8月5日 プエンテ・ラ・レイナ〜アイェグイ 快晴

すっかり熟睡した。腹も減っている。それと足首、ふくらはぎ、太もも、お尻、腰、背中、肩、およそ全身の筋肉痛。感覚がしっかりと正常に戻ったという感じがする。昨日は一睡もしないまま40キロ以上も歩いていたというのに眠くもなければ腹も減らなかった。トルティージャ・デ・パタータ(スペイン風ポテトオムレツ)、パン、カフェ・コン・レチェ(カフェオレ)の朝食をとる。


9時出発。気温はすでに26度だが、1時間後には30度にまで上がった。そして日中の1番暑い午後3時の気温は38度。湿度が低いので日本よりも体感温度は低いが、日差しは伊達ではない。


プエンテ・ラ・レイナ(女王の橋)という町の名前の通り、石造りの門の手前、町の入り口に橋が架かっている。そこに集まってお喋りしていた少年たちに声をかけ、門を背景に写真を撮ってもらった。この巡礼で初めて自分が写る写真をゲットした。


しばらく歩くうちに気づいたが、股の痛みがない。良かった! 昨日の処置が効いた。股擦れに限らず痛みは歩くスピードを劇的に下げる(昨日は例外的に、途中から痛みをさほど感じなくなっていたのだが、これは色んな感覚がおかしくなっていたのだと思う)。その代わり今日は筋肉痛があるが、僕の場合、痛みのワースト3は順に足の水ぶくれ、股ずれ、筋肉痛なので、筋肉痛は1番マシだ。それに歩くのに支障があるほどじゃない。


すっかり見慣れた向日葵畑と葡萄畑。昨日見た葡萄はすべて緑色だったが、ここのは部分的に紫に色付いている。作業中のおじさんに「ワイン向け?」と声を掛けると、そうだと頷く。


この地方は葡萄栽培がとても盛んなのは分かったが、途中の集落で、ベランダの軒先に伸びた葡萄の手入れをしているおじさんの姿を目にした時は驚いた。家庭菜園の一種なのだけど。


今日は2組のアメリカ人巡礼と言葉を交わした。どちらも僕が日本人だと知ると、日本にも88のお寺を巡る巡礼路があるだろ? と聞いてきた。普通ならフジヤマゲイシャと来るところを(もちろんこれは冗談だけど)真っ先にお遍路とは、ちょっと情報に偏りがある。さすが巡礼。そのお遍路を2年前にやり遂げたと答えると、彼らの顔に尊敬の眼差しが浮かんだ。どうやら価値観にも偏りがある(僕は誇らしい気分になれたが)。


小さな町や集落をいくつか通過して、今日の行程は23キロほど。多少のアップダウンはあれど、40キロ以上歩いていた昨日、一昨年と比べたら楽ちん過ぎるくらい。まあ、だから大して疲れることもなかろうと思い、今晩は公営巡礼宿(アルベルゲ・ムニンシパル)を予約しておいた。


正直に言うと、今回のサンティアゴ巡礼ではもう公営巡礼宿に泊まる気はない。単純な話、ドミトリー(大部屋)は気が休まらないからだ。可能性は低いが盗難の被害に遭う恐れだってある。僕も20代の頃は何度もドミトリーを利用したが、それは値段が安いからに他ならない。しかし、30代になって退職に就き、40代に入って稼ぎも増えた。カネで買える安心なら買っておきたい。そんな心境にも関わらず、今夜の宿を公営巡礼宿にしたのは、前述の理由に加え、1度も宿泊せずに巡礼を終えるのに、何となく後ろめたさを感じたことによる。


エステージャの町外れ、坂を登った所にある公営アルベルゲ「サン・シピリアーノ」。受付で予約の確認後、巡礼手帳を出してと言われる。公営巡礼宿は巡礼手帳がないと宿泊できないことになっているためだ。久しぶりに他人の手で日付を入れてもらえた。


使い捨ての不織布のシーツと枕カバーをもらい、2段ベッドが8台並んだ大部屋に入る。先客がすでに1人いて、スースーと寝息を立てている。ちなみに先客は女性。公営巡礼宿はドミトリー(大部屋)なので、基本的には男女別になっていない。僕は部屋の入り口に1番近いベッドの下の段を確保した。ここだけ、頭の位置の壁にコンセントのプラグがある。


それにしても、部屋に空調が作動している気配がない。暑い、というか暑過ぎる。時々外の風がふわっと入ってくるのが救いか。公営巡礼宿は毛布などの貸し出しもないため、施設にによっては寝袋持参でないと泊めてくれないと本で読んだ。だから、今回の巡礼のために安い寝袋を用意したのだが、とてもじゃないが寝袋なんかに潜り込んだら蒸し死にする。まったく何のために寝袋をバックパックの貴重なスペースに詰め込んできたのやら。


シーツと枕カバーをセットし、ひとまずシャワーを浴びに行った。一応、貴重品だけはすべて持っていく。男性用シャワーは4か所。そのうち1か所は障がい者も困らないように広いスペースに手すりが設置されていて感心した。


シャンプーや石鹸が無いのは当然としてタオルもない。これは予想通りなので、僕もタオルは持参している。ただの行水でも汗を流すと気持ち良い(お湯は出る)。


そろそろ腹ごしらえしたい。近所にはレストランが2軒あるので、そのうち近い方の1軒に行く。スナックやソフトドリンクの24時間営業の自販機があるのが珍しい。レストランの前までくると店先で食べる客向けのパラソルが全て畳まれている。時刻は6時半。ひょっとするとまだ開店前だったか……と思ったが、扉の張り紙を見ると「お祭りの開催期間に付き、ディナーは1週間お休みします」。隣の自販機もチェーンロックがかかっている。24時間営業してないじゃん。


気を取り直して別のレストランへ。こちらはホテルに併設のレストランだから休業中という事はないはず。5分ほど歩いてレストランに着くと営業中でホッとひと安心。ところが、こちらも料理は出せないという。時間帯の問題かと思い尋ねると早口のスペイン語をガーッと捲し立てられたが、要は今日は終日料理の提供は無しという事のようだ。


たぶん、どこも同じなのだろう。幸いカウンターに作り置きのフランスパンのサンドイッチ、ボカディージョが並んでいたので、それとビールを注文した。ビールが2.5ユーロ、ボカディージョが6ユーロ。少々物足りないが、これで良しとしよう。寝る所さえなかった一昨日に比べたらなんてこともない。


店内ではテレビでオリンピックのサッカー試合が放映されていた。スペイン対モロッコ。モロッコは1週間旅行した事があるので思い出もあるが、このカードなら断然スペインの応援だ。中継の合間にその他の種目の結果や選手へのインタビューが映るが、当然すべてスペイン人だ。オリンピック放映の合間に番組案内が入るのだが、それに見覚えがある。よく見るとrtveという放送局で、1年間のスペイン滞在中によく観ていたチャンネルだった。なんだか懐かしい。


飲料水を確保しようと近所のスーパーにも足を伸ばす。このチェーン店は初めてだが、中の作りはこれまた懐かしいスペインのスーパーマーケットだ。搾りたてのオレンジジュースを提供する搾り機もある。スペインではオリーブオイルがとにかく安かったんだよなあと記憶をたぐりながら値札を見ると、別に安くない。円安がスーパーの棚を何もかも変えてしまった。


普段なら絶対に買わないだろう、甘そうなフルーツジュースと1リットルのペリエを購入。これで2.33ユーロ。巡礼路沿いに数は少ないが、スーパーがあれば飲み物はそこで調達するに限る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る