8月24日 リニャーレス〜ピンティン 曇りのち雨のち曇り

朝7時に起きると同室の巡礼は誰も部屋にいなかった。みんな朝が早い。晴れ間がほとんど見えない天気は久しぶりだ。前方に見える山の上の方に雲がかかっている。今日は基本的にはセブレイロ山からゆっくりと坂を下っていくものと思っていたのに、しばしば登り坂を歩かされる。おかしいなあと思って地図を見返すと、峠越えがいくつかあった。いま登っている坂道は予定通りだったわけだ。


峠まで来ると霧が立ち込めていて視界が悪い。さっき、山に雲がかかっていると思ったのはこの霧だったのだ。曇りはスペイン語でヌブラードだけど、霧ってなんて言うんだっけ。思い出せない。峠のカフェで再会したスペイン人のダニエルに「スペイン語で霧はなんて言うの?」と訊ねると「ニエブラ」と教えてくれた。「ピザパーティー以来、全然姿を見なかったけど、どこにいたんだ?」とダニエル。僕も同じ事を思っていたけど、僕はちょっとずつ「メジャーな町」を外した町を宿泊場所に選んでいたから、まあそのせいだ。今日はダニエルという話し相手を得られてラッキーだ。


1時間半くらい歩いて小休憩を取っていたら、額にポツリと来た。まさか? と思ったらまさかの雨。巡礼2日目にピレネー越えした際に霧雨を経験して以来の雨だ。このくらいの小雨なら気にする事もないと思っていたけど、徐々に雨足が強くなってきた。よもや使う機会など無いと思っていたレインポンチョの出番だ。いつの間にか本格的な雨になっている。昨日と今日で天気が変わったというより、地理的な理由なのだと思う。海上で暖まった空気が高い山にぶつかって雨が降るに違いない。


「これがガリシアなんだ」とダニエル。「天気が悪い」

「ロンドンみたいなもんだね。僕は行った事がないけど」と僕も応じる。

「この天気のせいでガリシアの人間は閉鎖的であまり他の人と打ち解けないんだよ」

ダニエルの見解はよくありがちなステレオタイプ的なものだったけど、なんとなく同意したくなる。スペイン人は午後になればバルに現れて気安い友人とあれこれ喧しい。でも、雨の中わざわざバルに出向いたりはしないだろう。自然、家の中に閉じこもりがちになる。


ガリシア人の特性うんぬんはさておき、ガリシアは海産物が美味しい事で有名だ。特にタコ。ダニエルによれば、牡蠣も有名なのだそうで、これは良い情報を得た。牡蠣は僕の好物だ。

「レモンをたっぷりと絞って食べると美味しいんだ。しかも1つ2ユーロくらい」なんとしても巡礼中に牡蠣を食べるぞと決意した。海産物ではないけど、昨日のお昼に食べたガリシア牛のステーキは美味しかった。ダニエルにそう言ったら、彼も昨日はガリシア牛のハンバーガーを食べて最高だったらしい。オ・セブレイロからこっち、山道を歩いているとカンコンカランという牛のジングルを耳にする事が増えた。牛の飼育が盛んということだ。


気候から季節の話に変わり、ダニエルがジョークを教えてくれた。地名は忘れてしまったけど、「▲▲(地名)には季節(エスタシオン)が2つしかない。なんだか分かるか?」

「うーん、夏と冬?」僕の答えじゃ全然ひねりがないからジョークになってないけど。

「ノー。答えは冬と電車」

「?」

「電車の駅さ」

なるほど! スペイン語の「エスタシオン」は季節と駅の2つの意味がある。そういうシャレということ。よし、これは覚えておいて誰かに使おう。


ほとんどが林道の巡礼路を歩き続けてトリアカステラの町に着いた。雨は明らかにさっきよりも強くなっている。ダニエルは他のスペイン人仲間と一緒にこの町に宿泊する事にしたようだ。僕も雨の中を歩きたくはないけど、ここから12キロ先の町に宿の予約を入れていた。予め宿を確保する僕のやり方は安心感があるけれど柔軟性には欠ける。仕方ない。なんでもトレードオフ、メリットとデメリットがある。


トリアカステラからのカミーノは二手に分かれるのだが、僕が進むのはメインの道。再び高低差300メートルくらいの峠を越えないといけない。レインポンチョを着て雨の中を歩くのは思いの外体力を消耗する。レインポンチョのおかげで服も荷物も濡れずに済むけれど、それでも雨の中の独り歩きは辛いし惨めだ。ダニエルと別れてその事を実感する。


晴れていれば自然に囲まれたカミーノや景色も美しいと感じるかもしれないけど、自然と僕の視線も足元に向かってしまう。それに、景色を楽しむ余裕もない。この後3時間も歩くのかと思うとウンザリする。


さっきから風も出てきて寒い。温度計を確かめると、朝7時に14度だった気温がもうすぐ14時になろうというのに17度しかない。寒いわけだ。数字を確かめたら余計に寒くなった。


それでも14時半くらいにようやく雨が上がり、メガネに付いた水滴を全部拭き取ると気分が少しよくなった。僕の先を歩いていた巡礼4人組に出会うと、彼らはポンチョを仕舞っているところだった。

「もう今日は雨降らない?」僕が訊ねると「降らないよ。あと2時間もすれば日も出てくるよ」なんとも心強い返事だ。


15時ちょっと過ぎにピンティンに到着した。今日の宿がある村だ。最初の「ピ」ではなく真ん中の「ティ」にアクセントを置く。なんとなく中国語のような響きがあると僕は思ったが、スペイン人のダニエルが全く同じ事を口にしていたのが可笑しかった。


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