8月8日 ナバレテ〜シルエニャ 曇りのち快晴

今日は最高の天気だ! 空一面に薄い雲がかかっていて白と灰色のまだら模様ができている。今日も昨日と同じように32キロほど歩く。朝7時に22度くらいだった気温がほとんど上がらない。やはりこうでなければ! 涼しいと歩みが全然違う。疲れにくい。こんなに気分良く歩けるなんて! ゆっくりと歩いていたつまりだったが、中継地のナヘラまで16キロを4時間で歩いてしまった。


町の名前が付いた大きな川に架かる橋を渡るとナヘラの中心街に着く。ログローニョなどの都市とは比べるべくもないけれど、ナヘラの町もそれなりに大きい。ガイドブックによれば11〜12世紀半ば、サンティアゴ巡礼がまさにブームの絶頂を迎えていた時期の、ナバラ王国の首都だった。由緒ある町ということだ。


それでも僕にとっては歴史ある建造物や教会よりランチが重要だ。今朝は朝食を抜いてしまったのだが、そういう時に限って町と町の間が長く、ここまで食事にありつけなかった。昨日の夕方に食べた巡礼向け日替わり定食のコスパの良さに味を占め、「日替わり」の文字を探して歩いているのだが、全然見当たらない。そうこうするうちに町の終点あたりまで来てしまい、仕方なくオムレツ、揚げエビ、カフェコンレチェの簡単なランチを済ませた。


さあ、今日はここからあと15キロだ。最後の最後に少し急な登り坂があるけれど、時間も十分あるし、ゆっくり歩こう。ただし、ひとつ気掛かりなのは、空の雲が千切れ始め、その合間から水色の嫌な空が顔をのぞかせている。


空模様に気を取られていたわけではないが、ぬかるみに足を突っ込んだ。地面の固さを見誤ってしまい、一歩踏み込んだらそのままズボッと行ってしまった。クロックスの半分が泥中に沈み、靴下もぐちゃぐちゃ。ああ、やってしまった。さっきまでずっと気分良く歩いていたのに、その気分が台無しになってしまった。歩くたびに、足元がジュッ、ジュッと嫌な音を立てる。でもまあ、良い方に考えよう。これがサンダルじゃなく靴だったら、こんなものでは済まない。傷は浅い!


アソフラの町に到着。靴下は濡れたままだが、サンダルに付着した泥汚れは乾燥して赤っぽい土汚れに変わっている。興味深いことに、町の建物がやはりどれも同じ色をしている。この辺りの土や泥を焼いて建築素材にしているのかも。こんな小さな町なのに公営巡礼宿があるのも不思議だ。歴史上、巡礼的に何か重要な役目を持っていたのか? その公営巡礼宿への順路を示す看板に見慣れたステッカーが貼られていて思わず笑ってしまった。菅笠と杖のお遍路さんに「歩きへんろ道」の文字。四国では目を皿にしてこのステッカーを探したものだ。誰かが持ってきて貼ったのだろうが、なかなか洒落が効いている。


アソフラの町を出る頃には、あれだけあった雲がすっかり姿を消してしまった。もうすぐ13時。これからが一日で一番暑い時間帯だというのに、もう少し気を利かせてほしい。公園でクロックスの土汚れを落とし、ついでに靴下も水洗いした。さっきまでよりはだいぶマシになった。


シルエニャまでは途中に町や集落はなく、あとはひたすら周囲を畑に囲まれた巡礼路を歩いていく。本当に文字通りに畑以外はなんにも見えない。緑と茶色の世界が続いている。茶色には2種類あって、小麦が何かの刈り入れが済んだ畑の、これは黄土色に近いもの。もうひとつは赤土色で葡萄畑はこの色だ。畑はあるくせに道沿いに木が生えてないので木陰がない。気温は32度。やっぱりこうなるのか。


最初は半分ほど舗装されたデコボコ道だったのに、いつのまにやら足元が砂利道に変わっている。景色の変化が乏しいせいで気づかなかった。巡礼路は真っ直ぐ一直線に伸びているのに、僕の前後に巡礼の姿が見えない。昨日と同じく、午後になると人数がぐっと減るからなのだが、これは別に心細いとかではなくて、道が正しいのかどうか確信を持てなくなる不安さがある。だいたい、次の町は4キロくらい先にあるはずなんだから、遠くに見えてもよいはずなのに。


おや? 木陰に自転車が見える。近づいてみると、昨日も見かけたギターマンだった。木と木の間にハンモックを吊るして優雅に休憩中の様子。僕に気づくとハローと声を掛けてきた。これは珍しい。僕もハローと応えてから、気になっていたギターについて訊いてみた。

「ギター弾いてるの?」

わざわざギターを背負ってるんだから愚問ではあるが、一応そう訊ねた。すると「うん、いま練習中。移動しながら練習している」という、どちらが主なのかよく分からない返事。ギターマンはバルセロナから自転車で巡礼しているとかで、今日で2週間とのこと。

「それにしても荷物が多いね。前輪と後輪に左右2つずつだもん」と僕が言うと、

「これが僕の家だから。他の人よりも多いんだ」

カネがないからホテルやアルベルゲも泊まらない。明日までここにいるかも、という。自転車なのに僕とほとんどスピードが変わらない理由がよく分かった。それにしても色んなやり方があるものだ。


さて、そろそろ行こうかなと、「ブエン・カミーノ」と定番のセリフを口にすると、彼は短くチャオと返してきた。そうだった、バルセロナの人たちは別れ際によくこの言葉を口にするのだ。なんだか少し懐かしい。


さすがにもう1キロも離れていないはずなんだけど……と少し不安になりかけたその時! 登り坂を登り切って道が平らになった瞬間に前方にシルエニャの町が姿を現した。なるほど、だから登っている最中には見えなかったのか。思わず「とうとう見えた! 町だ!」と大声で叫んでしまった。すぐ目の前に影になった公園があり、4、5人くらいの巡礼が昼寝休憩(シエスタ?)していたのだが、僕の快哉の叫びでそのうちの何人かを、ぎょっとして身を起こさせてしまった。申し訳ない。


町の起点あたりにゴルフ場があり、中程に進むと大きなプールが沢山の家族連れで賑わっていた。建売住宅のような企画化された住宅が何軒も並んでいたり(日本と違ってスペインではまず見かけない)、コンドミニアムがあったり、シルエニャはスペインのリゾート別荘地なのかもしれない。巡礼宿が何軒かかたまっている区画は一番奥なのだが、こう言っては申し訳ないが、やや見窄らしい、古い建物が多い。まあ棲み分けが出来てると言えなくもない。


僕が予約しておいたのは民泊。ここは立派な建物だ。オーナーのおじさんが案内してくれた部屋はかつてご家族の誰かが使っていたと思しき素敵な部屋で、壁際には両開きの扉が3つ付いた大きなクローゼットがデンと置かれている。民家なので部屋の外にバスルームがあるが、今夜は他に宿泊客がいないらしく、独り占めできる。私は下にいるから、何かあったら下に来て部屋をノックしてください、と僕にも分かるように易しいスペイン語でゆっくりと話してくれた。よい所を選んだ!


この辺りの夕飯は19時から。宿の目の前のバーも19時半くらいから続々と地元の人たちが集まり始める。店内ではなく、軒先のテーブルが次々に埋まり、まずは誰もかもがビールやワインを飲みながらお喋りし始める。いいなあ。スペインのよくある光景。これが好きだ。


僕はジャッキのビールとシーフードのパエリアを注文。リオハ州に入ってしばらくしてから、レストランのメニューにパエリアを見かける事が増えてきた。スペインに来てようやくパエリアにありつけた! 大好物なのだ。それとサラダを頼もうとしたら、姉御肌の店員に「パエリアだけで十分だと思うわ」と言われ思い直した。20分後、パエリアご到着。美味しそう! 本当にあっという間に平らげてしまった。しかし、全然足りない。さっきの女性に「まだお腹が空いています。チキンのパエリアをお願いします」と言うと「あり得ない!」と返ってきた。いや、有り得るよ。昼に軽食をとっただけで30キロ以上歩いてみれば分かる。こうしてシルエニャの一日が過ぎてゆく。

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