第4話 奥さんの秘密

 桜井刑事は、そこまで話すと、あとは適当に聞くだけで、その時の話を終えた。同じくらいのタイミングで、二人の質問も終わったようで、同じように開放されたのだが、どうも桜井刑事の性格からいうと、

「自分が先に終わってから、その後に、終わる人を、世間話で待っていたということなんだろうな」

 と思ったが、実は世間話の中に、

「警察として聞いておきたい」

 と思うようなことが含まれているような気がした。

 というのも、

「ここの商店街というのは、昔からあるんですか?」

 というところから始まったのだが、どうもこの始まり方が、

「松崎が一番乗って話せるくらいにまでなった」

 ということを感じさせるものであった。

 つまりは、短時間で、いかに話をさせるかというテクニックを、

「さすが刑事」

 ということを思わせたに違いない。

 桜井刑事は、

「ありがとうございました。また、お話を伺うことになるかも知れませんが、その時はよろしくお願いいたします」

 というのであった。

 三人は、

「お役御免」

 ということになると、それぞれ落ち合った。

 警察の調べがまだまだ続いていて、鑑識が、いろいろ見ているので、まだ死体の持ち運びもしていないかのようだった。

 それを見ると、三人は、捜査を尻目に、とりあえず、そのバカラ立ち去ることにした。

 当初の目的である。

「防犯」

 ということであれば、今の状態が一番安全かも知れない。

 何しろ警察がいるのだ。調べが終わり、現場保存のための、、線が敷かれ、そこは立ち入り禁止ということになるのだから、何かあれば、警察が調べてくれる。

「これほど安全なことはない」

 ということで、三人は、その場から立ち去ることにした。

 とはいえ、このまま帰るのも、何か嫌な気がした。

「お互いに警察から他の人が何を聞かれたのか?」

 ということが気になるに違いない。

「ファミレスでも行こうか?」

 と松崎が言い出したので。二人は、無言でお互いを見渡すこともなく、頷いたのだ。

「世界的なパンデミック」

 のせいで、24時間営業の店が、最近は少なくなったが、今でも、その店は24時間なのは分かっていたのだ。

 さすがに深夜、人は少なかった。

 パンデミック前であれば、学生連中が、勉強と称して、深夜たむろしているのを見かけるのだが、最近は、その姿もめっきり見なくなった。

 深夜に開いているお店が少なくなったことで、余計にそうなのだろう。

 何といっても、びっくりしたのは、

「コンビニが、閉まっている」

 ということであった。

「緊急事態宣言中」

 であっても、後半にならないと、時短営業しなかったコンビニが、もちろん、店舗形態のよるのだろうが、時短営業を常時している店が増えてきたのだ。

 そんなことを考えると、

「ファミレスで人が少ないのも、分かる気がする」

 といってもいいだろう。

「奥の窓際の席」

 というのは、誰も何も言わなくとも、いつもの指定席だった。

 もちろん、空いていることが大前提だが、少なくとも、一人で来るときも、

「奥の窓際というのは、指定席」

 という感覚だった。

 ここにいる三人は、皆、席に関しては同じだったが、

「席の場所」

 というのはそれぞれ違った。

 松崎は、奥の窓際」

 というのが指定席だった。

 理由は、

「店全体を見渡せるから」

 というのが理由で、彼は性格的に、

「まわりが見えていないと我慢できない」

 というところがあった。

 下手をすると、

「呼吸困難に陥りそうになる」

 というくらいで、自分では、

「閉所恐怖症だからではないか?」

 と思っていたのだ。

「閉所恐怖症」

 というと、電車に乗る時も同じで、他の人は、まぶしいからといって、ブラインドを下す人がほとんどだが、松崎は、絶対に下ろさない。

 もし、下ろそうとする人がいると、文句をいうくらいに感じていた。

「それで喧嘩になるくらいなら、喧嘩してやる」

 というくらいに思っていたので、それだけ本当につらいようだった。

 そして、あとの二人も着席の際に何も言わず、お互いに目配せをすることもなかったので、それぞれの指定席がバッティングすることはなかった」

 ということであろう。

 それぞれ席に着いて、いつもの、

「ドリンクバーを注文し、紅茶、コーヒーを入れにいって、戻ってくると、だいぶ先ほどのショックは消えていた」

 顔色がしっかりしてきたことで、笑顔も戻ってきていたのだ。

「それにしても」

 と最初に口を開いたのは、三人の中では一番若い、まだ20代の男だった。

 彼は、まだ店長というわけではなく、父親を見ながら修行しているところであった。店長としての、

「帝王学」

 のようなものは、父親からだけではなく、

「先輩から学ぶというのも一つだ」

 と父親も言っていた。

 これからの世代を担うお前たちが、

「それぞれに協力しあって、商店街の未来を築いてくれればいい」

 といっていたのだ。

 その理屈は、松崎にも、他の先輩にも分かっていて。青年が聞いてくれば、皆優しく教えてくれるというものだった。

「それにしても、何なんだい?」

 と、言葉を一瞬飲み込んだ青年に、もう一人が助け舟を出した。

 松崎は、いつも、

「ここぞというときに発言すればいいんだ」

 ということで、誰かとこういう会話になった時は、最初の方では、

「あまり自分から口を出さない」

 というようにしていた。

 今回も、黙って聞いていることにしたので、それを分かっているもう一人が訪ねたのであった。

「まさか、奥さんがあんな形で死体で発見されるなんて」

 といって、少し落ち込んでいた。

 どうやら、彼が、沢村家が、商店街を、

「裏切って」

 街から出ていくということで、皆が怒っている中で、彼だけが、真剣にさみしそうにしていたのを、松崎は分かっていた。

 だから、松崎は、

「彼は、奥さんのことが好きだったんだろうな?」

 と思っていた。

 彼は名前を、樋口といった。

 樋口青年は、最初こそ、寂しそうにしていたが、そのうちに、急に安心したようになり、笑顔が漏れるようになった。

 それは、ちょうど、沢村夫妻が、テナントに入るということで、引っ越していった時のことだった。

 彼らの中に、

「商店街を裏切った」

 という意識があるのかどうか、最初は分からなかった。

 しかし、

「近所に、大型商業施設ができる」

 ということを聞いて、それからずっと悩んでいたのは間違いないことで、皆が、

「そんなものに負けてたまるか」

 といって、士気を高めていた時に、いつも悩んでいる様子を浮かべていた沢村を、まわりの人間は、決して快く思っていなかったに違いない。

 そんな沢村を見ていてなのか、樋口も何か様子がおかしい。

 ということで、松崎は二人ともを気にしていた。

 しかし、表立ったトラブルがあるわけではない。もし、トラブルのようなものが少しでもあったのなら、それが何か分からないまでも、見ていて、分かるはずだからである。

 そして、二人が接触するということもなかった。どちらかというと、避けているという感じで、それも、避けているのは、樋口青年の方であった。

 その様子を見ていて、

「沢村が何か、商業施設のことで悩んでいるというのは分かったが、それを見ている樋口青年も、何かに悩んでいる。しかし、それは、商業施設に対してのことではないように思う。それであれば、樋口は沢村に接触するはずなのに、避けているからだ、となると、樋口は、沢村を避けながら、気にしている様子というのは、これほど目立ち、しかも、それが、アンタッチャブルであるということを思わせるに違いない」

 と感じさせるのであった。

「奥さんが殺されたというのは、本当にびっくりだよな」

 といったのは、もう一人の、名前は秋元といった。

 秋元は、三人の中では、一番、

「中立的な考えを持つことができる」

 という男であった。

 松崎も、そういうもそういう意味では中立的な考えを持てるのであるが、彼の場合は、まわりから、

「ご意見番」

 あるいは、

「元老」

 とでも言われているのだった。

 年齢も、皆の中では一番年を食ってもいると、その分、しっかりしているということが露呈しているからであった。

 要するに、

「皆が認める、元老」

 ということである。

 そんな立場になると、表向きは、

「中立」

 ということであっても、どうしても、まわりをまとめなければいけないという意味での、

「中立」

 ということなので、秋元のような、

「まったくかかわりにならない」

 という中立とは、質が違っているということになるのだ。

 秋元のその言葉を聞いた樋口青年は、

「ええ、そうなんですよ。奥さんが殺されたということもそうなんですが、僕は、どうして死体があそこにあったのか? ということの方が不思議なんですよね?」

 というのであった。

 樋口青年が奥さんのことを、

「男として見ていた」

 

 ということは、

「公然の秘密」

 ということであった。

 だからといって、樋口青年と奥さんが、

「男と女の関係」

 になっているとは思えなかった。

 なぜなら、樋口青年が、

「不倫に嵌っているとすれば、もっと、異常な状況になっている」

 といえると思ったからだった。

 樋口青年は、

「一つのことに嵌ってしまうと、猪突猛進になってしまう」

 というほどに、いい言い方をすれば、

「実直な性格」

 ということであり、悪い言い方をするとすれば、

「融通が利かない」

 ということになるのである。

 そして、そういう人間にありがちな、

「ウソをつけない性格」

 ということで、思ったことが、すぐに態度に出るという、ある意味、

「損な性格」

 といってもいいだろう。

 だが、意外とそんな樋口青年は、

「先輩たち」

 から人気があるようで、さらに、これはあまり知られていなかったが、

「その奥さん連中からも、ひそかに気に入られている」

 ということであった。

 松崎は、その中では、あまり樋口青年のことを意識はしていなかった。

 というのも、

「一人にのめりこんでしまうというのは、あまりいい傾向ではないからな」

 と思ったからだった。

 そんな状態を松崎は、

「少し歪なことになっているな」

 ということで、

「一応気に留めておこう」

 と感じるようになっていたのだった。

@それにしても、確かに奥さんが、あの場所で殺されたというのは、解せないですよね、特にあの場所は、狭くなっていて、入って何かをするには、狭すぎますからね」

 ということであった。

 というのも、あの場所は、ビルの中の、一つの店舗の、ガスメーターなどがあるところで、それも、

「表にあると、体裁上悪いから」

 ということで、奥まったところにあったわけで、要するに、

「ガス会社などの点検員が、入れるだけのスペースがあればいい」

 というところだったのだ。

 だから、

「無駄に広くするという必要などない」

 ということであった。

 ガス会社だけでなく、電気もそうである。

 ただ、一つ言えるのは、

「何かあった時、修理をできるだけのスペースは必要だ」

 ということもあって、人が二人並んでも、少し余裕があるほどという程度にはしてあるということであった。

 そのことは三人とも分かっていて、さすがに、

「人間関係には、まだまだ」

 という樋口青年も、そのあたりの、建設上の理屈は、分かっていたのだ。

 樋口青年というのは、

「想像以上に賢い青年だ」

 ということは、誰もが認めるということであったのだ。

 だから、皆も、樋口青年を、早くから認めていたのだった。

 樋口青年が、そういう理屈に強いというのは、

「彼は、国立大学を出ていて、そこの理工学部に所属していた」

 ということを聞いたからだった。

 こういう商店街の人たちというのは、比較的、

「閉鎖的な人が多い」

 と言われているが、だからといって、

「閉塞性がある」

 というわけではなく、

「都会から来た人がいたとすれば、最初は、一度は皆、敬意を表する」

 という気持ちになるのである。

 しかし、敬意を表した相手に、少しでも、こちらに対して、マウントなどをとったとすれば、もう許さない。

 ここから先は、商店街の人間が一緒になって。

「あいつを追い落とそう」

 と考えるか、

「追い出そう」

 とするに違いない。

 追い出すということになったとしても、そこは、本当に露骨であり、

「相手に、皆が敵なんだ」

 ということを思い知らせることで、自分から逃げ出すように仕向けるのである。

 だから、

「必ず、どこかに、逃げ道を作っておく」

 ということが当たり前ということであった。

「逃げ道を作らずに、相手をつぶす」

 ということもできるだろう。

 ひょっとすると、そっちの方が楽なのかも知れないが、商店街の人たちは、

「皆、優しい」

 といえばいいのか、

「とどめを刺すことを嫌う」

 という傾向にある。

 しかし、この考え方には、賛否両論がある、

 たとえば、誰かが切腹をしなければいけないという時、

「とどめを刺す」

 ということで、

「介錯をする人間」

 というのが、必ず必要となるであろう。

 どういうことなのかというと、

「腹を切るだけでは、なかなか死にきれないので、後ろから、首を落として、少しでも苦しみから解放してあげる」

 ということをする人が必要であった。

 切腹というのは、いわゆる、武士における、

「けじめ」

 ということであり、

「自らで自らのけじめをつける」

 ということで、日本では、当たり前のことだった。

 だから、戦に負けた時、そこの領主は、

「最後には腹を切る」

 ということが当たり前になっている。

 討ち死にということになると、相手に、首を献上することになってしまうが、それは、武士としては、嫌なことであっただろう。

 あるいは、相手につかまってしまった場合というと、まず間違いなく、

「斬首」

 ということになるのは必至で、武士としては、

「斬首よりも、自ら、腹を切って果てる」

 という方が、潔いということになるのだ。

 だから、まずは、

「武士の情け、切腹させてくれないか?」

 と頼む人もいるだろう、

 しかし、ほとんどは斬首ということになる。

 その理由は、

「斬首することで、まわりに対して、自分に逆らうとこうなる」

 という戒めもあり、さらに、

「これからは、自分がここを治めていくということへの宣言」

 という意味もあるだろうから、

「斬首は致し方のないことだ」

 ということであった。

 それを考えると、

「とどめを刺すことは悪いことではなく、相手を楽にさせるということで、善だといってもいいのではないだろうか?」

 ということだった。

 そういう意味で、一番今の時代で問題になることというと、

「安楽死」

 というものである。

「尊厳死」

 という意味のこともあるのだが、

 例えば、病気や、事故によって、

「植物人間化」

 してしまった人間は、

「はっきりいって、目覚めるという確率は、万に一つも」

 という状態において、

「このまま生かしておいても」

 と考えるのは、必死であった。

 しかも、生かすためには、

「生命維持装置」

 というものが必要で、

「その費用は、バカ高い」

 といってもいいだろう。

 看病しなければいけないのだから、当然、仕事もやめて、無収入状態になったにも関わらず、莫大な、

「生命維持装置費用」

 を払わなければならない。

 もし、仕事をするために、誰か、見てくれる人を雇うとしても、お金がかかるのだ。

 しかも、その人にも他に家族がいてその人たちを養わなけれないけない立場であれば、金銭的には、

「もうどうしようもない」

 ということになってくる。

 精神的には、ズタズタになってしまい。家庭も崩壊しかねない状況で、本人は、

「目が覚める確率は、万にひとつ」

 などというと、普通なら誰が考えても、

「とどめを刺してもいいのではないか?」

 ということであるが、現行法では、例外は若干あるが、

「有罪」

 ということになるだろう。

 日本の刑法には、

「違法性阻却事由」

 というものがあり、

「一定の条件を満たせな、人を殺したとしても、罪にならない」

 と言われているのがあるではないか。

 それは、刑法としては、二つなのだが、

「正当防衛」

「緊急避難」 

 である。

 正当防衛は、分かるとして、緊急避難というのは、

「大きな船が座礁するか、難破するか何かして、海に救命ボートで逃げた人がいたとして、そのボートが、4人乗りだったとした時、ちょうど4人が乗っていて。もう一人が、泳ぎ着いて乗ろうとするのを妨害し、死に至らしめたとしても、その時、その人を乗せると、皆が、おぼれて、全員が死ぬことになる」

 というような場合は、

「殺人罪に問われない」

 ということであった。

「正当防衛」

 も、

「緊急避難」

 も、どちらも当然のごとくに、

「一定の要件がそろってのこと」

 ということであるので、

「尊厳死」

 とはある意味変わらない。

「尊厳死」

 というのも、ある程度の要件がそろっている場合ということなのだが、あくまでも、それは、

「家族の事情」

 ということではなく、

「患者の症状」

 に限られてくるのだ。

 確かに、生命装置を外すというのは、普通に考えればいけないことなのだろうが、

「違法性阻却の事由」

 と何が違うというのか、

 人を殺したとしても、それは、

「ほぼ生き返る可能性がない」

 ということを言われた状態で、それでも生き続けなければいけないということで、

「生かされている人間」

 というのにも、意志はないのか?

 ということである。

 生前に、遺言として、

「植物人間になってまで生き続けたくはない」

 ということを表記していれば、少しは違うだろう。

 しかし、考えてみれば。生きている人間を。

「生きる屍」

 として、しばりつけてしまうことは、それこそ、

「基本的人権の尊重」

 をむさぼるものだとは言えないだろうか?

 これ以上を言うと、いろいろ問題になるので、控えるが、

「安楽死」

 という問題は、人間が生存し続ける間は、

「永遠の問題」

 ということになるのではないだろうか?

 それを考えると。

「今回の事件から、少し離れた」

 ようだが、奥さんには、

「あまり知られていないという部分が多い」

 ということもあり、三人は、それぞれに、いろいろな発想を思い浮かべては、噂話のように言っていた。

 しかし、そのうちに、樋口青年が、少し、そわそわし始めた。

 最初は、

「トイレにでも行きたいのか?」

 と思ったが、一向にその様子は示さない。

「何かを我慢している」

 という様子は見てとれたが、だからといって、

「何かを言おう」

 としているのは明らかなのに、一向に切り出そうとはしない。

 確かに、樋口青年には、優柔不断なところがあり、

「何かを切り出すことに、かなりの神経を遣う人間だ」

 ということは、松崎には分かっていたことだった。

 だから、

「何がいいたいんだ?」

 と考えていると、助け船を出してあげたくなったのだ。

「樋口君。何か言いたければ、いっても構わないんだよ」

 と、松崎がいうと、秋元は、興味深そうに、彼を見ていた。

「実は」

 とちょっと口にした時、まだ黙り込んで、きょろきょろしている、誰も他にはいないのが分かっているはずなのにである。

 そして、彼は続けた。

「実は、奥さんが不倫をしているという話があるんです」

 というではないか。


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