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「さて、これでゆっくり話せるわね。」

ふんわりとスカートを折りたたんで座ったベルに合わせて、流風も向かい側のアンティーク調の椅子に腰をかける。

やや狭い石の壁でできた部屋の中は、同じようなアンティーク調の椅子や机が置かれていて、流風たちの座る席のすぐ近くに、カウンターテーブルのような席もある。その奥に、グラスを台所で洗うエプロン姿の従業員も見受けられた。

どうやらここは小さな酒場のようだ。台所の壁に丁重に並べられたワインの瓶の棚がある。

「ここまでくる必要あったんですか?」

まだ少々距離感の掴めないこの少女といると、どうもいつもの調子が崩れるなと思いながら話しかける。

ここにくる数十分前。あのよくわからない発言に首を傾げるや否や、流風はただ内心焦るばかりであった。

『さ、策士って、一体何のことを言っているのかさっぱりわかりませんって!』

『説明したいのは山々だけど、ここじゃ言えないの。場所を変えましょう。』

キッパリとそう言い切られ、何も言い返すこともできず、ただ言われるがままについてきた結果、この居酒屋に連れられたわけだ。

「あるわよ。昼の酒場ほど、秘密裏に話せる場所なんてないわ。」

顔の前にかかった髪をはらいながら断言する。

確かに、言われてみればカウンターのバーテンダーらしき人以外、人はいない。

バーテンダーに聞かれたらどうするんだと少々不安に思ったものの、まあ大丈夫だろうと気を取り直して姿勢を正す。

「それで、策士ってなんなんですか?」

「そうねぇ。どこから話した方がいいのかしら。」

うーん、とうなること数分、ゆったりとした動作で手を膝に置き、ベラは口を開けた。

「私の、悩みから話そうかな。」

そう言って、力無く笑う。先ほどの興奮とは代わり、落ち着いた口調で、ベラは語り出した。

「自己紹介でも言ったとおり、私はこの世界で最高神と言われてるユーピテルの神族、すなわち王家の第四王女なの。」

ロミシェランナの全体の政治を動かす力を持つユーピテル王家。

今現在、国王には娘が四人いた。現国王は息子には恵まれず、手当たり次第に王妃を増やしては子を産ませたが、全員女性だったそう。しかも、流行病が襲い、結果生き残ったのは現在の四人の王女だったそうで。

王も年齢が高齢となり、戴冠の時期もそう遅くない。

そこで、近頃徐々に業務を娘に移行し始めたらしい。

「じゃあ、今の話だとあなたは四番目の王女だから政権がないことが悩み事ですか?」

ざっと頭の中で反復してそう問いかけると、ベラは持っていたグラスの縁を指でなぞる。

「そうではないの。姉たちはとても優秀だし、最も政権は姉たちにあることは周知の事実。捻じ曲げるなんて考えてない。」

伏せた目から、銀色のまつ毛が伸びている。シルクのように、艶やかに輝いた。

「実は、最近、悪魔族が出没しているの。」

「悪魔族?」

馴染みのない言葉に、流風が首を傾げると、静かに頷く。

「その名の通り、悪魔の種族の者のことよ。一口に言えば、神に反抗する者かしら。姿形こそ人間や神と大した差はないのだけれど、神の楽園ロミシェランナにとっては害にしかなり得ない存在。」

さきほどグラスに入れてもらった水を飲み干す。

「たとえば?」

「悪魔族は、神を殺すことができるの。」

一息にそういったベラの瞳は、ゆらゆらと揺れていた。

神を殺す。

咀嚼できない言葉に黙っていると、ベラは唇を歪める。

「神は、死ぬことはないの。それに、誰にも殺すことができない存在。不死の身だし、お父様だって、戴冠し終えたら、地上や天国に出向こうと思っているっておっしゃってたわ。」

「じゃあ神は増え続けるばかりじゃないですか?」

「違うわ。歴代の神は唯一悪魔族に殺されてきた。」

震えた声に、何も言えず押し黙る。

「何百年か前に、悪魔族は一度浄化されたの。ユーピテルの神族によって。」

それが最近、各地の聖地で悪魔族による神殺しが報告されているのだとか。

その報告が王家にも寄せられ、国王は姉三人に討伐命令を出した。どうやら、この騒ぎを鎮めたものが政権を握ると言っていたらしい。

姉三人もやる気に満ちて、王国常備軍などを動かして作業にあたっていたようだ。

しかし、そんな平和も束の間。

「お父様が、先日、悪魔族に殺されたの。」

唇を噛み締め、必死に目に揺らいだ雫を垂らしまいとする少女が、目に映った。

それはあまりに突然で、遠征に出ていた姉たちはすぐさま王宮に呼び戻された。

「姉たちは、次は自分かもしれないと怯えながらも、民衆の声に応えるため頑張ってるの。姉たちの邪魔をする気はないわ。政権だっていらない。でも、今度は……姉様たちが殺されてしまう。」

窓から差した光に照らされた彼女は、涙を見せずにただひたすらに声を絞り出す。

「だから、必死に悪魔族のことについて調べて、私も力になると言ったけれど、無駄だった。姉たちは私を心配して取り扱ってくれないし、何よりも、政治的な能力がないことを気遣ってのことだと思うわ。」

確かに、まだ成人していない、しかも末の妹に協力させたいとは、到底思えないだろう。

冷静に考えれば、姉たちの言っていることはまともで、理にかなっている。

「でも、私、このまま待っているのは嫌なの。大事な家族を死なせたくないの。だからお願い、力を貸して。」

腕で目を擦り、しっかりと前を向くベラは、王女としての顔を見せていた。

話をまとめると、父親殺しの悪魔族討伐に、流風が策士として抜粋されたわけだ。

軽く息を吐く。そう言われたところで、引き受ける気はさらさらない。

最も、流風にとって、頼まれごとは一番面倒で厄介なものだった。

勿論、頼まれごとをされる人柄ではなかったし、もし仮に頼まれたとしても、まともに相手をするだけ無駄だ。

成果を出さなければ「役立たず」だと罵られ、途中で放棄すれば「責任がない」と責められる。

じゃあ成功したら?

次頼んできた奴は、偉そうな口でこういうのだ。「次も頼んだよ」と。

何様のつもりで頼んでいるのだろうと何度も疑問に思った。人という獣はこういう場所で自分は「優位に立っている人間」だと思い込むのだと、心底反吐を吐いた。

だから、たとえ目の前の彼女が目を潤して頼んできても、引き受けない。

「それって、国の常備軍、とかじゃダメなんですか?」

普段と変わらず、飄々としたまま、口を開ける。

しかし、彼女はふるふると小さく首を横に振った。

「だめだったの。今常備軍は全て姉たちが管理している。だから、ギルドを作ろうと思ったの。」

「ギルド?」

「ええ。個人経営のチームみたいなものよ。今回の場合は、冒険者ギルドに、あなたを策士として招待したい。」

上手く流そうと思ったが、どうやらこの少女にいつものごまかしは通用しない。

「すみません。せっかくのお誘いですが、引き受けられません。」

仕方なく、座りなおして、真正面に向き直る。

「僕は策士として適任ではありません。それに、僕、あなたが思っているほどすごい人じゃないですよ。」

『オオカミ少年』。それがあだ名で、嘘をつきまくって、17年間育ってきた村を焼け野原にして、挙げ句の果てには、自殺。

明らかに、正面に座っている少女の期待に応えられるような人ではないことくらい、自分でわかっていた。

「オオカミ少年とか、虚言癖とか、嘘つきとか。嘘をつくと快感が得られるんです。不思議でしょう?」

空になったグラスを見つめる。

そこに映ったのは、ただの醜い狼。

「あなたの意志には大いに賛成です。ですが、僕はあなたのことを果たして守り切ることができるでしょうか?ただのオオカミ少年が、嘘をつかって守れるとでもお思いですか?」

不意にグラスから視線を外す。彼女の反応が、気になってしかたなかった。

ゆっくりと、目の前に佇む少女に視線を移す。ふと、目が合った。

「あなたは、ただのオオカミ少年なんかじゃないわ。快感を得るために嘘をついてるのでもない。あなたは、さっき私を助けるために嘘をついた。」

凛とした表情。さっきとは違い、目には涙がなかった。そのサファイアの瞳は、ただ前を見ていた。

「確かに、地上では忌み嫌われていたのかもしれない。あなたは、あなた自身が罪な存在だと思っていたのかもしれない。でも、私は、あなたのその観察眼に圧倒されたの。」

「観察、眼?」

「そう。観察眼。客観的に相手を見てから、あなたは人間じゃないと嘘をついていた。それに、あなたは今私に嘘をついていない。嘘をつく相手を選んでいる、そうじゃないの?」

どくん、と心臓が跳ね返った。激しく音を立てては、耳から体の至る所に血が巡るのがわかる。

行き場のない手が、小刻みに震える。

この少女に嘘をついていないなんて、何を言っているのだろうか。

いや、でも確かに事実を言った。嘘をつけば快感を得られるとさえも。

じゃあ、実際自分は嘘をつく相手を選んでいるのか?そうすることを望んでいる?

ただただ脳内で少女の言葉を反復する。その様子を見つめていたベラは、ふと微笑んだ。

「ねえ、ルカ。私はあなたのその「嘘つき」を人のために使えると思うの。」

行き場のなくなった手が不意に取られる。そのまん丸な瞳から溢れたサファイアに吸い込まれた。

「どうか、手を貸して。ルカ。」

心のどこかではもうわかっていた。この少女は、村の人とも、あの鎧とも違うということを。

父親を亡くし、命がけで国を救おうとする姉たちを眺めるだけで、何もできない無力感。

そんな感情をどこかで持っているにも関わらず、そばにいるたかがオオカミ少年を「観察眼が鋭い」と褒めては元気づけている。

眩しい。眩しすぎる。嘘でしか生きてこなかった流風にとって、目の前の少女は、ただ眩しすぎた。

「でも、俺にそんなことする資格なんてないんだよ」

頼まれごとは嫌いだし、こうやって綺麗事ばかりいう人はもっと嫌いだ。

「火事で村の人が死んだとき、俺は誰も助けなかった。何も思わなかった。そんなやつが人を助けるとか……できるわけないだろ。」

それなのに、なぜこんなにも心が騒ぐのか。なぜ、息もできないほど嗚咽が回って、目頭がツンと熱くなるのか。

「ルカ、大丈夫よ。後悔があるのなら、きっと人を助けることができるわ。」

なぜ、ベラの言う言葉が、綺麗事ではないと、どこかで思ってしまうのか。

結論は、もう出ていた。

「……わかりました。策士となりましょう。」

静かにそう告げた。

この少女に魅せられている自分と、そんな状態に驚き呆れている自分もどこかに存在していて、なんだか混乱してしまう。

ベラは花を咲かせるように笑顔になり、そのサファイアの瞳をきらっきらに輝かせた。

「ルカ!ありがとうー!」

ブンブンと手を振られ、激しい握手会のような絵面に目を点にしていると、ベラは笑顔のまま席を立つ。

「あっ、そうだ。敬語じゃなくて良いわよ。私たち同い年なんだから。」

「……え、いつ僕の年齢を?」

何食わぬ顔して外へ出ようとするベラに、勢いよく立ち上がって駆けていく。

扉を開きながら、振り返ったベラは、可愛らしくウィンクをした。

「言ったでしょ。私は全知全能の神の子孫だって。」

全知全能ということはつまり、なんでも知っているということだ。

つまり、彼女に嘘をついても意味のないことを指している。

「……そうだったね。」

神は恐ろしいな、と薄々感じながら、流風は夕暮れの酒場を後にした。

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