。だから男女問わず引く手あまたで経験豊富なマヤに訊ねたのだけど、マヤからしてみれば「そんなに経験豊富じゃないよ」という。さすがにそんなことないだろって思うんだけどな。


「どんな感じって言われてもなあ」と頬杖をついて、マヤは少しだけ考える素振りをみせる。



「感じっていうか、相手のことが好きっていう、ただそれだけのことなんじゃないの」

「小説とか漫画とかだと、あるじゃん。目の前ぜんぶが輝いて見えるとか」

「あんなん、結局はフィクションよ。……いや、わかんない。あたしが擦れ過ぎてるかもしんないけど、高校生くらいになったら、付き合いはじめるくらいでいちいちそんなふうに感動なんかしないって。まあ、好きになった側がどっちなのかにもよるかもだけどね」



 確かに、それはそうか。

 マヤが自分から告白したという話は、私もほとんど聞いたことがない。だいたいは夜の街灯にぶつかり続ける虫のように、男の方からマヤに吸い寄せられてくるのが常なのだった。

 質問する相手を間違えたのかもしれない。……いや、それはマヤに失礼か。


 訊いてみる。



「マヤが自分から行ったときは、どうだったの」

「そりゃあ、まあ嬉しかったけど。でもあたし、基本的にそういうときは長続きしないんよね。釣った魚に餌あげないタイプだからかも」

「ああ。マヤ、私のLINEもすぐ返してくんないもんね」

「いや、ごめんて、ミユ。そんないじけないで。おーよしよしよし」



 眉をハの字にしながら、マヤはテーブルの向こうから身を乗り出し、私の頭を撫でてくる。栗色の長い髪と手首が動くたびにふわりふわり香るのは、マヤのつけている香水のにおい。それは、とっぷりシロップに浸かったチェリーみたいに甘くて、きっといつも仏頂面の私には似合わず、可愛らしいマヤには似合う香水。黙っていたってその香りにつられてくる虫はたくさんいるから、マヤはたかだか一匹逃がしたくらいでいちいち悲しんだり、振り返ったりしなくても平気なのだろう。ある意味クールな生き方だ。



「……あー、でもねえ」



 ひとしきり私の頭を撫でたあと、席に再び腰を下ろしながらマヤが言った。



「でも?」

「一人だけ、あたしのほうがめっちゃ好きだった人がいてさ」



 誰、と訊ねるとマヤは「あのー、あれ。ふたつ上の野球部の主将」と前置きしながら、私の知らない先輩の名前を口にした。私は帰宅部で、そういった話題に疎い。顔は浮かばなかったけれど、そういえばそんな人と付き合っていた時期もあった気がする。マヤは日頃から野球を観るのが好きだと言っていたから、そういう意味でも趣味が合ったのだろう。


 そうだねえ、としみじみした様子でマヤが唇を動かす。



「あの人と付き合ってたときは、確かに毎日輝いてたかもしんないなぁ」

「その感覚がわかんないの。そうやって毎日が輝いて思えるようになる気持ちって、敢えて言うとすればなんなの。この人さえいたらいま世界が滅んでもいい、みたいな?」

「うーん。あたしは早く大人になりたいし、好きな人と一緒にいるくらいで滅んでもらっちゃ困るんだけど」



 下から人差し指で唇を押し上げるようにしながら、数秒考え込んだマヤは、やがて静かに呟いた。



「――い焦がれる、って言葉があるでしょ?」

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