第二章1
1
摩耶目線
小学生の頃の私は、自他共に認めるお父さんっ子だったように思う。
「真理、摩耶帰ったぞー!」
「パパ!」
「あなた、おかえりなさい。」
夕方、その声を聞くと、すぐに出迎えに行って飛び付いたりもした。
そんな私を仕事で疲れているだろうに嫌な顔一つ抱き返し頭を撫でてくれる。
「ははは、ただいま、摩耶。
今日は給料日だったからケーキを買って来たんだ!
摩耶の大好きなショートケーキだぞ!」
「本当!?やった!」
給料日にはこうして大好きなショートケーキを買って来てくれて。
「おいおい、そんな慌てなくてもケーキは逃げないぞ?」
生クリームを口の周りに付けてケーキを食べれる幸せを噛めしめていたら、そう言いながら口に付いたクリームをペーパータオルで拭ってくれる。
そんな姿を見て洗い物をしていたお母さんも笑う。
この何気無い日常が、私は好きだった。
お母さんが居て、そしてお父さんが居て、そこに私もいるこの日常が、何よりも変えがたく、大好きだった。
それからこんな事もあった。
「さぁ、摩耶。
何が食べたい?」
その日は近所の花火大会。
沢山の祭り客でごった返すその会場で、私は沢山の屋台に目を輝かせていた。
「りんご飴!綿菓子!あとかき氷とベビーカステラ!」
「なんだ、全部甘い物ばかりじゃないか。」
「こぉら、ちゃんと甘い物以外も食べないと駄目よ。」
笑って答えるお父さん。
でもお母さんには怒られてしまった。
「とりあえず焼きそばでも買おうか。
摩耶、はぐれないようにな?
……って摩耶!?」
「嘘!?さっきまで確かに居たのに……!」
甘い匂いに釣られた私は、気が付くと二人とはぐれてしまっていた。
「あれ……?お父さん?お母さん?」
辺りを見回してもその姿は無い。
自分が一人になってしまった事。
湧き上がる不安で次第に涙がこぼれてくる。
その横を怪訝な顔で通り過ぎる祭客。
声をかけてくれる人はいない。
そんな時。
「摩耶!」
人混みの中から叫び声と共に手が差し出される。
「お父さぁん……!」
「良かった、本当に良かった。」
すぐに抱きつくと、少し汗の匂いがする。
ここまで走って探し回ってくれたのだろう。
「ごめんなさい!ごめんなさぁい!」
泣きなが謝る私をお父さんは優しく撫でてくれる。
「摩耶!もう……心配したんだから。」
「お母さん!」
お母さんも駆け寄ってくる。
それからは三人仲良く手を繋いで祭を回った。
探し回って疲れていただろうに、お父さんもお母さんも気にせずに私が行きたいと行った場所全てに連れて行ってくれた。
本当に二人が私の親で良かった。
幼いながらに私はそう思っていたし、きっとそんな二人と過ごす幸せな日常がこれかもずっと続くんだと思っていた。
でもそれは、後に最悪な形で裏切られる事になる。
「お父さんまた帰って来ないの?」
「……急な出張が入ったんだって。
明日の夜には帰るって言ってたから……。」
そう言うお母さんの声に元気は無い。
私が中学生になった頃、お父さんは度々家を空けるようになった。
会話をする機会も顔を合わせる機会もそれまでより減ったし、俗に言う反抗期に入っていた私はその頃から父さんを疎ましく思うようになった。
「ただいま!
いやー、疲れた。」
ある日、時間的にもう日付が変わった頃に帰って来たお父さんがそう言って家に入る。
「あぁ、あなた、お疲れ様。」
そう言って作った笑顔を浮かべるお母さんの目にはうっすらクマが見える。
それはいつも父が帰るまで、もしくは連絡があるまで寝ずに待っているからだと私は知っている。
連絡がない時だってある。
お母さんが心配して送ったメッセージを読みすらしない事も。
それなのにお母さんは律儀にその帰りを待ち続けるのだ。
見かねた私はある日お父さんに直接聞くことにした。
「ねぇ、なんで最近こんなに遅い訳?
今までこんな事無かったじゃん。」
「そう言うなって。
今順調でこれからって時なんだ。
その内出世したらもっとデカくて美味いケーキを食わせてやるよ。」
「別にいらない。
それよりもお母さんのメールに返事くらいしてあげてよ。」
「悪い悪い、忙しくてね。」
「本当に悪いと思ってるなら私じゃなくてお母さんに謝ってよ。」
「分かった分かった。」
なんだかめんどくさいから適当に流されているような返事に内心苛立つ。
でもこれで少しは直してくれるだろうと思ってしまう辺り、なんだかんだ私はお父さんを信じる気持ちをまだ持っているのだろう。
そしてそれはあっさり裏切られる。
「ただいま。 」
家に帰って、開いていたドアを開きながらそう言うも返事はない。
「お母さん?」
家の中も真っ暗で人が居る気配はない。
もしかしたらお母さん閉め忘れて出掛けたのかな…?
それとも…まさか空き巣!?
とは言えそんなのが居るような物音はしない。
単純に私の声が聞こえたから息を潜めているのかもしれないが。
そう思うと怖くなって思わず玄関に置いてあった外掃き用の箒を手に持ち、恐る恐るリビングに足を進める。
まぁこんな物があっても実際に空き巣犯と出くわしたら太刀打ち出来るわけがないのだが、まぁ無いよりマシである。
足音を忍ばせ、一歩一歩足を進める。
その間、無音。
それだけに余計に自分の呼吸音でさえとても大きな音に聞こえてくる。
でもなら誰も居ない?
そう考えたところで、リビングのドアの前までたどり着く。
恐る恐るドアを開けて気づく。
確かに人は居た。
私のよく知る人物が。
「お母さん?」
リビングの椅子に座り、ただカーテンから差し込む光を見つめる母の姿。
その目は虚ろで、私が帰って来た事にすら気付いていないのが分かる。
「お母さん!ねぇ!お母さん!」
近付き名前を呼びながら揺さぶる。
そこで、ようやくお母さんは私が帰った事に気付いたようだった。
「……あぁ。
摩耶……帰ったのね。」
「お母さん!一体どうしたの!?
何があったの!?」
「ごめんね、摩耶。」
「なんで謝って……。」
「私が不甲斐ないから……こんな事に……。」
その後、落ち着いた後になって、お母さんはついさっき何があったのかをゆっくりと話してくれた。
結論から言うとお父さんが浮気していて、その浮気相手と共に家を出て行ったらしい。
「何それ……許せない……!」
それも、その相手との関係はつい最近始まったばかりと言う事でもなかったらしい。
最初は数週間に1回だったその浮気が最近になって関係がより深まり、今回の自体を招いたのだと言う。
そんなクソ親父を、お母さんは目にクマを作りながら毎日待っていたと言うのか。
「摩耶……ごめんね……。
私のせいで……。」
「なんでお母さんが謝るのよ!?
悪いのは全部あのクソ親父じゃない!」
「違うの……。
私がもっとあの人の事を……。」
「やめてよ!!」
イライラする。
お母さんを最悪な形で裏切ったクソ親父にも、それが自分のせいだと自分を責め続けるお母さんにも、どこかでこうなる前に気付けたかもしれなかった自分自身にも。
そこまで考えて、私は小さくため息を吐く。
どうやらホームルームの間にうたた寝をしてしまったらしい。
その間に思い出したくもない思い出が夢に出てしまった。
今となってはもう思い出で、自分なりに向き合えたつもりでいたのだが。
「帰ろ。」
鞄を掴み、既に誰も居ない教室を出る。
下駄箱で靴を履き替え、校門を潜り、いつも通りの通学路を歩く。
どうにも気分が悪い。
さっきあんな夢を見たからだろうか。
さっさと帰ってお風呂にでも入って落ち着こう、そう考えていた私の前に、ソイツは現れた。
「久しぶりだな、摩耶。」
顔を上げ、その顔を見て舌打ちする。
「おいおい、随分な態度だな。」
顔を見た途端に掴みかからなかっただけ褒めてほしいくらいだ。
そう思えるような相手。
私のお父さん、いや……元親父が気さくな笑みを私に向けていたのだ。
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