8月19日 ビジャダンゴス・デル・パラモ〜サン・フスト・デ・ラ・ベガ 晴れ

昨日よりも1時間だけ遅く起きた。1時間ほど歩いて着いた町の巡礼宿兼カフェに入った。カフェコンレチェでひと息つこうと思ったのだ。バーカウンターの中の女性が忙しそうにしていたので、手が空くまでカウンターの前で待っていたのだ。そのうち女性は5人分のカフェコンレチェを作り終え、「あなたはカフェコンレチェだっけ? あなたも?」と僕の両脇にいたおっさんに声をかけた。僕を飛ばして。たぶん、いつまでもカウンターの前でぼーっと突っ立っている僕を宿泊客か何かと勘違いしたのかもしれない。そでも、さっきからここにいるのだから、先に声をかけてくれてもよいだろうに。僕はムッとして、トイレだけ使ってから店を出てしまった。


本当はこんなのは全然大した事ない。あ、こっちもカフェコンレチェ1つ、と言えばよいだけの話。たぶん、気持ちの問題だと思う。思い出してみると、一昨日あたりから歩いていて楽しくない。いや、歩く事自体は初日から楽しくなんかなかったのだけど(1日に30キロも歩いてみれば誰でもそう思うはず)、なんか前に進むのが億劫なのだ。序盤は自分の中の「ウルトレイヤ! もっと前へ!」という声を抑えるのが大変だったくらいなのに、今は自分を励ますために「ウルトレイヤ!」と声に出さないといけないくらい。


さっき食べ損ねた朝食を次の町のオスピタル・デ・オルビゴで食べることにした。最初に目についた巡礼宿兼レストランに入ると、お! 冷蔵ショーケースの中にサラダを発見! これはかなり珍しい。まだ10時台というこの時間帯に普通のスペイン人はサラダなど食べない。2〜3人前くらいのそのサラダとハムとチーズのスペイン風オムレツ、りんごケーキ、それとカフェコンレチェ。勢いでずいぶんと頼んでしまったけど、小一時間くらい休憩するつもりでゆっくりと食べることにした。巡礼を始めて以来、野菜不足になりがちだったので、サラダがとにかく美味しい。トマト、レタス、コーン、ツナ、茹で卵、そしてオリーブ。スペインはオリーブの生産量世界一だ。ハムとチーズのスペイン風オムレツは初めて食べたけど、これも美味しい。グラスにたっぷりと注がれたカフェコンレチェを飲むと気分も落ち着いた。このレストランは正解だった。


店内をゆっくりと見回すと、壁にオブジェとして色んな国の紙幣が額装して飾られていた。100種類くらいある。我が日本国の紙幣も野口英世の千円札がきちんと額に収められていた。数日前にも、日本びいきのオーナーが経営する中華風レストランで見た。野口英世、大人気だけど新しい紙幣の肖像が北里柴三郎に変わったと教えてあげた方がよいのか。


お腹もすっかり満たされて出発。すると目の前にオルビゴ川に架かる長く大きな橋が現れた。川を越えた先の方まで陸橋として続いていて、橋の先には教会の尖塔が見える。橋の通路も壁も白、ピンク、茶色、黒と色んな色の丸みを帯びた石を無造作にコンクリートで固めている。大きさは握りこぶし大から小型のスイカほどまでさまざまだ。だから足元はゴツゴツしていて決して歩きやすくはないけれど、目を奪われる美しさだ。


その橋を渡り、さっき尖塔が見えていた教会の前まで来た。この教会の壁も石を塗り固めて作られているが、先ほどの橋よりも全体的に茶色っぽく、石も大きく角ばった物が使われている。こちらの方がかなり古く見える。この教会も素敵だ。教会の入り口を熱心に眺めている男性がいた。ブラジル人のパウロだ。久しぶりに顔見知りの巡礼と再会した。向こうも僕に気付くとお互いにやあ、と挨拶してお互いに手を握った。


「ブラジルにもこういうカトリック教会がたくさんあるんだ」

「似ているの?」

「すごく似てる。とても美しいよ!」


パウロはこの町が気に入ったようで、まだお昼前だったけれど、今日はここに宿を探すと言っていた。気持ちはよく分かる。


パウロは英語が全く話せず、僕のスペイン語は片言なので複雑な会話はできないのだけれど、パウロとの短い会話のおかげで僕はすっかり気分が良くなった。結局、この数日、どうも気分が体調だったのはほかの巡礼とほとんど何も会話していなかったからなのだ。同じ道を歩いてきて経験を共有している巡礼、彼らの個人的な背景などほとんど知らないにもかかわらず、彼らとのやり取りが巡礼の大きな一部になっていたのだ。自分がこんなにセンチメンタルな人間だったとは自分でも驚きだが、認めないわけにはいかない。


ここから今日のゴールまでの13キロほどは幹線道路の側道をひたすらに歩くだけだったけど、特に気分が沈むこともなかった。もう歩きたくないと感じることもなかった。


巡礼路が幹線道路から逸れていき、周りに松やブナの木が増えてきた。15分ほど歩いた所に石で作られた背の高い十字架が立っていた。傍に「サン・フスト・デ・ラ・ベガ休憩所」と書かれた看板と石のベンチがいくつか置かれている。ここからは下り坂で、目の前にアストロガと、その手前にはサン・フストの町の赤っぽい屋根が広がっている。この十字架はふたつの町を見下ろせる丘の上に立っているのだ。幹線道路からそう遠くないはずなのに自動車の行き交う音が全くせず、静かそのもの。ちょっとここで休憩していこうかという考えがちらりと頭に浮かんだけれど、宿で休めばいいやと思い直した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る