8月20日 サン・フスト・デ・ラ・ベガ〜フォンセバドン 快晴

歩き出してすぐに寒っ! と思った。気温11度。昨夜は部屋が暑くてうまく寝付けなかったくらいなのに。バックパックに縛り付けてあるパーカーをほどいて着た。


昨日、丘の上から眺めたアストロガは大聖堂が頭一つ抜けていたが、近くまで来ると迫力がある。早朝なので中には入らないけど、外観の写真を何枚もパシャパシャと撮った。アストロガは大きな街なので巡礼宿も多く、だから僕の前後にも巡礼はけっこう歩いている。でも、誰も大聖堂の写真を撮らない。不思議に思ったけれと、はたと気がついた。彼らは2日前にレオンでもっと大きく荘厳な大聖堂を目にしているから、アストロガの大聖堂を見たくらいでは感激しないのだ。僕はレオンの大聖堂を見そびれたからなあ。


アストロガを出て1時間くらいは平らな道を歩くけれど、それを過ぎると登り坂になる。全然急な坂道じゃないのに、額にじっとりと汗をかきはじめた。まだ10時なのに! 昨日まではバックパックを背負った背中は別にすれば、日中でも汗をかいていると自覚して汗を拭うことなんかなかった。やっぱり登り坂は身体への負荷が平坦な道とは違う。登り始めた時には目線よりも上に見えた周囲の山々がいつの間にか低い位置に広がっている。


標高1000メートルを少し超えたあたりで道が再び平坦になった。ここまで来ると帽子が飛ばされそうなくらいの風が常に吹いている(紐を首にかけているから帽子は飛んでいかないけど)。朝の寒さはとっくに去り、暑くはないけれど日差しが強い日中に天然扇風機の風が気持ちよい。


ラバナル・デル・カミーノの小さな町を歩いていたら突然「トシ!」と声をかけられた。中間巡礼達成証を一緒にもらったイタリア人のリカルドだ。


「リカルド、大丈夫か?」ベンチに背中を丸めてぐったりとしている。

「もうダメ、死にそう」

今日はあの美しい橋が架かるオスピタル・デル・オルビゴから37キロも歩いてきたらしい。ひと休みしてから巡礼宿(アルベルゲ)を探すそうだ。

「トシもラバナルで宿を見つけるのか?」

「いや、俺は次の町、フォンセバドンまで行くつもり」

「そうなんだ。たぶんサムエルもそこにいると思うよ」サムエルは一緒に中間巡礼達成証をもらったもう一人のイタリア人。それにしても、達成証をもらったタイミングでは僕の方が先を歩いていたはずなのに、いつの間にか追い越されているのが不思議だ。


僕が宿を取ったフォンセバドンは、パウロ・コエリョによる『星の巡礼』に出てくる《廃墟の町》で、主人公パウロが悪魔の犬レジョンを打ち破った場所だ。この町に宿泊するために行程を調整したわけではなく、これは全くの偶然なのだけど、それでも小説に登場する場所をこの目で見られると思うとワクワクする。フォンセバドンはカミーノ巡礼路で最も有名な記念碑である「鉄の十字架」の直前の町でもある。登り道の途中で山上にポールのような物が見えたけど、あれが鉄の十字架か? いや、さすがにここから5キロ以上も先の十字架が見えるはずはないか。そんな事を考えていたら、左の山の尾根に立ち並ぶ風車が巨大な十字架に見えた。


しかし、まあ予想はしていたけれど、フォンセバドンは廃墟どころかちょっとしたリゾート避暑地の様相を呈していた。たくさんの巡礼や観光客で賑わっている。ちょっと残念。小説の記述通りなら、今目の前に見えている建物は全部比較的新しいはずなので、どちらかというとモダンな町なのかもしれない。というか、銀行ATMまであるじゃん。その辺の小さな村よりも発達してるよ。


巡礼宿に併設されたレストランは13時から20時半まで食事が摂れるとのことで、早い時間帯にご飯が食べられるという意味だけじゃなく、夜の遅い時間帯にご飯が食べられないという意味でも珍しい。シャワーを浴びて洗濯を済ませ、さっそく日替わり定食を頂く。


宿にチェックインしてから外出する事は滅多にないけど、今日はこの小さな町を少し歩いてみることにした。10分もあればぐるっと一周できてしまう。町の起点のモダンな雰囲気と比べると、町外れは崩れた建物なんかがあって確かに廃墟感がある。一軒の住宅の庭に大きな犬が1匹いて、すわ、レジョンか!? と驚いた(もちろん冗談だけど)。人懐っこい犬で何枚か写真を撮った。


宿に戻ると軒先でイタリア人のグループがビールを飲んでいる。その中にサムエルもいた。

「サムエル!」

「トシ! ヨッシーと同じ発音のトシ!」

いや、もうそれは良いから。でも再会できて嬉しい。サムエルの仲間にも紹介してもらう。その中のひとり、両腕にタトゥーを入れている男が「日本のヤクザは小指がないんだよな」と訊いてきた。いきなりだなと思いつつも「ヤクザ」という日本語を知っているのに驚く。イタリア人の日本理解はちょっと偏っているのかも。

「小指がないのは引退したヤクザなんだ。ヤクザを辞める時に小指を切り落とすんだよ」間違っているかもしれないけど、ひとまずそう答えておく。

「イタリアのマフィアはそういう事しないだろ?」逆に僕が訊ねると「イタリアではマフィアを辞めたら殺されるからね」。なるほど、勉強になります。彼のタトゥーをよく見ると日本語も彫られている。「恋の予感」。これ、意味分かって入れてるのか? ドクロの横に恋の予感っておかしいだろ。

「この日本語、『恋に落ちそう』という意味なんだけど、理解している?」

「もちろん知ってるさ! 日本語、何て言うんだっけ」

「恋の予感」

「そうそう! 『コイノヨカン』」

僕のイタリア人についてのイメージの方が偏りそう。でも、こんな感じの下らない交流がやっぱり楽しい。

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