豚、買い物をする

 宴は終わり、そして次の日の太陽が完全に晒されてしばらく経った頃。

 俺は未だ頭を重そうにしているヘルナと街へ繰り出し、紅蓮鉱山サラマンディアへの挑戦のための準備の買い物へと勤しんでいた。


「んん……、くらくらするぅ……」

「ぶふっ、やはり飲み過ぎだったか。酒は飲んでも呑まれるな、それが嗜むコツだぞ?」

「そうは聞いてたんですけどねぇ……。うう、前に拝借した時はもっと余裕だったのに……」

 

 呻きながら頭を押さえ、それでもふらふらながらも俺の支えを借りずに歩く黄金髪の美少女。

 多少の酒臭さを残しながら、ヘルナという少女は案の定二日酔いという暴飲の洗礼に苛まれていた。


「それにしても、さっきから随分視線を集めてる気が……はっ、まさかわたし!?」

「ぶふっ、確かにヘルナ殿は目を惹く可憐さではあるが恐らくは俺だろうな。女連れの俺は、外から見ればさぞ珍妙なものだろう」


 ちらちらと窺われ、時に誤魔化すことなく向けられる視線。

 道中も、先ほどまでの店でも当然のことだ。何せ可憐な黄金の少女のエスコートを、よりにもよってこの俺がしているのだから。


「しかしまさか、部屋すら借りていなかったとは。……ぶふっ、今朝の一撃は中々に響いたぞ」

「す、すいません。この街に来たばっかであなたに付いていってしまったので……。……で、でもぉ! あれは仕方ないと思うんですよっ! だって目が覚めたら知らない部屋で半裸だったんですよわたし!? そりゃ殴っちゃいますよっ!!」

「……そうだな。あの場で非があったのは俺の方だ。どんな事情であれ、麗しい少女の裸体を目にしてしまったことには弁解の余地も無い。改めて謝罪させてもらおう」

「そ、そういうつもりじゃ! 酔い潰れてたのはわたしなのでっ! お相子……そうお相子ってことで!! はいっ!!」


 素直に頭を下げようとして、慌ててそれを止めてくるヘルナ。

 そんなヘルナの優しい心遣いに感謝で微笑みながら、ぶよぶよの頬についた紅葉跡の残響を思い出す。

 昨日酔い潰れたヘルナを宿まで送ろうと尋ねたのだが、その際「借りてませ~ん」などと俺の背を涎で濡らしながら口にしてきたのだ。

 タイランほどの大男や俺のような豚でもあれば失うのは財布だけだろうが、こんな年頃の、それも可愛らしい少女を放置すれば身ぐるみ剝がされる程度じゃ済まないのは明白。だから仕方なしと俺が借りていた部屋のベッドに寝かせ、俺は部屋の外で眠ることにしたわけだ。

 そして夜が明け、顔を洗った俺は様子を窺おうと数度のノックと共に部屋へと入ったのだが──。


『……きゃーー!!!!』


 そこで目にしてしまったのは、差し込む朝日に照らされた黄金髪の美少女の上裸であった。

 一瞬の沈黙と、直後に実に良い音を立てて俺の頬を弾いた彼女の平手。

 誤解が解け、説明を終えた後に聞けば寝惚けていたらしい。ならば仕方ない……となるのだろうか、女付き合いなどほとんどない豚には分からないな。

 

「しかし今後は気をつけるといい。一夜の過ちと可憐な少女を前にすれば、人も豚も等しくけだものなのだから」

「……昨日から思っていたんですが、ピグスさんは豚なんですか? 豚猪人オークとかそういうのです?」

「いいや、父も母も純粋な人族ヒューマンだ。拾い子でなければ、俺もその血に従っているだろうさ」


 記憶の中で笑顔を見せてくれている父と母は、俺のように肉だらけの豚ではない。

 似ても似つかぬほど人らしく、朗らかで優しい笑みを、そして時に厳しさを俺に向けてくれた両親だ。

 俺は彼らの子供であることに誇りを持っている。例え血の繋がりの真実がどうであろうと、俺にとって彼らは偉大な両親であり、この頑丈な体を持たせてくれて感謝すらしている。


「先祖返りや半血ハーフなどでもないだろう。豚猪人オーク特有の牙や体毛や鼻はなく、何より彼らの誇りである斧も得物としては手に馴染まない。ただ丸く、醜く、肥えただけの人間さ」

 

 豚猪人オークほど戦士や面持ちや身体でなく、人にしては精悍であれないこの身。

 それを一言で表すのであれば、やはり豚野郎がふさわしい。豚紳士ピグトルという通り名すら大層でしかない。それがこの俺、ピグスという人間なのだ。


「そんな、確かにすごく丸くですけど、別に醜くなんて……」

「ぶふっ、優しいな。だが男女のそれとは見れないだろう?」

「あー……そのー……うーん……」

「失礼、かなり意地の悪い質問だったな。ぶふっ、だがそういうものだ。この身は所詮豚なのだ」


 申し訳なそうに顔を逸らしたヘルナに、微笑を零しながら正面を顔を戻す。

 まあそれでもただ一つ、少しだけ憂いてしまうのはそんな素晴らしい彼らの血を残せないことだ。

 こんな豚のような人間の子を産もうとする変わり者などいやしないだろう。元より流れの冒険者が家族を持つことは少ないのだから、気にしても仕方の無い問題ではあるがな。


「さ、次はそこだ。ここに寄ってから昼食にしよう」

「あ、えっとここは……魔術具屋?」

「そうだ。外観はともなく、腕はこの街でも有数に確かだ」


 俺が指した指の先にあるのは、黒い暖簾に下げた何とも怪しげな雰囲気を醸す店。

 この熱気溢れる街で中々に浮いているその外観に、多少困惑してしまうヘルナ。

 その気持ちは分からなくもないと初めて訪れた時のことを思い出しながら、「大丈夫」と一言告げて暖簾を通り抜け店内へと進んでいく。


「うっわ、暗っ」

「足下に気をつけろ。……ばあ、いるか?」

「……おやおや。まさか小太り坊主が女を連れてくる日が来ようとはねぇ」


 照明はごく僅か。外の日差しは暖簾に吸い込まれ、真夜中のような黒に籠もりながら不思議と品物と床だけははっきりと目視出来る店内。

 そんな店の中に驚くヘルナをよそに店主を呼ぶと、嗄れた笑い声と共に杖を突いた老婆が歩いてきた。


「ばあか。変わらず元気そうだな」

「そういうあんたこそ。ここは逢い引きにゃ向いておらんよぉ。ひっひっひ……」

 

 真っ黒な装束に包まれた店主──ばあは不敵に笑いながら、じろじろと舐めるような視線でヘルナを上から下まで眺めていく。

 ……珍しいな。俺も何人か紹介したことはあるし、ばあが初めての客を観察するのはよくあることだと知っているが、ここまで食い入るように見つめるのは初めてだ。

 

「あの、何か付いてます……?」

「……ほう、どうやらお嬢さんは中々に高貴且つ数奇な血筋のようだ。生まれる前から使命を背負うとは難儀だねぇ」

「えっ、何言って……!?」

「ああ心配いらんよ。あたしゃまじないが趣味なのさ。誰にも言いふらさんし、言ったって信じねえさ」


 ひっひっひと、誰を前にしても変わらずいつも通りに笑うばあ。

 そんな老婆を前に多少動じながらも頷き、それからこちらをちらりと窺ってくるヘルナ。

 大方俺が何かを察しないか心配しているのだろう。そんなに心配せずとも、何かあるとは思っているから安心してもらいたい。豚はぶひぶひとは鳴くが、余計な事を話さないのだ。

 

「用件は察したよ。坊主たち、紅い竜の背を踏もうってんだね? このご時世で恐れと命の価値を知らぬ阿呆がいたもんだよ」

「流石だばあ。そういうわけだからこれで頼む」

「皆まで言うなって。ひっひっひ、明日の夜明けにまたおいで。準備しておいてやるさね」


 懐からある程度膨らんだ重い袋を取り出し、礼を言いつつばあへと手渡す。

 それを受け取ったばあは中身の確認もせず、一層口角を上げながら店奥へと去っていったので俺達も店から出る。

 それにしても、やはり陽の光というのは明るい。

 あの店、もう少し照明が効いていれば言うことないのにな。元々客を選ぶばあではあるが、だから常連も少ないんだろう。


「……あ、あのぉ。大丈夫なんですか? あのおばあさん」

「ああ、ばあ──あの店主は客の求めるものを知っているんだ。見てくれは怪しいし相場よりも割高だが、それに見合った腕はしているよ」

「へ、へえ……」


 ヘルナはどこか納得出来ていなさそうな顔をしつつも、俺を信じて言葉を呑み込んでくれる。

 まあ逆ならば当然の疑問だ。俺も初めて連れられた時、それはそれは驚いたからな。

 しかしあのばあ、なんでこんな街で商売をやっているんだろうか。腕だけであれば王都ですら通用するだろうに。


 そんなどうでもいいことを考えていると、俺のお腹がぐるぐると大きな音で欲望を訴えてくる。

 少女の前で下品だったかと少しヘルナを気にしてみたが、そこには何故か頬を赤く染めた黄金髪の美少女が。

 ……なるほど。どうやら偶然にも重なってしまったらしい。ならば幸運と言うべきかな。


「さて、俺の腹が我慢出来なくなったらしい。ヘルナ殿、何か食べたいものはあるか?」

「えっと……じゃ、じゃああの雑麺ルンメーというのを……」

「ぶふっ、そうか。あっさりかこってりか、今日はどちらの気分だ?」

「えっと……こってり?」

「了解した。では俺のおすすめまでご案内しよう。きっと満足してもらえることだろう」


 質問の意図が理解出来なかったのか、戸惑いで首を傾げながら答えたヘルナ。

 そんな彼女につい微笑みが零しながらも、少し楽しくなってしまう。

 きっと雑麺ルンメー自体が初めてなのだろう。恐らく、料理人を抱えた家ではまず出てくることもお目にかかることもなかったはずだ。

 そんな少女の初めての経験になれるとは。……ぶふっ、これは中々に大役、身が引き締まる思いだ。


 そうして俺はヘルナに気を遣いながら、ずしりずしりと街中を歩いていく。

 この豚めに突如与えられた街案内という名の買い物の時間は、思いの外楽しく進んでいった。

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