8月9日 シルエニャ〜ベロラード 曇りのち快晴

朝方は寒い。気温は20度だけど、丘の上という立地のために風が吹いている。バックパックに括り付けてあるパーカーを羽織ろうかと考えたけど、どうせすぐに気温も上がるのだし、何よりも面倒なのでそのまま歩くことにした。実際、2時間も経たないうち、サントドミンゴに着く頃には曇り空はすっかり快晴に変わっていた。


サントドミンゴの町はカミーノ巡礼に古くから縁がある。このくらいの規模の町を通過するのは面白い。お店や住宅とは違う、立派な教会や大聖堂があると通り過ぎるだけでも観光している気分になる。サントドミンゴにはパラドールもある。パラドールとは歴史的に価値の高い建造物、例えばかつての宮殿とか修道院を改装した国営ホテルのことで、僕のイメージは「豪華」かつ「無縁」。しかし、巡礼路沿いにパラドールの実物を見て想像していたよりも質素な建物だと感じた。説明書によれば、大聖堂と向き合うこの建物は12世紀に建てられた救護院で、当時は巡礼者の宿泊施設として使われていたそうだ。こういう由緒なら泊まったいかも。念の為、booking.comで価格を調べてみると140ユーロくらい、1泊2万2千円ほど。高いけど手が出ない金額ではない。巡礼達成までに1度くらい考えてみようか。


町と町の風景は変わり映えもしないが、昨日までと違って赤茶けた大地が減り黄土色が増えてきた。そう言えばサントドミンゴの建造物もすべて黄土色やベージュ系の柔らかな色だった。この辺りまでくると葡萄畑も滅多に見かけなくなり、刈り取り後の小麦畑か向日葵畑が大半になる。向日葵畑もすっかり見慣れた。道沿いの最前列の向日葵は種をむしって顔を描くのはもうお馴染みなのだが、それに慣れると顔が描かれていない向日葵が逆にのっぺらぼうに見えて不気味に思えてくる。あれ? 向日葵って本当にこんなに怖い顔してたっけ? しばらくして合点がいった。普通の向日葵はそもそも「顔」がもっと小さいのだ。せいぜい直径5センチくらい。それにやはり5センチほどの鮮やかな黄色の花びらが顔を囲んでいて、実に健康的に見える。ところが、いま目の前にある向日葵は顔がでかいのだ。直径20〜30センチほどもある。周りの花びらはサイズが5センチほどで、しかも萎れているので、全くの別物に見えるというわけなのだ。


リオハ州の最後の町、グラニョンに到着した。公園でひと休みしていると、まだ少年といった感じの自転車巡礼がやってきた。そのすぐ後に女の子、そして男の子が乗る自転車がやってきた。さらにお母さん、お父さんと続く。目を引いたのは、お父さんの自転車には小さなリアカーが接続され、中に年端もいかないお姫様がちょこんと座っていた。全部で6人の巡礼家族だ。


僕が砂利道の登り坂をノロノロと歩いていると、後ろからさっきの巡礼家族が自転車で僕を追い越していった。けれども人数が足りない。後ろを振り返ると、お父さんだけが自転車を降りてフウフウ息を切らしながら坂を登っている。ブエン・カミーノと声を掛け、リヤカーにおわすお姫様の年齢を訊ねると4歳だと教えてくれた。僕と同じサン・ジャンから巡礼を始め、だいたい1日に35キロくらい進むそうだ。普通の自転車巡礼ならたぶん7、80キロといったところだろうからペースはだいぶ遅いが、それも分かる気がする。

「困った事がひとつあってね」とお姫様のお父さんが打ち明けた。「僕たちはみんな宿に着くとヘトヘトで夜はゆっくりと眠りたいんだけど、この子は」と言ってリヤカーを見る。「全然疲れないから夜眠りたがらないんだ」

そりゃそうだろう! あと3、4年もすればこの子も自分で自転車に乗れただろうに、それまで待てなかったのか。


登り坂を並んでお喋りしながら歩く。

「カミーノってさ、1回やり終えてもまた次に出たがる人がいるんだよ」

こめかみに当てた人差し指を何度か左右に回す仕草をしつつ、ちょっとアレだよね、という感じでお父さんがそう言ったが、僕に言わせれば4歳の娘をリヤカーで運びながらの巡礼というのも十分にアレな気はする。本当にスタイルは人それぞれなのだ。ようやく坂を登り切ると、ほかの4人に追いつくようにお父さんは猛スピードで坂を駆け降りていった。後ろ姿を見送りながら、リヤカーが大丈夫なのかどうか、ちょっと気になる。


レオン州に入った。ここから、今日の目的地のベロラードまでは2〜4キロくらいの短い間隔で町や集落がある。気温はとうとう35度まで上がってしまったが、休憩を取りやすいし、水分も補給しやすいから安心感がある。


今日、追い抜いたり追い抜かれたりで3回くらい「ブエン・カミーノ」の掛け声を交わしていた巡礼とまた再会した。なんとなしに「暑いね」と声を掛けると「うん、明日は42、3度になるらしい」と彼が答えるので、思わず大声を出してしまった。42度! 熊谷とか前橋でもそこまでは上がらないだろうに。


彼の名前はホセ、もっともポピュラーなスペイン人の名前だ。スペイン北西部のガリシアに住んでいるというので、サンティアゴ巡礼は巡礼であると同時に帰省でもある。僕が日本人と知ると、日本文化は実に素晴らしいとホセは言った。アニメが素晴らしいし、マンガもすごい、コミックも他に類を見ない! 日本文化って、これ全部マンガ系じゃん。ドラゴンボール、アキラ、ベルセルク、鬼滅の刃、……と次々とマンガのタイトルを連発する(ほかにも沢山聞いたのだが、いかんせん僕自身が漫画をあまり見ないのでタイトルが記憶に残らない)。


「日本人は働きすぎる」とホセ。いきなり何だ? と思ったら「ベルセルクの作者のケンタロウ・ミウラは漫画を描きながら仕事中に死んでしまったんだろ?」それは初耳だが、作者名までよく知っていると感心した。


「えーと、こういうの日本語で何て言うんだっけ」

「過労死?」

「そうか、『カロウシ』か」

その後も話題がアニメになれば宮崎駿はスペインでは超絶有名だとか、僕が子供の頃のアニメはと言いかけると「サザエさん!」と被せてくるし(僕はホセに自分の年齢を伝えていた。なんとホセは1つ下だった)、クールジャパンの威力は侮れない。サザエさん一家は昔は標準的な家族だったけれど、今はあんな大家族は少ないし、東京みたいな都会ではあんな大きな家に住むなんて出来ない。そんな事をホセにたどたどしいスペイン語で伝えたら、スペインも同じらしい。話題は家族構成に移り、スペインの出生率は1.2だから年金が社会的に問題になっているんだ、とホセはため息混じりに話していた。


ホセと話しながらだったので、ベロラードにはあっという間に着いてしまった。お喋りしながらというのもたまには良い。

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