豚、紅い山へ登る

 夜の天幕が張られ、そしてまた薄れ次の一日が始まり出す。

 この頃は少し夜明けが早くなったと感じながら、俺は指定通りの早い時間にばあの店へと訪れた。


「ひっひっひ……。来たね坊主、そろそろだと思っていたよ」


 店内に入り進んでいけば、カウンターに両手の肘を突きながら座っているばあ。

 カウンターの上には外套と麻袋が置かれており、準備は完了だと言わんばかりに笑みを作っている。

 たった一日で仕上げてくれるとは流石の手際だ。やはりばあの店で頼んで正解だったな。


「助かる。……こっちのは?」

「お守りさ。あの小娘に持たせてやりな。まあもっとも、それ自体に力なんてないけどね」


 出された品々を受け取っていると、ばあは新た小さな箱を差し出してくる。

 中に入っていたのは小さな、けれど確かな輝きを秘めた黒の宝石の付いた銀の指輪。

 意識を研ぎ澄ませば微弱な力を感じることから何かしらの魔術具と推測出来るが、それにしてもばあがサービスするとは珍しい。

 しかしどんな形であれ俺がヘルナに、年頃の少女に指輪を渡すのか。……犯罪的な絵面だな、ぶふっ。


「一つ助言をくれてやろう。次の旅路の選択は、そのままお前の人生の岐路。飛びたいと僅かにでも思えたのなら、躊躇せずに飛んでしまうんだね」

「……どういう意味かは分からないが、忠告は感謝する。ところで、少し店が小綺麗なようだが?」

「ああ、あたしゃもここを閉めて次の街へ向かおうと思ってねえ。そういう巡りなのさ。ひーっひっひっひっ!」


 そうして嗄れ声で高らかに笑いながら、店の奥へと去っていくばあ。

 まあサービスというなら貰っていこう。ばあは豚な俺より死ぬほど怪しいが、それでも客に不利益な真似はしない人……のはずだ。

 それにしてもまだ誰にも言っていないはずなのに、俺の旅立ちなどどこで嗅ぎつけたのか。まあばあなのだから、そういうもので納得するしかないと荷物を手に抱える。


「……巡りか。さて、どう踊らされるのか」


 不吉極まりないばあの言葉を思い出しながら、背を向け店から出ていく。

 それにしても、この黒い店ともお別れだと思うと、少しばかり名残惜しさが湧いてきてしまうな。






 ヘルナと合流し、かくして紅蓮鉱山サラマンディアの登山は始まった。

 魔術具と指輪を渡し、案の定変な誤解を受けそうになったので必死に訂正して一難を乗り切った後。

 赤く染められた地肌にて開かれた、人三人分程度の山道を通って登っていく。

 最初こそ僅かながら人の痕跡があったものの、次第にそれも薄れ、空気が人の営みの外から離れた自然へと切り替わっていくのをこの肌でしっかりと感じていた。


「……意外と苦労しないんですね。言っちゃなんですが、気負いすぎたかなって気分です」

「ぶふっ。まだかろうじて人の域だからな。この山が本格的に牙を剥くのは、この赤が一層染まり始めてからさ」


 先を歩きながらも気を緩めるヘルナを窘めつつも、今から全力で警戒されても仕方ないと微笑む。

 まあ実際、ここまで普通の登山なのだから拍子抜けするのも仕方ない。

 獣もおらず、足場も極端に悪いわけではなく。ただの山道なのだから、その意見は当然というものだ。

 叶うならば頂上までこの調子であってくれればと思うのだが、そうもいかないのが口惜しい。

 

「……ところで、どうしてわたしが前なんです? こういう時って案内人が前なのでは?」

「そうだな。それが基本だ。……ところでヘルナ殿、俺の身体を見て最初に思うことは?」

「えっと……太っていますね、丸いです」

「そうだろう? もしもそんな豚野郎が誤って転倒し、そのまま転がってきたらどうなると思う?」

「……死んじゃいますね。少なくとも、片方は」

「そういうことだ。俺も肉の岩として君を挽き潰したくはないからな」


 見かけとは反対な小気味よい俺の一言に、納得した様子で頷くヘルナ。

 まこと申し訳ないことだが俺の身は少々……いや、まさしく豚のように肥えた肉を携えている。

 故に万が一という可能性もある。俺が肉の岩になってしまえば、どちらかの負傷は免れないだろう。

 

「まあ安心してくれ。もう間もなく俺が前にならざるを得なくなる。……そら、見えてきたぞ」

「ほえ?」


 そろそろ気を引き締めろと、俺自身を気持ちを切り替えながら太い人差し指で前方を示す。

 少し先から、まるで線が引かれているかのように露骨に色の変わった地肌。

 それは赤というよりは紅。地面というよりは生き物のような鱗と皮膚。

 より濃色に、そしてより禍々しさと同時に神秘性すら滲ませたその場所は、まさしく竜の亡骸の上だという説を本能で肯定してしまえるものだった。


「……これが、紅蓮鉱山サラマンディア

「そうとも、ここからが本番だ。ここからは魔の濃度が一段と上がる。外套をしっかり……ぶふっ、流石だな。では行こう」


 しっかりと、事前に言っておいた準備を万端にしているヘルナ。

 そんな黄金髪の少女に軽く微笑みながら、彼女の前に出てゆっくりと歩き始める。

 地色の境を越えた途端、まるで空気が濁ったかのように重苦しく濃厚であるかのような感覚に陥ってしまう。

 これは空に含まれる魔力が、先ほどまでと比較にならないほど濃くなっているからだ。

 簡単に例えるのであれば、魔力に慣れていない子供や動物であれば十秒と持たず死に至るほど。また肌感覚ではあるが、ある程度の耐性を持っていようと長期間は間違いなく害である程度だ。

 これが魔に慣れた森人エルフ竜人ドラゴ二アムなどであれば苦でもないのだろうが、生憎俺達は二人とも純粋なる人族。故に肌と呼吸を守るこの魔術具の外套が必要不可欠なのだ。


「うう……肌がぴりつく……。それに足場も最悪ですね……」

「ここからは開拓も断念された場所だ。先ほどまでとは根本的に異なる領域だと心がけてほしい」


 先ほどまでの山が人の山であれば、ここからはまさしく竜の山。

 だからこそ資源は豊富で、恐らく下へ掘るよりもこの辺りの掘る方が遙かに懐は潤いはするのだ。

 だがこのサザンカエルにおいても有数の危険地帯を前に、そのような蛮行に走る人間はほとんどいない。

 欲で動く冒険者であろうと安易に手を出そうとしない、ここはそれほどに危険な場所なのだ。

 

 ……ぶふっ。今更ながら、我ながら馬鹿なことをしているものだ。

 豚を自称しているというのに、獣よりも人よりも安全を求める本能に背いて動いてしまっている。

 やはり俺は豚野郎、いや豚に申し訳なくなるほどの大馬鹿野郎か。

 だがこうでこその冒険者というもの。無難に稼げる依頼ばかりではなく、こうして死地にて刺激を浴びてこそだ。

 

「そら、そんなことを言っていればだ。気を引き締めろよ」

「へっ……?」


 向けられるは大量の殺意。敵意。そして喰らうという純然たる獣の欲。

 それらを一身に肌で、本能で捉えたこの身は、僅かな恐怖と共に意識を冴え渡らせる。


「ひっ、これは……」

「これこそが竜の番巣。紅蓮鉱山サラマンディア第一にして最高難度の試練。それはすなわち、群の長の寝処を守るかのように」

 

 こここそが第一にしてグルングルに開拓不可能と断じさせた魔境。

 音も無く影もなく、けれどわらわらと姿を見せる四足の鰐に近い獣。竜のなり損ない達。

 けれど彼らも竜の末端なれば。牙は、爪は、縦に割れた瞳の眼光は不敬な侵入者の命を容易く刈り取れる。

 通称、竜の番巣。そんな地上で出現する数段強靱な亜竜が、それこそ家畜小屋にいる豚のように大量に群れて来訪者に襲いかかる。踏み込めば、瞬く間に骨すら喰われる死地である。

 

「すまない、想定よりも多い。触ることを許して欲しい」

「え、ちょ……!」


 亜竜はこちらへと飛びかかる。豚と少女の喉笛を食い千切り、不意に現れた獲物を自らが喰らうために。

 故に有無を言わさぬほど素早く少女の華奢な身体を抱きかかえ、跳ねるように山を進んでいく。

 後退はない。我々の目的は上であり、辿り着くためには前進あるのみ。

 少女の負担を考えると速度に限度はあるが、それでも立ち止まって彼らの豚になるのはごめんだ。


「あまり口は開かないように。速度に慣れていないのであれば、舌を噛みかねない」

「……!!」


 返事の代わりに難度も頷くヘルナ。

 思いの外元気そうな彼女の様子に安心しつつ、どしんどしんと音を立て、落とした玉が弾むような勢いで山を駆け上がっていく。

 さてどこまで追ってくるか。流石に頂上までは保たないので、早々に彼らの区域を抜けてくれると助かるのだが。


「ふっ」

「ふえっ!」


 目の前に迫った亜竜の顎を踏み躱し、胴を踏み台に変え、時にこの自慢の身体で弾き飛ばし。

 ヘルナの顔や様子を窺う暇もなく、ひたすら進み、真っ直ぐと先を目指し。

 そしてようやく彼らの殺意と存在が薄れていくのを感じ始め、念のためそこから少し進んでから速度を緩めていった。

 

「ふう……。急にすまなかったな、怪我はないかヘルナ殿?」

「え、あ、はい。おかげさまで……」

「そうか。ならばよかった。依頼主に傷を負わせたとなれば、俺の沽券に関わるからな。ぶふっ」


 丁寧に、急に触れたことへの謝罪をしながらヘルナを地面へと下ろしていく。

 豆鉄砲にでも撃たれたように呆然としているヘルナ。……やはり、少し驚かせてしまったかな。


「奴らの巣は抜けた。恐らくだが、ここらは縄張り同士の狭間になっているはず。ここで一休みするとしよう」

「わ、分かりました。あ、あれ? 膝に力が……」


 安心が追いついてきたのか、固い地面に尻餅をついてしまうヘルナ。

 俺の速度に体が付いてこなかったのもあるだろうし、俺のような豚に急に体を触られたことへの恐怖もあるだろう。

 肉体、精神共に疲労しているのを考えれば、むしろよく頑張っている方だと褒めてあげたいところだ。

 鞄から折りたたまれた魔術具を出し、魔力を込めて投げればクッションや椅子など、暫し休めるような道具が展開される。


「体は体感以上に疲弊しているからな。少ない時間でよく休んで……ああ、その際に水分をよく摂るように。高所ほど気温は低くなるのが常だが、ここは少し特殊でな。乾きよりも熱にまいってしまうぞ」

「は、はい。……すごいですね、これって収納袋ですか?」

「ぶふっ……ああ。小型よりの中型だが、これ一つで俺の一年分の収入が飛んでしまったほどだ。だが額以上に重宝しているよ」


 袋について尋ねられたので少し自慢げに話しながら、自らも水筒で水分を摂取しつつ警戒用の仕掛けを魔術具を起動していく。

 しかし冒険者を始めてから、一番最初にした大きい買い物がこの収納袋。

 以来今日こんにちまで愛用し、酸いも甘いも共にあったこれを褒められると、つい俺まで嬉しくなってしまう。


「す、すごい身のこなしでしたね。初めてでしたよ。あんなに速く移動したのは」

「ぶふっ、そう言ってもらえると光栄だ。一応、この体こそが俺の最大の資本であり、最大の誇りなんでね」


 賞賛に微笑を浮かべながら、どさりと、柔らかい豚のクッションに尻を乗せる。

 毛豚と呼ばれる、時に羊よりも毛を好まれる豚の毛で作ったらしい、俺の顔とは異なる愛らしいデザインのクッション。

 かつて豚の町と呼ばれる場所で買ったクッションで、とてもふわふわで尻に優しくて重宝しているのだ。


「そうだ、いきなり抱きかかえてしまったことを謝罪させてほしい。亜竜の数が、俺の予想を超えてしまっていた」

「あ、いいですよそんなのっ! むしろわたしの足じゃあんなにたくさんの亜竜の群れは抜けられませんでしたから!」

「そう言ってもらえると助かる。恐らく今後もそうせなばならないと思うが、我慢してもらえると助かるよ」


 非常時なので仕方ないのだが、それでもあまり女性の体に触るのは避けたいところだ。

 昔、護衛の依頼で対象であった女性に泣かれてしまったことがあったのを思い出す。

 ぶふっ、あのときは周りへの釈明に苦労したものだ。偶然にも知り合いであった貴族の少女が通りがかってくれなければ、危うく冒険者登録を剥奪され蝋へとぶち込まれてしまうかもしれなかったからな。


「いや、何でもない。……さて、会話もほどほどに休息を。ここも完全な安全と限らない。休まずに休む、それは冒険者に限らず旅人が得るべき技術だ」

「……こういうときって、わたしの事情について尋ねたりするのがお約束なのでは?」

「?? そのお約束とやらは知らないが……頂上につけば話してくれるのだろう? ならば豚は今はその言葉を信じ、その報酬に胸を馳せている方が双方にとって得だろう」


 俺の返した言葉に対してヘルナは呆れたように、けれど嬉しそうに顔を綻ばせる。

 そんなに確認しなくとも、君が話したくなるまでは聞かないさ。

 無理に聞くのは簡単だがその先に良好な関係は築けない。何よりいただきに辿り着いた際、この冒険の達成感が半減してしまうからな。


 それにしても、この娘の言うお約束とはどこのお約束なのだろうか。

 俺はあまり興味がないのだが、町で流行っている小説や旅団の劇、或いは詩人の詩などの定番なのかもしれないな。


「そうです! じゃあ休憩がてら、過去の旅路での面白いことでも聞かせていただけると!」

「ぶふっ、そうだな。では一つ、こんな話はどうだろうか。グランスという小さな湖の底に存在した、白い水晶を巡って争った姉妹の話を」


 そうして警戒は続けながらも、一時の間、この緊張を解さんと口を回していく。

 話し始めれば豚はぶひぶび鳴くかの如く、自分でも珍しいくらいには饒舌に語ってしまった。

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