第三章1


「そう…やっぱりあなたが…。」


駅近くの喫茶店に連れ出された私は、渋々彼女の前の席に座っている。


本当なら無視してすぐにでも帰るつもりだった。


でもそれが出来なかったのは…。


「お姉ちゃん…行っちゃヤダ…ヤダヤダ!」


そう言って泣き出す妹と名乗る女の子。


そして、


「勝手なのは分かっています。


でも少しだけで良いので時間を頂けませんか?」


そう言って必死に食い下がってくるその子の母親。


実際、ここで断ってあのクソ親父みたいに付きまとわれても面倒だ。


話ぐらいは聞いてみても良いのかもしれない。


「改めてご挨拶が遅れましたが私は小池真希と言います。」


「小池…。」


自分と全く血の繋がりがないのに、同じ苗字を聞くと本当にあのクソ親父の不倫相手なんだなと思う。


いや、もう再婚相手になるのだろう。


思わず舌打ち。


それにビクリと肩を震わせながら、その女、真希は深々と頭を下げる。


「本当にすいませんでした!」


「いや…謝られても困るんだけど。」


今更謝られた所で事実が変わるわけじゃない。


むしろ謝ってほしいのはあのクソ親父の方だ。


まぁ、謝られても許すつもりはないのだが。


「ごめんなさい、本当にごめんなさい…私……本当に何も知らなくて。」


言いながら悲痛な表情を浮かべる彼女。


そんな顔をされたらまるで私が悪者みたいだ。


「何も知らなかったって…。


じゃあなんで今この場にいる訳?


私の事知ってて連れ出したんじゃないの?」


その表情だって演技かもしれない。


こうしてここに来たからには聞きたい事は聞けるだけ聞き出してやる。


「あなたの事を知ったのは最近なんですよ…。」


「はぁ…?」


「当時私は彼が本当は既婚者であると知らずお付き合いをしていたんです。 」


知りたくなかった事実だった。


つまり、あのクソ親父は私達とまだ家族を続けている間も平然と彼女とお付き合いをしていた。


つまりだ。


私が裏切られたと感じたあの時よりも以前にあのクソ親父は私達を裏切っていたのだ。


思わずまた舌打ちをしてしまう。


それに彼女はまたビクリと肩を震わせる。


「あなたの事は彼から聞いて知りました。


真理が産まれて結婚が決まり、彼が本当は既婚者で、これまで黙っていた事。


真理が産まれた事で、元の奥さんと離婚し、家を出た事を聞かされ、私は頭が真っ白になりました。」


聞けば聞くほど苛立ちが増す。


つまりお母さんが捨てられたのは、不倫相手との間に子供が出来たから。


「でも情けない話し私はその話を聞いて彼を突き放す事なんて出来なかった。


身寄りが無かった私に、一人で真理を育てていく覚悟も勇気も無かったんです。」


「何よ…それ…。」


クソ親父が不倫した地点で、私達の家族は既に壊れていた。


だからその意志を責めて、彼女がクソ親父を突き返してきた所で…だ。


もう絶対に元になんて戻らない。


結局一番悪いのはクソ親父で、でもそんなクソ親父と知らずに付き合っていた彼女も知らなかった事が罪で。


いっその事彼女があのクソ親父の元家族である私達を鼻で笑うようなクソ女なら憎む事も出来た。


苛立ちをぶつける事だって出来たのに。


やり場の無い苛立ちに涙すら浮かんでくる。


「ご、ごめんなさい…こんな話聞きたくなかったですよね…!」


ハンカチを差し出してくる手を私は払う。


「良いから続けて。」


「あ…はい。


真理が今ぐらいになって一人子だった彼女が寂しがっていた時に彼からあなたの事を聞きました。


真理には義理の姉に当たる人物がいる、名前は摩耶…。」


「あのクソ親父…。」


それで今更になって私の元に顔を見せたと言うわけか。


「真理もあなたの写真を見てずっと会いたがっていて…。


だから実際にあなたに会えて本当に嬉しかったんだと思います。」


「うん!私お姉ちゃんとずっとお話したかった!」


「私はあんたと話す事なんてないし、あんたのお姉ちゃんなんかじゃない。」


冷たい言い方だと思われるかもしれない。


でも仕方なかった。


それを認める事はつまり、あの時は確かに楽しくて幸せだったあの時間を自分で否定すると言う事でもある。


今ではあいつと血が繋がっている事すら許せないのに、それを認める事にもなる。


「お姉ちゃん…。」


「お姉ちゃんって呼ばないで。」


もし、こんな形じゃなければ。


例えば真理がお母さんの子供なら。


なんの迷いもなく家族と呼べる存在であったなら。


きっと私は不器用ながらに喜んで彼女を受け入れていただろう。


そんなありもしない妄想を振り払う。


確かに私は寂しかった。


本当は妹が欲しかった。


お姉ちゃんでも良い。


そんな願いを、何もこんな形で叶えてくれなくたって良いじゃないか。


背後から泣き声がするが構わず、私は店を出る。


そのまま走る。


振り返らずに必死に。


溢れ出した涙をアイツらに見せたくなんてなかった。


が、途中バランスを崩して盛大に転ける。


「なんで…なんでこうなるのよ…。」


手と足は擦りむけて血が出ている。


「いった…。」


ヨロヨロと立ち上がり、また歩き始める。


「摩耶ちゃん!?」


見ると、慌てた様子で静がこちらに駆けてきていた。


どうやらたまたま帰宅中だったらしい。


「大丈夫!?


酷い傷…!」


「静…静ぁ…!」


思わず静に抱き着く。


「わっ!?


本当にどうしたの…?


えっと…とりあえず家来る…?


手当てしないと。」


私は無言で頷く。


その後彼女の家で手当をしてもらった。


静に何があったのか聞かれた物の、話す気になれなかった。


「そっか…。


今は無理でも時間が経ってからで良いから話してほしいな。


力になれるかどうかは分からないけど…。」


「うん…。」


静は優しい。


でもこんな複雑で重たい話を今静にしたってきっと彼女を困らせてしまう。


そう思うと私は申し訳ないと思いながらも結局何も言えなかった。


静目線。


佐藤君に誘われて行ったファミレス会の帰り道。


ほかのメンバーとそれぞれ別れた後もなんとなく私は帰る気になれず、今日の事を恵美ちゃんに電話で話す事にした。


「ふーん、なるほどね。」


「私、あんなに助けてもらったのに全然役に立ててなくて……。


どうしたら良いんだろ……?」


「……どうもしなくて良いんじゃない?」


予想外な答えが返ってきた。


「え!?そんな……!」


「良い?静。


私にも、あんたにも悩みはあるでしょ?」


「え、恵美ちゃんも悩みがあるの!? 」


「失礼な……!私だって日々悩みの一つや二つくらい!」


「悩み……!?何!?」


「…………今日の晩御飯何かな……?とか……。」


「ぷっ...。」


「ほら!?笑うじゃん!?」


「あはは、ごめんね。


恵美ちゃんらしいなって。」


「ゴホン!……まぁ……さ?


誰しもさ、大なり小なり悩みはある訳よ。」


「うん、それは……そうだよね。」


「真面目に言ってるんだから笑うのやめい!」


怒られた。


「でもさ、多分人に言い辛い悩みとか誰にも言えないような悩みもあるんだよ。」


「うっ……うん……。」


「そんな落ち込むような事じゃないってば。


良い?静。


話して欲しいから話してって感じだと、それって結局相手の意志とは関係無しにただ自分が聞きたいだけじゃん。」


「っ……!」


「本当に摩耶の事が心配なんならさ。


あの子が話したいって思うまで待ってあげるのも優しさなんじゃない?」


「で、でも……。」


「大丈夫。


あんたは何も出来てない訳じゃない。


本当に辛い時ってさ、誰かが傍にいるだけで助けられる事だっていっぱいあるだから。


あんたもそうだったんじゃないの?」


「うっ……うん!」


確かにそうだ。


一緒に泣いてくれた摩耶ちゃんの存在が、確かに私の心の支えになった。


「ありがとう、恵美ちゃん。


私待ってみるよ!」


「ん。


まぁ、気長にね。」


電話を終えてそろそろ帰ろうと歩き出していると、目の前に摩耶ちゃんが倒れているのが目に入る。


「摩耶ちゃん!?」


慌てて歩み寄り、その小さな腕を支える。


よく見ると泣いているように見える。


「大丈夫!?


……酷い傷!」


傷口を見て心配の言葉をかけると、急に摩耶ちゃんが抱き着いてくる。


そんな摩耶ちゃんを見てすぐに事情を問い詰めたくなったが、さっきの恵美ちゃんとの会話を思い出す。


話を聞く事だけが優しさじゃない。


相手が話したくなるまで待つ事だって優しさなんだと。


「はい、手当て終わり。」


「ありがとう、静。」


家で彼女の傷を手当てして、しばらくは何でもない話しをしてから、彼女を玄関先まで見送る。


「摩耶ちゃん、また明日ね。」


「うん、本当ありがとう。」


その言葉を聞いて私はちゃんと力になれたんだと思えて、心が温かくなるのだった。

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