3
「ねえ、あなた。大丈夫?」
甘い香りがする。ケーキやマカロンの匂いを混ぜ合わせたような匂い。
「おーい。死んでるの?」
それに鈴のなるような可愛らしい声。
「起きなさーい!!」
突然、耳元で大声で叫ばれ、目が強制的に覚醒し飛び上がる。
きんきんする耳を抑え、まだ不安定な視界を無理矢理安定させた。
目の前に誰か立っている。エメラルド色のパンプスが視界の初めに映った。
「ああ、よかった。生きてたのね。」
声が聞こえた方向へ首を上げる。
そこには、一人、風変わりな少女が立っていた。
真ん中で分けられた髪は、未知数に輝くダイヤモンドのような色で、その背中まである猫っ毛を、白色のリボンでハーフアップに結んでいる。
白い肌に小さくくっついた鼻と口。そして、丸い瞳の奥に輝くサファイアの瞳は、流風をしっかりと捉えていた。
細い首筋、華奢な肩を出して、ドレスを纏っていた。白を基調としながら、胸元や腰に巻かれたリボンはエメラルド色。ふんわりと立ち上がったバルーンスカートはオーロラのような色で煌めいている。
「こんなところで倒れてるなんて、一体どうしたの?」
少女は、心配そうに綺麗に整えられた眉毛をハの字に下げる。
「あっ、そうか。」
展望台で見た炎に包まれた村。嘘が本当になったこと。そして、自分は崖から飛びおりたこと。
全ての過去がフラッシュバックして繋がった。
そこでふと疑問が生まれる。
「ここはどこなんですか?」
見渡す限り、背の高い建造物に囲まれた路地裏くらいしか情報がない。
死んだはずだから天国?それとも運良く生き残って、誰かに連れてこられた?
ぐるぐると疑問が回る中、少女はこくりと首を傾げた。
「ここはどこって、そりゃあ……」
「おい、見つけたか?」
と言いかけた時、すぐさま彼女の背後の方から声が聞こえた。
その瞬間、びくりと体を震わせ、さっきまでのほんわかした様子とは一変し、顔色がさあっと青くなる。
「こっちの方に曲がっていかれました。」
どうやら路地裏の前に二人いるらしい。固まった少女は、ただひたすらに震えている。
「……どうかされました?」
尋ねれば、その大きな瞳をキョロキョロと動かしては、突然流風の後ろの方へ走り出る。
「ごめんなさいっ」
「えっ?」
振り返れば、彼女はすぐ後ろの路地へと姿を消していた。
一体どうしたのだろうか、と思っていると、がんっと地面を何かで叩きつける音が背後で聞こえた。
「おい、そこの少年。」
「え。」
ドスの聞いた声に恐る恐る振り返ると、流風より一回り大きな鎧姿の人が流風の肩を掴んでいた。
「どうやらこの方向へ、銀色の髪の少女が向かっていったという情報があるのだが……見なかったか?」
もう一人の、同じように顔を覆い隠した鎧が、流風を見下ろしていた。
銀色の髪の少女。さっきの少女に間違い無いだろう。
「いや……分かりませんね。僕、ここらへんで迷子になってたもんで。」
はは、と目を細めて笑う。さっきの様子を見る限り、相当この鎧姿の人たちに怯えているのだろう。黙って引き渡すわけにもいかず、適当に理由を作って誤魔化す。
すると、また耳が痛むような金属の鈍い音が聞こえた。手前の鎧が、手に持っていた槍を地面に突き刺す。
「誤魔化すなよ。姫を匿うような真似をするのなら、命はないぞ。」
「姫?」
あの少女のことか、と理解すると同時に、ここが日本ではないことを理解する。
「先輩、本当にわからないみたいですよ。」
「そうか……。すまない、乱暴な真似をした。」
後ろにいた鎧がそう耳打ちをすると、おとなしく前の鎧は引き下がった。
とりあえずバレずに一安心し、胸を撫で下ろしていると、今度は後ろの鎧が、音を鳴らしながら顔の前に手を置いた。
「でも、先輩。この男から妙な匂いがしませんか?」
「匂い?」
「そうです。ああ、そうだ、地上の匂い。ニンゲンの匂いです、先輩!」
やや興奮気味に告げる鎧に、前の鎧は「何だと!?」と声を上げる。
地上、ニンゲン。どうやらこの世界は、日本でもなく外国でもない。いわば地球上に存在しないどこからしいと、流風はその事実を飲み込む。
「おい、お前、ニンゲンか?」
そう問い直した鎧は、さっきまでとは比べ物にならないくらい声を低くしていた。
「先輩、これを王家に献上したらどれだけ報酬がいいか!」
「おい!口を慎め。」
なんて小芝居を見ながら、流風は押し黙って思考を巡らす。
王家に献上、ということは、ニンゲンの地位がかなり低いと考えられる。
そして、この献上品を渡した鎧たちは優遇されるというわけか。あの少女を困らせ、しかも自分の利益しか考えていない。こいつらも所詮あの村の人と同じなのだと、どこかで納得して、口喧嘩をしている鎧の前で口を開けた。
「あのぉ、すみません。」
二つの鎧が一斉に流風へと視線を送る。高圧的で、人を殺しそうな鋭い目線だ。
それに対し流風は、いつもと変わらないと言った風に、おどけてみせた。
「期待させて申し訳ないんですけど、僕、地上に出向いてきたばかりの者なんですよ。」
手を頭の後ろに持ってきてヘラッと笑えば、手前の鎧はかしゃんと音を鳴らして威圧する。
「嘘をつくな。その匂い、留学ごときで出せるものではない。」
またキーワードがとびこんでくる。実に好都合な状況だ。
「ああ、それは、たぶん留学中持って帰ってきたこれかと。」
ごそごそとズボンのポケットの中に入っていた金平糖を数個取り出して見せる。
「これ、地上でもらってきたんです。あと、この服も、留学中に買い揃えて、急遽帰ることになったのでそのまま来ちゃったんですよぉ。そしたら、この路地裏で迷ってしまって、いやぁ、運が悪かったなぁ。」
どうやら金平糖に興味があるらしい。すぐに手元に喰らい付いて、そのあとの話なんてそっちのけだった。
あの老婆にも少しは感謝だなと思いながら、笑顔は崩さずに口だけ動かす。
「ていうことなので、残念ながら僕はニンゲンではないんです。期待させてすみません。」
「いや、いいんだ。こちらこそすまないな、疑ってしまって。」
「ちなみに、これをもらっても……?」
手のひら返しをする人たちなんて、たくさん見てきた。
「はい。このようなものでよかったら受け取ってください。」
にっこりと笑顔で言うと、顔こそ見えないものの、二人とも声のトーンが少し上がって上機嫌になっていた。
「それでは、私たちはこれで。」
「感謝するよ、それじゃあね。」
狭い路地裏で、二つの鎧が音を立てながら帰っていく。
その背中が見えなくなるまで、流風は手を小さくふりかえしていた。
「……その、ありがとう。匿ってくれて。」
ふと後ろで鈴の鳴るような声が聞こえる。
振り返れば、さっきのドレス姿の銀髪の少女が、真剣な顔をして歩み寄ってきた。
「なにもしていませんよ、僕は。ただのしがない留学生ですし。」
作り笑いを浮かべる。この少女にも、全く危険視していないわけではない。さっきの話の続きから引っ張ってきたネタをこする。
すると、真剣な表情のまま、首を横に振った。
「私に嘘はつかなくていいわ。あなた、人間よね。」
そのサファイアの瞳が、流風を捉えて離さない。
笑顔のまま、静かに首を横に振っても、少女は変わることがなかった。
「じゃあ、ここはどこか、わかる?」
「そ、れは……」
自分に落ち度があった。完全に計算ミスな落ち度に、押し黙っていると少女は話し続けた。
「いいの。あなたを責めるつもりはない。私は全知全能の神だし、あなたのことを最初に見つけた時から、あなたが人間だってわかってたわ。」
腕を組んで、冷静に言い張る少女に、頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになる。
「ま、待ってください。全知全能の神?あなたが?」
「ほら、やっぱり人間じゃない。」
そのふっくらとした唇に、笑みが溢れる。
「あなたの最初の質問、答えてあげましょう。ここは、ロミシェランナ。神の楽園よ。」
「……は?」
あまりに唐突な展開に、思わず口が空いたままになる。
さっきの鎧の話から、天国か、もしくは地球上に存在しないどこかだとは思っていたけれど、神の世界だとは到底思えなかった。
まあ、天国でも神はいるのだろうから驚きはしないと思うが、この路地裏の雰囲気からして、明らかに神がいるような世界ではない、と思う。
神はもっと雲の上とか、無機物に囲まれた非現実的な場所かと、流風の中では勝手に定義づけられていた。
「あの、全く意味がわからないんですけど。ていうか誰なんですか?」
抱えきれないカンスト状態の頭でそう尋ねると、目の前にいる少女は、肩にかかった自分の髪の毛を手で払って、にっこりと笑った。
「ああ、自己紹介がまだだったわね。私はベラ・ユーピテル。この世界の最高神ユーピテル神族王家の第四王女なの。」
ふんわりと、天使のような笑顔をしながら、ベラは説明してくれた。
神の楽園「ロミシェランナ」。
天国でも地獄でもないこの世界は、神様のためにできた世界なんだそう。
最高神ユーピテル、すなわちゼウスの神族を中心に、11種の神族が、この「ロミシェランナ」各地の聖地と呼ばれる領域を守っているんだとか。
昔は、芸術や美術でよく見るような楽園で過ごしていたらしいが、今となっては、人間の生活に少しにかよってきているらしい。
また、人間もごく少数だが、この地に流れてくることがあるらしく、その場合、大体その聖地の神族に飼われ、人畜同様働かされる。
「死んだ人間って、魂の重みによっていくところが変わるんだって。地上に悔いのない魂は軽いから天国へ登っていくし、逆に悔いがあったり罪を犯したりした魂は重いから地獄へと降っていく。」
現実味のない話に呆然と立ち尽くす流風に、ベラは話し続ける。
「そして、罪は犯していないけれど、でもどこかで悔いがあったり、自分の死に納得していない魂は、微妙な重みをしているの。だから、地上と天国との中間地点にある、このロミシェランナに辿り着くことがある。」
「悔い……」
特になかったはずだ、と思いながらも、あの雨の中でふと沸いた疑問を思い出す。
「本物」の自分とは何か。
それが引っかかって消化しきれなかったのだろうかと自問自答していると、ふとベラは口を開けた。
「ねえ、あなたの名前は?」
前を向けば、サファイアの目を輝かせた彼女がそこにいた。さっきの鎧とは違う、キラキラとした視線が送られて、少々戸惑う。
「狼煙、流風。」
「ルカ、いい名前ね!ノロシ、って家系の名前かしら。もしかして東欧の地上の方?」
生まれて初めて名前で褒められた。少し照れ臭く、不安定な気持ちを抱えたまま、頷いてみると、彼女はさらに目を開いて喜んだ。どうやら初めて東欧の人間を見たらしい。
ふわふわと動くたびに跳ねる髪の毛を見て、羊のようだなと思っていると、急に打って変わって真面目な顔となった。
「ルカ、あなた、さっきの護衛を上手く騙したわよね?」
護衛……さっきの二人組の鎧のことか。
頷いてみれば、ベラは、その白い手を胸元に持ってきて口を開ける。
「どうやってあんなに上手くかわすことができたの?あなたは神の楽園だってこともしらなかった。普通の人間なら、あそこで問い詰められた時点で動揺して自分は人間だといってしまうか、騙そうとしても途中でボロが出て連れて行かれるわ。」
予想外の質問に、流風は目を丸くして固まってしまった。
生まれて16年、嘘をつくことを「うまくかわす」なんて言葉で表現した人を見たことがあっただろうか。
目の前の少女の、そのまっすぐの視線を受け止めることができなく、つい視線をずらす。
「いや……あれは、日常っていうか、嘘をつくのは慣れてるから。」
「じゃあ、なんで人間の世界じゃないって確信できたの?それに留学についても。」
「あれは、地上の人間からしたら、そもそも「ニンゲン」って呼び方がおかしいし、王家に人間を献上するだなんて、普通じゃありえないでしょう?留学については、あいつらがボロを出したからダシに使っただけだし、ただ嘘ついただけですって。」
そんな期待したような瞳で見つめられても、自分がそんなすごい人間だとは思えなく、ただただ縮こまる。
「ルカ!」
「えっ」
すると、ベラは、行き場の無くなった流風の手を不意に掴んで、引き寄せる。
よくわからない展開に目を白黒させていると、ベラは目をいっそう瞬かせて、興奮気味に告げた。
「あなた、私の専属の策士となって!」
「は?」
路地裏の、建物の隙間から薄明かりが漏れる昼下がり。
流風は、ただ唖然と、この銀髪の少女を見つめるのだった。
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