8月10日 ベロラード〜アタプエルタ 曇りのち快晴

いつもより1時間早く目覚ましが鳴った。正直まだ眠いが起きないと。荷物を手早くまとめ準備を整える……つもりが、なんだかんだで40分以上もかかってしまった。時刻は6時15分。昨日は朝7時過ぎに出発でも肌寒かったので、今日はあらかじめパーカーを羽織っておいた。温度計は15度を示しているけれど、これ本当かな? そこまで低いようには感じないけれど。


外はまだ薄暗い。これはしまった! と思った。暗くて巡礼路を示す帆立貝や矢印が全然見えない。巡礼道を外れて彷徨った初日の苦い記憶がよみがえる。少し先の方に、やはり日中の暑さを避けるためだろう、家族連れと思しき巡礼の姿がうっすらと見える。なるほど。彼らは用意周到なことに懐中電灯で前方を照らしながら歩いている。しばらくは彼らの灯りを使わせてもらおう。


1時間くらい歩いてようやく空に赤みがさしてきた。よかった! これからはもうひとりで安心して歩ける。1人の巡礼がこちらの方に身体を向けてじっと空を見つめている。なんだろうと僕も振り返ると、オレンジ色の太陽がまさに丘から姿を見せ始めていた。美しい、と思わないでもないけれど、ああ、今日は暑くなるんだよな、といううんざりした気持ちの方が強い。感受性に問題があるんだろうか?


砂利道を歩いていると自転車巡礼が追い越していった。ブエン・カミーノ! そのすぐ後に、黒い毛がもじゃもじゃの小犬が追い越していった。ブエン・カミーノ! 昨日は幼児連れの巡礼、今日は犬連れの巡礼。本当に色んなスタイルがある。でもまさか犬もずっと走るのか? と思って見ていたら、砂利道が国道とぶつかる場所で、飼い主は自転車の荷台に括り付けたキャリーバッグに犬を入れて走り去っていった。ちょっと安心した。自転車巡礼は1日に70キロくらい進むこともザラだが、さすがに散歩としては長いから。


ビジャフランカの町に到着。僕が到着した時、昨日の幼児連れの一家がまさに出発するところだった。一声かけたかったけど、自転車の方が早い。残念。


ここからは山道に入る。朝食と水分補給を済ませておく。1.5リットルの水のペットボトルを購入し、バックパックのサイドに押し込んだ。


今まではどこを向いても畑だらけだったのが、山道に入ると風景が変わる。松の木とブナの木に囲まれて歩く。今まで緑色は向日葵ぐらいだったのに。花も増えた気がする。グーグル先生によれば直径5ミリくらいの白い花が集まって1つの花を作るように咲いているのはヤブジラミ、ちょっと気取ったホテルで階段の踊り場にあるような細長い鈴状のピンクの花はベルヒース、たんぽぽを小さくしたような黄色い花はヤコブボロギク。ヤコブバロギク! サンティアゴはラテン語では聖ヤコブだから、カミーノ巡礼にこれ以上相応しい名前の花はないだろう。


峠にフードトラックが商売している。100メートル手前あたりからスピーカーで陽気なラテンミュージックを流している。自家製コーヒーが売りのようだが、この暑さでコーヒーを頼む人なんかいないだろう。たくさんの巡礼が冷たい飲み物や果物を片手に休憩している。大繁盛だ。確かにちょっと椅子に座って休みたいなと思っていたら、「どこから来たんだい?」と店の親父に英語で話かけられた。「日本から」と答えるとすかさず「コンニチハ」。思わず笑ってしまい、オレンジ味の炭酸飲料を買う。でも親父、これ全然冷えてないぞ。


その後も次々とやってくる巡礼に、親父は「どこから来たんだ?」と英語で訊ねては、その国の言葉であいさつして客の足を止めさせていた。なるほど、そういうテクニックだったわけだ。ドイツ人の2人組(親父は「グーテンターク」と口にして客をゲットした)がホットコーヒーを頼んだ時はさすがに唖然とした。その場にいたほかの客もお互いの顔を見合わせていた。


親父の売り物は飲み物だけでなく、果物やペイントした帆立貝などを並べている。わざわざここで帆立貝を買っていく奴はいないだろうと思うけど、ホットコーヒーの例があるから断言はできない。飲み物のほかによく売れていたのはスライスしたスイカ。大ぶりのスイカとはいえ、それを24分の1くらいに薄く切って提供する。よくもあれだけ薄くスライスできるものだと感心する。


ここからは基本的に下り坂。標高が下がり山道を抜けると、辺りの風景が再び小麦畑と向日葵畑に占められる。温度計を見ると気温は40度になっていたけれど、今日は木陰が多かったからそこまでの暑さを感じなかった。あともう1時間もしないうちに今日のゴール、アタプエルタの町に到着する。たぶん、15時前には着くはずだ。早朝から歩き始めたのが功を奏した。けれど、こんな時はつい「もっと歩けたな」と思ってしまうのも事実だ。自分の中からウルトレイヤーーもっと遠くへ、という叫び声が聞こえるとはさすがに言わないが、もっと先まで歩きたくなる。結果的には無駄に疲労困憊し、翌日以降にマイナスの影響が出てしまうことの方が多いだろう。あらかじめ行程を決めておくことは、この衝動を抑える意味もある。


ホテルにチェックインし荷物を下ろし、まずは冷たいビールを一杯と思って地階のバーに降りると地元のおっさん連中が白ワインのボトルを開けて何やらガヤガヤとやっていた。僕も1杯欲しいと言うとグラスに注いでくれた。1・4ユーロ、200円。40度の中歩いてきて冷たい白ワインを飲めるこの幸せ。おっさんのひとりと乾杯し、一気に飲み干す。まさかスペインで白ワインが飲めるとは思わなかった。


カウンターの上を見ると、巡礼向けの定食の張り紙を発見! 夕飯の時間帯(まだ4時間もある)を待たずに食べられるのが助かる。さっそく注文することにした。飲み物、前菜、メイン、デザートという構成は同じながら、中身は店によって違う。ここは前菜が種類豊富で、サラダ、パスタ、パスタサラダ、ニンニクスープ、マカロニなどから選べた。でも、サラダとスープとパスタって並列な代替財なんだろうか。


テレビではオリンピック中継が流れている。メダル獲得数で日本は4位。なかなか健闘中のようだ。料理を食べながら、ぼんやりとテレビの映像を眺めているとニュースに変わった。おお、カタルーニャ州旗を背景になつかしのプッチダモンの顔が映し出されている。僕がかつて滞在したバルセロナはカタルーニャ州だ。彼は今もカタルーニャ州首相なのだろうか。もちろんニュースの内容は全然理解できないのだが、字幕スーパーから推測すれば、独立運動かなんかの話題なのだろう。カタルーニャとバスクは独立運動が盛んな州で、取り分けバルセロナは首都のマドリードよりも経済規模が大きい、つまり中央政府に納める税金は1番なのに、自分たちはそれに見合う扱いを受けていないという思いが強い。まあ、現実に独立が実現することはないだろうが、とにかく常に姿勢は示しておきたいということなのだろう。


今映っているのは天気予報。言葉が分からなくても内容が理解できるので、僕は天気予報は好きだ。やはり明日も40度近くまで上がるらしい。こりゃ、明日も早起きしないと。

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