豚、依頼を受ける

 街に戻り、ギルドの受付にて依頼完了の報告と納品を済ませ。

 その後魔獣の一部──魔核や牙など、高く売れる部位を優先して持ち帰り換金を済ませた俺は、変わらず付いてくるヘルナと共に馴染みの店へと訪れていた。

 

「ぷはぁ! 苦いぃ! 美味しくないぃ」

「……ふふっ、良い飲みっぷりだ。……随分と若いが、もしや酒は初めてか?」

「あ、はい。今年で十五……十八です! 十八! でもお酒は初めてです! だから驚きですよ!」


 俺が女を連れているのが奇妙だからか、随分と視線やひそひそ声を感じてしまう。

 だがそんな周囲の様子などお構いなしに、良い勢いで葡萄酒を流し込んだヘルナは、慌てて自ら年齢を訂正してくる。

 ……まあこのサザンカエルの成人は十五で、最初のが真実であろうと別に咎められはしない。仮にそれ以下だったとしても、窘めはするが飲むかは自己判断だろう。

 しかしまさか俺のような豚が、こうして一回り若い少女とサシで食事を取る機会があろうとは。少なくとも、このグルングルに来てからは初めての経験だ。


「ここの豚のステーキは中々のものでな。深みのあるタレと柔らかくも厚みのある肉が噛み合っていて、酒でもパンでも抜群に合う。何より肉に臭みがなく、肉本来の旨味さえ楽しめる珠玉の……おおっと、共食いなどとは言ってくれるなよ?」

「へー……って言いませんよ! あ、店員さーん! 葡萄酒、もう一杯お願いしまーす!」


 テーブルに置かれた、湯気と共に香ばしい匂いを漂わせた豚肉のステーキ。

 ナイフで数切れに分け、麦酒エールと共に自らの内へと染みこませて美味を満喫していく。

 やはり一日の終わりはこれが格別。ステーキは厚ければ厚く、大きければ大きいほど幸せになれるものだ。

 あの魔獣のおかげで懐は相当に温まったので、一人分増えたところで十二分に奮発できる。旅立ち前だと思えば、このような贅沢も許されるだろう。


「はふはふっ、美味しこれっ。柔らかっ、前に食べたホロロ豚と同じくらい柔らかいっ……」

「……ホロロ豚を食べたことがあるのか。確かあれも美味だが、同時に高値であったはず。もしや狩ったのか?」

「え、ああいえ! ああ、実は縁があって食べる機会があったんですよ! いやーあのときは幸運だったなー!」


 疑問に思い尋ねてみると、素性同様に大げさな誤魔化し追加の葡萄酒に口を付けるヘルナ。

 ホロロ豚は温和だが狩ろうとすると途端に凶暴になる獣。俺も一度狩り食した経験はあるが、もしもこの少女がそれを為しているのなら大した腕であろう。

 しかしこの少女。飲みっぷりがいいのは結構だが、そんなに飲んで大丈夫なのだろうか。

 

「……初めてであれば、流すように飲むのはおすすめしない。手痛い失敗を食らうことになるぞ」

「大丈夫ですよー! わたし強いみたいですしー! それにしても、見かけより食べないんです……ああすいません! 失礼でしたよね! ごめんなさい!」

「気にせずともいい。馴染みのない者と食を共にすると、大体はそう驚かれる。……ちなみに食べるだけの場では見かけ通りに食べたりもする。何事も時と場合による、というやつだ」


 慌てて頭を下げてくるヘルナに、俺も大げさに笑いながら気にしていないと返しつつ肉を頬張る。

 実際よく驚かれるのだ。老若男女関係なく、太っている人間は豚のように食べるものだと。

 そしてそれは間違っていない。この身は所詮豚野郎、食べようと思えばいくらでもぺろりだ。


「それでヘルナ殿。食の最中に無粋ではあるが、酒が回る前に改めて君の依頼を確認させて欲しい」

「あーはい。そうでしたね、ごくっと、ごくっ……ぷはぁ!」


 ナイフとフォークを置き、軽く口を拭いてから食を楽しむヘルナへと向いて尋ねる。

 片手に持った木樽のジョッキを置くことはないけれど、それでも改まった様子でかしこまる。


「依頼の内容は紅蓮鉱山サラマンディアに登りたいと。……掘りたいというわけではなく?」

「はい。中ではなく上……のはずなんです」


 紅蓮鉱山サラマンディア。それは紅蓮山脈サラマンガルドのおける最大名所にしてグルングルの営みを支える要、赤角鉄鉱アカアイアンを採掘出来る場所である。

 なるほど、確かに訪れた旅人であれば一度は観ておいても損のない場所であろう。俺も一度見学に行ってみたが、あれは中々に活気溢れる場所であった。

 だがしかし、それなら民間用に解放されている区画へ、或いは金と契約書で開かれる自首採掘区画へと入れば十二分に楽しめるはずで、わざわざ山自体を登る意味などない。

 それに口調も気になる。目的ははっきりとしているのに、どうして場所で言い淀んでしまうのか。


「はずとは? 良ければお聞きしても?」

「ええと……まあそれくらいなら。大丈夫……うん、多分大丈夫」

「ヘルナ殿?」

「ああはい! そうですね……結論から言うのであれば、紅蓮鉱山サラマンディアの山頂にあると伝えられているという祠に用事があるのです。ぱくっ」


 ヘルナは相変わらず食べながら、けれど口の中はしっかりなくしてから話を続けていく。


「祠。……初耳だな、そんなものがあるのか?」

「ある……らしいんですよ。お……わたしの家で語り継がれる話にそう残っているんですもん」

「……なるほど。そういう感じか」


 曖昧に答えてくるヘルナの言葉により、段々とこの話の全体図が掴めてくる。

 つまりはこういうことか。どこかの家の少女が、家に残された話の真相を確かめるべくこの街を訪れたと、そういうことだろう。

 それならば手入れの行き届いた髪も、旅人にしては絢爛すぎる装飾の細剣にも、そして強さに合わず世間に初々しさを持っているのも頷ける。

 ……ふふっ、可愛らしい理由じゃないか。家出にしろ総意にしろ、未知への探求のための旅を俺としては肯定したいものだ。向かう先が、あの紅い山のてっぺんでなければ。


「しかし紅蓮鉱山サラマンディア。この百余年、誰も登頂を果たせていないサザンカエル有数の危険地帯。それはご存じか?」

「はい。その通称を紅竜の肌サラマンスキン。幾万の彼方にて眠るように朽ちたとされる紅魔竜、サラマンディアスの亡骸の上……ですよね」

「そうとも。ある場所を越えれば道は竜の肌のように荒れ、亜竜の住処と化した魔境。踏み入れば、高位の冒険者や騎士でさえ命の保障は難しい場所だ」


 事実を確認するように言い終えて、ごくごくと麦酒を呷り喉へと流し込んでいく。

 その竜はまだ世界に夜を授けた神──ヨイが地にあった頃、大地を紅き血の炎で染めたとされる厄災。

 吐く息一つが村を溶かし、翼を振るえば熱風が生き物を息を奪い、神すら手を焼いた竜。

 そんな紅竜が最初の英雄によって逆鱗を穿たれ、堕ちるように命を落としたのがその紅蓮鉱山サラマンディアの山頂であったとされている。

 故に名の紅蓮鉱山サラマンディア、そして紅蓮山脈サラマンガルドの紅はその竜から滲み出て染まった色であり、硬き赤角鉄鉱アカアイアンは竜の血の名残であるとも語られているらしい。


 果たしてそれが嘘か誠か、そんなことは学のない豚には知るよしもない。

 今の俺達に大事なのは、そんなお伽噺に相応しく険しい道のりになるということ。今日の道のりなど比にならないほど、俺とて油断ならない場所ということだ。


「……では人を集めねば。必要なのは──」

「い、いえ! 無茶なお願いなのは分かっているんですけど、二人で、それもすぐに行けないでしょうか!! 出来ればそう、明日とか?」

「……正気か? 無茶にもほどがある。ピクニックに行くんじゃないんだぞ?」

「はい。……お願いします。少ない人しか、信頼したい人だけで行きたいんです」


 ことりと静かにジョッキを置き、それから強く頭を下げてくるヘルナ。

 俺はそんな彼女を前にフォークもジョッキも置き、腕を組んで考え込んでしまう。

 

「身元も目的も曖昧な少女。過酷な場所への護衛。人は最小限二人で、用意の時間も皆無。その上報酬は不明。……正直、俺を舐めているとしか思えないな」

「……やっぱり、駄目ですよね。難しいですよね」

「ああ、ひどく難しい。これがギルドに貼られていれば、例えどれほどの報酬を積まれようと応じる命知らずはいない。何ならギルドでさえ仲介を拒むだろうさ」


 へこむ少女に掛ける励ましはない。むしろ随分言葉を選んだ方だ。

 俺の言葉に決して誇張はない。彼女が言っているのは依頼を果たせず死ねと同義、それほどまでに滅茶苦茶な難題だからだ。

 冒険者というのは荒くればかりだからこそ、自らの目で仕事を選ぶ必要がある。

 それは腕っぷしよりも必要な資質というもので、生き残っていく上では必要不可欠なものだ。


 そして俺の見る限り、このヘルナという少女はそれが分かっていないほど愚かではない。

 だからこそ気になってしまう。そこまでして、わざわざ死地へと趣きたいその理由とやらが。

 

「一つだけ尋ねたい。何故、そこまで願う。そうまでして、行きたい理由はなんだ?」

「……それは話せません。ですがそこに辿り着いたら、全てを話すと約束します」

 

 心から申し訳なさそうに、けれども確固たる決意でそう言い切ったヘルナ。

 その琥珀の瞳は真っ直ぐで、思わず魅入ってしまうほどに美しく。

 だからこそ、その意志にだけは嘘がないと嫌が応にも伝わってきてしまう。彼女が持つのはそんな強い瞳であった。


「ぶふっ。なるほど、これは手強い依頼主だ。だが無謀な冒険というのは冒険者の本懐でもある。恐れるのも結構だが、それでは面白くはないか」

「──っ!! ということは!?」

「どうやらこのステーキ同様に焼きが回ったらしい。このピグス、君の依頼に全霊を以て取り組むと約束しよう」

「っ!!! あ、ありがとうございますっ!! ありがとうございますっ!!」


 伸ばした太い太い俺の手を、それはもう勢いよく掴みぶんぶんと振ってくるヘルナ。

 決してやけを起こしたわけではない。最後の一切れが残っている、焼きの回ったステーキのように。

 俺はただ、気になってしまったのだ。冒険者としてそれほどまでに命を掛ける、この少女の理由とあの山の上にある祠というものが。

 

 それにこの娘は俺が……この街の全ての冒険者や傭兵が断ろうと、きっと山の上を目指す。そして呆気なくその命を散らしてしまうだろう。

 それが分かっていながら見過ごすのは少々目覚めが悪く、旅立ちにしこりを残してしまうことになるからな。

 ……しかし興味や情で困難な且つ面倒な依頼を引き受けてしまうか。やはり俺は豚野郎、人ほど利口にはなれないらしい。


「だが明日は無理だ。俺はともかく、ヘルナ殿にはきついだろう。だから出発は二日後、それだけは譲れないが構わないか?」

「わ、分かりました。……でもわたし平気ですよ? そんなにやわじゃ──」


「邪魔するぜ。豚野郎が女連れてここにいるって聞いてよ」


 ようやく手を放された俺は、改めて乾杯でもしようと店員に酒と料理の追加を頼もうとした。

 ちょうどその時だった。豚を呼ぶ、荒っぽい男の声が店内へと木霊したのは。


「おういたな豚野郎。そしてそこの嬢ちゃん、今朝は随分と世話になったな」

「……タイラン。わざわざ名指しとは、俺に用か。荒事なら店と俺達に迷惑だが」


 ずかずかと足音を立て、その巨体で一直線に俺達の席の前へと辿り着くタイラン。

 ジョッキを守りながら露骨に警戒するヘルナ。……何も言うまいが、それでいいのか君は。


「そう警戒すんなよ。別に報復ってわけじゃねえ。ただ今朝のことを謝りたくてな」

「……お客様。どうか、どうか面倒事はお控えを……」

「ああ悪い。麦酒を大樽で一杯。あと店員、これを」

 

 人相が悪いがそれでも今朝とはまるで異なる、いつも通りの態度で店員へ袋を渡すタイラン。

 じゃらじゃらと鳴らすそれを受け取って中身を確認した店員は、大きく目を開けて驚きを示した。


「詫びも兼ねてだ。ここにいる連中の支払いはそれでしてくれ」

「え、良いんですかお客様!?」

「ああ。好きに使え」

「ではそのように! ……みなさーん!! 今日はなんとー、こちらのタイラン様が全持ちしてくださるそうなので御代は結構ですー!! 声を大にしてありがとうを言いましょうー!! ささっ、席はこちらをどうぞっ!!」


 店内の緊張は一転、声を合わせてタイランコールが聞こえ始める。

 歓喜のまま手でごますりながら空いていた隣の席の椅子を引き、「まっかないまっかないー♪」と上機嫌に去っていく店員。

 その現金さに俺とタイランは何とも言えない視線を向けつつも、すぐに見合って苦笑いを浮かべ合う。


「……良いのか? 随分大盤振る舞いしているようだが」

「気にするな。今日、偶然にも蛇の魔獣を狩って懐が潤ったからな。お前達も好きに食うといい。それが本命だ」

「……魔獣?」


 この上ない笑顔の店員に大ジョッキを渡され、躊躇うことなく喉へと流し込んでいくタイラン。

 また魔獣。近隣で、それも別種で二匹出現することなどあるのだろうか。

 何か、何か胸騒ぎがする。飲み過ぎか、或いはよからぬことが起きようとしているのでは──。


「ごちになりますタイランさーん! ぷはあっ!! あーなくなったー!! すいませんー! わたしも大ジョッキー! このスパークパニック葡萄酒っていうのをー!」

「……朝とは違い随分と快活だ。こちらが素なのか?」

「……どうだかな。そういえばタイラン、どうしてこの娘と諍いに発展したんだ?」

「ああ、それはな──」


 嫌な予感が走るが、そんな俺を思考の毒気を抜いてくる目の前の少女。

 ……まあ、今宵くらいは考えずとも良かろう。酒の席は楽しくが基本、そこは人でも豚でも同じ事だ。

 

 そうして俺も追加の肉と酒を頼み、タイランとの三人で食事と雑談は盛り上がる。

 食べ物も酒も美味く、二人も上手く和解を済ませて和気藹々と夜は更け。そして店を出て別れるまで、楽しい一時は続いたのだった。

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