8月12日 ブルゴス〜オンタナス 晴れ

驚いたことに昨夜はパラパラと雨が降っていたけど、それも当然のようにすっかりと上がっている。気温は22度。適温だ。


歩き始めてすぐに道が分からなくなった。でも、さすがに10日も歩いていると、確信がないまま闇雲に歩く愚は犯さず、ガイドブックの地図と地図アプリを照らし合わせながら、正しい道を模索する知恵がある。どうやら巡礼路を外れているのは確かだが、どう進んだらよいのかはよく分からない。うんうん悩んでいると、家の中からおじさんが窓越しに「カミーノか? あっち、そして左」と叫んで教えてくれた。やっぱり大きな街の方が迷いやすい。巡礼路に復帰するとその後は結構スムーズに歩けた。


今日は卓状地(メセタ)を歩く。たぶん、中学か高校の地理で習ったはずだが、メセタはスペインのあるイベリア半島に特有の地形で、台形型の地形のことだ。坂道を登るとその先はだだっ広い平らな土地が広がっている。台形の「上底」に到達だ。カミーノの周囲は麦畑の他は何もない。はるか遠くまでみはるかすことができる。前にも後ろにも10人くらいの巡礼が歩いているけど、日傘を差しながら歩いている女性はちょっと目立つ。異様だけど実用的だ。何せ、上半身全体を太陽から守る事ができる。彼女は台湾から来た巡礼だ。台湾人の巡礼に会ったのはこれで3人目だ。昨日のカフェの店主が「多いのは中国人」と言っていたが、ひょっとしたら中国人ではなくて台湾人なのかも。


真っ直ぐに伸びている巡礼路を歩いていて困るのは日差しを避けらる場所がほとんどないことだ。これは別にメセタだからという訳ではない。実際、時折1本の大きな木が休憩場所を提供してくれている。要は、いつの時代のことか分からないけど、ほとんど全ての木を伐採し平地を森から小麦畑に変えてしまったという事だ。通りすがりの巡礼の身では何かを主張する権利などないが、もっと別の景色もあり得たはずだという思いが浮かぶ。


白いベンチを見つけたので少し休憩する。日差しを遮る樹木は生えていないけれど、同じ条件ならベンチに座れる方がよい。いつもの事ながら、正午を回ると巡礼の数が一気に減る。しばらく休んでいると、ひとりの男性が歩いてきた。「大丈夫か?」と話しかけてくれる。僕が足首をさすっているからだろう。「大丈夫、ありがとう!」そしてつかぬまの会話が始まる。彼は色んなルートを何度も歩き、このフランス人の道も今回で3度目だと言う。「カミーノの中でも、ブルゴスからオンタナスまでのこのメセタが1番好きなんだ」と彼が言う。僕は驚いてしまった。メセタは木陰がほとんど無いし、台形の端まで来ないと次の町が見えないせいで、歩いていて不安になる。普通の道なら3、4キロ手前から次の町が見えるから、歩いていてモチベーションを保ちやすいのに。こんなにも違った感覚だけど、カミーノのベテランの言葉には重みもある。ブエン・カミーノ! 彼の姿がほとんど豆粒くらいになり、そう言えばメセタはほかの場所よりも静かだと気が付いた。何にも邪魔されず、ただ歩きながら自分を見つめる事ができる、彼はこの感覚が好きなのかも知らない。遠くに見える風車はすべてとまってしまっているけれど、時折吹き抜ける風が気持ちよい。


卓状地の端までくると突然、村が目の前に現れた。古代都市がそのまま保存されているような雰囲気をまとった村は、ガイドブックによればかつて何百年もの間、巡礼以外にはまるで知られてなかったらしい。まあ、わざわざ卓状地を経由して移動する必要もないのだから、それも当然と言えば当然だろう。しかし、その古代の村の一軒の巡礼宿にはスパが完備されているらしい。スパ! たぶん温水プールのようなものだろうけれど、こんな暑い日には最高に違いない。水着を持ってくるべきだった。


スパ付き巡礼宿からいくらも離れていない別の巡礼宿にチェックイン。15時20分。歩き始めてからだいたい8時間。今日もよく歩いた。チェックインの時、いかにも疲れている僕を見て、宿の女将さんが「まあ、まずはお水を1杯飲みなさい」とコップに水を注いでくれた。ちょっと感激した。


部屋に入り、荷物を整理しながら、下の方から異臭が漂っているのに気が付いた。ズボンが異臭の発生源だった。毎日、宿に着いたらまずはシャワーを浴びる。新しいパンツとTシャツに着替え、一日中身に付けていたTシャツ、パンツ、靴下を水洗いし、中庭の物干し台に干す。スペインの16時はまだまだ日差しが一番キツい時間帯で、2時間もすればすべて乾いてしまう。これが日課なのだが、替えのないズボンだけは、万が一乾かなかったら翌日が悲劇だと思い洗っていなかった。でも今日は洗う。乾かないリスクよりも臭いの方がキツい。


バーでビールを飲みながらこの日記を書いていると、知らないおっさんに話しかけられた。どこから来たの? と聞くと「テキサスだ」という答え。3日くらい前にもテキサスから来た男に会ったよ、お母さんと2人で歩いていたな、と僕が言うと、おっさんが「それ僕だよ!」帽子かぶってないせいで全くの別人に見える。七変化だな。

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