豚、唱える

 亜竜。それは竜の成りこそないにして、竜や竜人とは異なる進化を遂げたとされる獣。

 硬い鱗に鋭い牙と尾。竜の名残とも言えるそれを持ちながら、蜥蜴のように地や壁を這い獲物を狙う。

 中には竜と呼ぶことすら忌避し、中には獣風情と罵る学者さえいるほど。実際竜人が亜竜と一緒くたにされた時、最大の侮辱と捉え死を以て償わせるとさえ言われるほどだ。


 だが、それはあくまで学問や言葉、文化の話。

 我ら冒険者の中では亜竜は決して侮れない。強さという一点で測るのなら、彼らもやはり竜の端くれに他ならない。亜竜を侮る者三流なりと、冒険者の中ではそんな教訓さえあるくらいだ。

 そんな彼らが魔獣化したのであれば。それは当然、相応に脅威を跳ね上げるということ。

 そしてそのけだものの住処が紅蓮鉱山サラマンディアの亜竜生息帯であれば尚更の話。

 

 ──つまりはだ。このけだものの強さは、並大抵のそれではないということだ。


「ぐっ……!!」


 拮抗する膂力。突進と刺突が衝突し、鈍い音と共に周辺一帯を響かせながら互いは弾かれる。

 衝撃にひしひしと痺れる腕。滑るように後退し、小刻みに震える情けない自らの一部に活を入れながら状況を確認する。

 ここはまだ山道。足場は狭く、逃げ道は少ない。その上ヘルナのことを考えれば、これ以上退く事も出来ない。

 ひたすらに押し進めばいい亜竜。対して地形で不利に陥っている俺。……ぶふっ、状況は芳しくないというわけだ。


「ピグスさんっ!」

「手は出さなくていい。魔獣が苦手なのだろう? 今は無理をしなくていい。俺がいる」


 背後から、恐怖からか震えた声で俺を呼んだヘルナ。

 そんな彼女を制止し、再度こちらを体を向けてくる亜竜へと切っ先を向け剣を構え直す。

 ヘルナには悪いが、怯えている彼女は正直言って足手纏いでしかない。

 恐らくだが、魔獣を怖がっているのは一年前の牛の魔獣が原因であろう。俗に言う、心の傷というやつだ。

 改善には長い年月か、或いはその恐怖を吹き飛ばせるほど鮮烈な経験が必要になる。下手な荒療治は逆効果となってしまうはずだ。

 いずれにしても、今は俺が一人で戦うべきだろう。目の前の亜竜の魔獣は、それほどの相手なのだから。

 

「堕ちたる亜なる竜よ。ならば俺も、相応の力を以て相手しよう」


 一拍で息を整え、そして自らに刻んだ言葉を声に出し、全身に魔力を巡らせていく。

 先のことを考え、なるべく使いたくなかったが仕方ない。そして逃走も敗北もあり得ない。

 恐らくこいつは人里まで降りてくる。俺達が逃してしまえば、あのグルングルの街の人々を恐怖に


我が輩は豚であるオウス・ピグス。されど豚にあらず、誇りある人である」


 紡ぐ。ひたすらに意識を研ぎ澄ませ、自らが定めた言の葉によって魔法を構築していく。

 その羅列は詠唱。魔法を淀みなく発動し、より強固に構築するための摂理。

 俺に使えるのは小さな火を灯すだけの魔法、そしてこの強化の魔法の二つだけしかない。

 だからこそその二つを鍛えた。そしてある魔法使いの助言によって、自らの魔法として確立させた。


 それこそが我が輩は豚であるオウス・ピグス。俺の使う、俺だけの決戦用強化魔法。

 父と母から授かったこの体を、そして俺が培った剣を極限まで高める誓いと誇りのことば。これにより俺の動きは魔法を用いないときと、或いは通常の強化をかけた場合とは別物と化す。

 

 地面を砕くほど強く踏み込み、ただ真っ直ぐ目の前の敵を見据えて剣を振るう。

 亜竜を縦二つに割るべく煌めいた銀刃。その一閃により、魔獣と化した竜は命を落とすはずだった。


「……硬いな。それに、逸らされたか」


 通り抜けた先。魔獣の背後で手応えの違和感に、そして目の前の竜の硬さに驚いてしまう。

 手心など加えなかった。自分でも抜かりのない、鉄ですら断つ一振りであったと自覚はしている。

 だというのに、堕ちた亜竜は未だ健在。こちらを向き、勝ち誇ったような顔をしている。

 そして驚くべきは斬れなかったことではない。顔を逸らした、つまりこの竜は俺の速度を認識しているということだ。


「……まずいな、見誤った。一節では足りないほどだったか」


 襲いかかるアギトや牙を避けながら、どうしたものかと思考を回していく。

 我が輩は豚であるオウス・ピグスは全五節。そのうち一節組み上げる毎に全能力を向上させるというものだが、その分消費と手間、制御に力を注がなければならない。

 そして残念なことに、俺は詠唱というものが非情に苦手だ。

 魔法使いや吟遊詩人のように達者に口が回らず、その上魔力の制御と同時に行わなければならないために少しばかり時間を要してしまう。そしてこいつはそんな隙を与えてはくれはしないだろうし、もしかしたら俺ではなくヘルナへと狙いを変えるかもしれない。

 さてどうするべきか。このまま同じ箇所を叩き続ければ、或いは使通るやもしれないが──。


「ピグスさんっ!」


 攻めあぐね、どうしようかと悩む俺に掛けられた声。

 そして俺の感覚が捉える、紅い山とは異なる清らかながらに力強い魔の力。

 姿を確認することは出来ない。けれど何をしたいのか、その意と覚悟はひしひしと伝わってくる。

 

 ……どこまで見誤っていたのは俺か。まったく、本当に大した娘と組むことになったものだよ。

 ならば信じよう。委ねよう。足りぬというなら、俺が彼女を補う刃となろう。

 俺はただ、彼女の覚悟に合わせて刃を振るう。この強敵を前に、必要なのはそれだけだ。


「頼むぞ、ヘルナ!」

「……はいっ!!」


 大きな返事を背中に受け取りながら、大口を刃で逸らし、太い我が身で相手を弾き飛ばす。

 亜竜はのけぞりながら、けれど倒れることなく態勢を立て直し、今度は俺ではなくその奥にいるヘルナへと殺意の矛先を向け変える。

 お前も悟ったか。中々食えない俺と戯れているよりも、あれを放置した方が自らの命に届くと。

 そしてやはり肉から強靱だと感嘆しながら、今度はこちらが逃がさぬ番だと矢継ぎ早に追撃を続けていく。


「刃は光。光は煌めき。故に煌めきは刃なり」

「その一太刀は荒れ狂う魔すら祓い、立ち塞がる障害の一切すら斬り払う」

「故に祈る。故に捧げる。夜継の王女が乞い願う。我が刃に夜の光を。刹那なる夜の煌めきを」


 聞こえる。響く。愛らしき声にて紡がれる、幾編にも及ぶ魔法の詩が。

 彼女の魔力が高まっていく。呼び声に世界が応えるかのような脈動に、我が身に宿りし心が滾って満ちる。

 きっと今、ヘルナの周辺はさぞ神秘的なのだろう。その姿を拝めないのは残念極まりない。

 ああ、柄にもなく気になっていて仕方ない。聞いたこともない詠唱の先に、果たしてどんな魔法があるのか。

 

夜天の祝福ブレイシア・ヘルナ。我が前にて剣を振るう勇者に、敵を断ち切るために力を──!!」


 その一節が紡がれたと同時に、ヘルナの魔力は一層に膨れあがる。

 そして宿る。この剣に、この刃に、彼女よって編まれたはち切れんばかりの黒き光が。


「……美しい」


 吸い込まれそうなほど真っ黒で、けれども不思議と希望を与えられる安らかな夜の色。

 矛盾しながらも淡く輝く黒光を前に、堕ちた亜竜はなりふり構わず後ろへと退き、恐れを孕んだまなこをこちらへ向ける。

 やつも理解しているな。この刃は先ほどまでと違い、自らを容易く葬り去る刃へ成ったと。


 亜竜は大口を開け、この豚を丸焼きにすべく灼熱を噴かす。

 人を容易く焦がす赤い炎の吐息。だが直感が囁く。これは殺すためでなく、逃げるための秘策であると。

 この炎で視界を遮り、その隙に逃げる気か。まったく、この豚のように小賢しいやつだ。

 だがお前は魔獣。逃がすわけにはいかない。何よりこんな火程度、今の俺にとって障害にはなり得ない。

 

「……覚悟」


 剣を薙ぎ、迫る業火を斬り払い、そして背を向けようとしていた亜竜に刃を振り下ろす。

 くうを斬るかのような軽さ。自分でも驚愕してしまうほどの切れ味。確かに、肉を断ったという手応えをこの身は痛感した。

 黒光は霧散し、紫の血を払いながら剣を収めると、同時に亜竜は大きな音を立てて崩れ落ちる。


「……ふうっ」


 魔力か剣速か。どちらにせよ、ばらばらに崩れ失われた鉄の刃。

 剣と魔獣。そのどちらもの完全な絶命を確認し、強化を解きながら一息ついていたその最中。

 ふらふらと揺れるヘルナを目にしすぐに駆け寄り、倒れそうになっていた少女を抱きかかえる。


「あ、ありがとうございます……」

「ぶふっ。今度は間に合ったな」


 先の遺跡内での尻餅を思い出し、少し笑みを零してしまいながらも彼女を背に乗せ替える。

 「だ、大丈夫です!」とヘルナは下ろすように言ってくるが、弾む呼吸がそれを嘘だと教えてくれる。

 せめてこれが止むまでは背負っていくとしよう。俺の方は一節のみであったため、既に下山に支障はない程度まで回復しているからな。


「素晴らしい魔法だったな。あれは固有魔法なのか?」

「あーはい。夜天の祝福ブレイシア・ヘルナ、わたしが一から組み上げた魔法です。まあちょっといんちきが入っていてわたし以外使えないので、学院では認められない我流でしょうけどね」


 山を下りながら先ほどの魔法について訊いてみれば、ヘルナは照れくさそうに話してくれる。

 固有魔法。それは名の通り、自らが組み上げた自らのためだけの魔法。

 我流の不完全な魔法とは違い、魔法として完成されたそれは、一つ作れば天才だと謳われるほどだ。

 しかも先ほどの黒い光は、基本魔法の五属性のどれにも属さないようにも見えた。

 それは既存の常識を超えた魔法であるとの証明。例え少し特殊であろうと、五属性の枠組みから外れた魔法というのはそれだけで価値のあるもの。あれと比べてしまえば、俺の我が輩は豚であるオウス・ピグスなど少し尖った強化でしかない。


「でも、ピグスさんの強化もすごかったですよ。正直、まったく目で追えませんでしたもん」

「あれは強化を改造しただけの我流だ。君のに比べたら、ちゃちな手品でしかない」

「それでもです。やっぱり、わたしの直感は間違ってなかった……」


 徐々に弱まり、やがては静かな寝息へと変わるヘルナの声。

 ……眠ってしまったか。無理もない、自らに根付く恐怖へ挑むというのはそれほどまでに疲弊するものだ。

 例え亜竜を退けようと、ここは険しき紅蓮鉱山サラマンディア。まだまだ未熟だな。

 だが今はいい。その勝利に、自ら踏み出したその一歩を噛み締めながら眠るといい。ここには俺がいるのだから、少しくらい余韻に浸るくらいは許されるだろう。

 なるべく揺れの少ないよう、「にへへ……」と緩むヘルナを背負って山を下りていく。

 ふと空を見れば、これ以上ない青空で、その澄み具合俺達の勝利を祝福するかのようだった。

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