第5章:社会人としての挑戦と愛の形(就職1年目)

 大学を卒業して2年が経ち、私の人生は予想もしなかった方向に進んでいた。オリンピック出場を目指していた私だったが、交通事故で膝を壊され、選手生命を絶たれてしまった。


 事故の痛みが引いた後、私を襲ったのは深い絶望感だった。病室のベッドに横たわり、窓から差し込む光さえも私の心を暗くするだけだった。膝の診断結果を聞いた瞬間、私の中で何かが崩れ落ちた。オリンピックの夢、アスリートとしてのキャリア、全てが一瞬にして砕け散ったように感じた。


 その絶望の中で、雛が激しく暴れ始めた。私の中で渦巻く怒りと悲しみ、そして自己嫌悪。それらの感情が雛を通して表出し、時に看護師に怒鳴り散らしたり、リハビリを拒否したりした。私は自分自身をコントロールできなくなっていた。


 しかし、そんな私を救ってくれたのは、美月と琴音の存在だった。2人は毎日のように病室を訪れ、私に寄り添ってくれた。美月は私のためにスケッチブックを持ってきて、ベッドサイドで絵を描いてくれた。琴音は環境問題に関する新しい本を読み聞かせてくれた。2人の優しさと変わらぬ愛情が、少しずつ私の心を癒していった。


 ある日、琴音が持ってきた本の中に、障がい者アスリートの話があった。その話に触発され、私は自分の可能性を見直し始めた。確かに、オリンピック選手になる夢は叶わなくなった。しかし、スポーツを通じて人々を励ますという本質的な夢は、まだ諦める必要はないのではないか。


 その気づきをきっかけに、私は少しずつ前を向き始めた。リハビリにも積極的に取り組むようになり、車椅子の操作にも慣れていった。雛の存在も、以前のように暴れるのではなく、むしろ私を励ますような存在に変わっていった。


 そして退院後、私は障がい者スポーツの世界に飛び込んだ。最初は戸惑うことも多かったが、自分の経験を活かしながら、徐々に指導者としてのスキルを磨いていった。


「私の経験を活かして、誰もが楽しめるスポーツの環境を作りたいんです」


 車椅子バスケットボールチームのコーチとして、私は熱心に指導に当たっていた。この仕事を始めてから、雛の存在もますます私の一部として受け入れられるようになってきた。


 事故は確かに私から多くのものを奪った。しかし、それと引き換えに新たな可能性を与えてくれた。今の私は、障がいを持つ人々にスポーツの喜びを伝え、彼らの人生に希望の光を灯す仕事ができることを誇りに思っている。



 ある日、美月から思いがけない提案があった。


「私たち、一緒に暮らさない?」


 その言葉に、私は戸惑いを隠せなかった。


「でも、私たちの仕事は全然違う場所だよ?」


 しかし、議論の末、3人で同居を試してみることに決めた。都心から少し離れた、自然豊かな地域に一軒家を借りることになった。


 引っ越しの日、久しぶりに3人で対面した時、私は思わず呟いた。


「みんな……変わったね」


 少し寂しそうな私の声に、琴音が優しく微笑んだ。


「でも、大切なものは変わってないわ」


 同居生活が始まると、予想外の困難が待っていた。生活リズムの違い、仕事のストレス、そして何より、3人の関係性の変化が私たちを戸惑わせた。


 ある夜、美月のVR作品の締め切りで彼女が徹夜で作業をしていると、私は心配になって声をかけた。


「美月、無理しないで。体壊しちゃうよ」


 しかし、美月の冷たい返事に、私の中の雛が騒ぎ始めた。


(やっぱり、私たちもう昔みたいじゃないんだ)


 そんな思いを抱えながらも、私は必死に雛を抑えようとした。


 ある日、琴音が仕事から帰ると、私と美月がリビングで激しく言い合っていた。


「あなたの作品、正直理解できない」


 私の中の雛が、ついに抑えきれずに出てきてしまった。しかし、琴音が間に入ってくれたおかげで、私たちは我に返った。


 美月は黙って私と琴音の手を取り、自分の作業部屋に連れて行った。そこで、最新作のVRヘッドセットを被らせてくれた。


 美月の作品世界に入った瞬間、私は息を呑んだ。そこには、3人の思い出や感情が色鮮やかに描かれていた。私の中の雛も、その美しさに魅了されたようだった。


「これが……私の本当に表現したかったもの」


 美月の静かな言葉に、私の目には涙が溢れた。



 月光が窓から優しく差し込む静謐な夜。

 美月のアパートの一室で、3つの影が月明かりに照らし出される。美月、琴音、そして私。8年の歳月を経て、再び3人が寄り添う瞬間。


 空気は期待と懐かしさで満ちていた。美月の繊細な指が、そっと私の頬に触れる。その指先の温もりに、私は小さく身震いする。琴音は静かに私たちの様子を見守りながら、少しずつ距離を縮めてくる。


 美月の指が、私の膝に添えられたサポーターに触れる。その瞬間、彼女の目に浮かんだ心配の色を見逃さなかった。


「陽菜、膝は大丈夫?」美月の声には、優しさと不安が混ざっていた。

「平気だよ。むしろ今は癒されてるくらい」私は小さく微笑んで答えた。


 琴音が静かに近づき、膝に手を添える。


「本当に無理しないでね」


 彼女の声には、深い愛情が滲んでいた。


 2人の優しさに、私の目に涙が浮かぶ。事故から立ち直るまでの道のりは決して平坦ではなかった。でも、この2人がいつも側にいてくれた。その思いが、胸に込み上げてくる。


 ゆっくりと、私たちの唇が重なる。それは、8年前の初めてのキスのように柔らかく、しかし今はより深い愛情に満ちていた。美月の唇の柔らかさ、琴音の吐息の温かさ。全てが懐かしく、同時に新鮮だった。


 私の中で、雛の存在が静かに目覚める。しかし、もはやそれは恐れるべきものではなかった。雛は穏やかに、この瞬間を楽しんでいるようだった。その存在が、むしろこの瞬間をより鮮明に、より深く感じさせてくれる。


 美月の指が、私の首筋をなぞる。その軌跡に、小さな火花が散るような感覚。琴音の唇が、私の耳たぶに触れる。その温もりに、全身が溶けていくよう。


 私も、2人の体に触れていく。美月の柔らかな曲線、琴音のしなやかな肢体。8年の歳月は、彼女たちをより美しく、より魅力的にしていた。その変化を、指先で確かめていく。


 時が経つにつれ、私たちの動きは少しずつ熱を帯びていく。しかし、それは荒々しいものではなく、まるで静かな湖面に波紋が広がっていくような、穏やかで深い愛撫だった。


 汗ばんだ肌と肌が触れ合う音が、部屋に静かに響く。美月の甘い吐息、琴音の抑えた喘ぎ、そして私自身の声。それらが混ざり合い、美しい調べを奏でているかのよう。


 その中で、私は雛の存在をより強く感じた。しかし、それはもはや恐怖ではなかった。むしろ、この瞬間をより深く、より強く感じさせてくれるものだった。雛の存在が、私の感覚を研ぎ澄まし、美月と琴音との触れ合いをより鮮明に、より強烈に感じさせる。


 雛は私の一部として、この喜びを共有しているようだった。その存在によって、私は美月と琴音の魅力を新たな角度から発見していった。美月の芸術的な指の動き、琴音の知的な瞳の輝き。それらが、雛の視点を通すことで、より魅力的に、より愛おしく感じられた。


 美月と琴音への深い愛情が、私の全てを満たしていく。それは、8年前には想像もできなかったほど深く、強いものだった。2人との再会、そして和解。それらの全てが、この瞬間に集約されているかのようだった。


 私たちの体が一つになっていく。それは、ゆったりとした川の流れのように、自然で穏やかなものだった。美月の柔らかさ、琴音の優しさ、そして私と雛の情熱。それらが溶け合い、新たな形の愛を生み出していく。


 時間の感覚が失われ、私たちはただ互いの存在だけを感じ取る世界に浸っていく。美月の指先、琴音の唇、私の体。全てが調和し、まるで一つの生き物のように呼吸を合わせる。


 そして、静かに訪れる絶頂の瞬間。それは、激しい嵐のようなものではなく、むしろ暖かな光に包まれるような感覚だった。3人の魂が完全に一つになり、そこに雛の存在も溶け込んでいく。


 余韻に浸りながら、私たちは強く抱き合った。美月の柔らかな髪が私の頬を撫で、琴音の温かい吐息が首筋をくすぐる。


「ただいま」


 私は小さくつぶやいた。


「「おかえり」」


 美月と琴音が同時に応えてくれた。


 その言葉に、8年の歳月が凝縮されているようだった。別れと再会、苦悩と喜び、全てを経て、私たちは再びここに戻ってきたのだ。


 月明かりが3人の姿を優しく照らす中、私たちは新たな誓いを立てた。これからも共に歩み、互いを支え合い、そしてこの愛をより深めていくことを。


 美月が優しく私の膝に触れ、「これからは、私たちが陽菜の足になるから」と囁いた。琴音も頷き、「3人で一緒なら、どんな困難も乗り越えられる」と付け加えた。


 その言葉に、私の目に再び涙が浮かぶ。しかし、それは喜びの涙だった。雛の存在も、穏やかに私の中で微笑んでいるのを感じた。


 窓から差し込む月明かりが、私たち3人の新たな門出を祝福するかのように、優しく包み込んでいった。美月、琴音、そして雛を含めた私。4つの魂が、より強く、より深く結びついた夜が明けようとしていた。


 満天の星空の下、私はふと呟いた。


「これからどんな冒険が待っているんだろう」


 美月が答えた。


「3人一緒なら、どんな未来でも乗り越えられる」


 その言葉に、私は心から頷いた。もう雛を恐れる必要はない。むしろ、雛も含めた全ての自分を受け入れ、美月と琴音と共に歩んでいける。そう確信できた瞬間だった。


 3人で抱き合いながら、私たちは新たな誓いを立てた。これからも自由に、大胆に、そしてもっと愛し合うことを。私の中の雛も、その誓いに静かにうなずいているようだった。

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