第12話 魔女ひとりぼっち

「いいかい、アンブル」

先生はまた、困り顔で私の隣から薬の手順を確認し始める。

先生、分かってるってば。

私もうその薬なら作れるから__

「せん……」

カーテンの隙間から差し込む朝陽。その眩しさに目を覚ます。

「夢……」

おはようございますの声が聞こえなくて、部屋を見渡し思い出す。あぁ、今日は家の都合で来ないって言ってたっけ。

 

あれは、先生だった。横たわる時の魔女に声をかけていたのは私がずっと会いたくて、会いたくなかった人。


 ◇


 xxx年前__

魔法使い達は魔法樹から産まれる。私の時期は5人ほどだった。

その中に私とマイースは居た。

当然誰も記憶には無いけど、産まれた魔法使いの赤ん坊達は皆自分で師となる人物を選んで、その人に着いていき、魔法や生き方を学ぶ。雛鳥が初めて見た生き物を親鳥だと思ってついていくようなものだ。

 私とマイースは先生を選んだ。先生は私達を育ててくれた、愛してくれた、色んなことを教えながら。

 初めに受ける"関門検査"で私達はそれぞれ注意を受けたらしい。マイースは魔力量が少ないことを、私は魔力量が多すぎることを。それともうひとつ。

「この女の子には有り余る魔力量だけではなく、文字属性持ちです。チの魔女として生きていけるよう指導しなさい、アガト。あなたと同じなんて何の因果かしらね」

 そう偉い魔法使いのおば様に先生は言われたらしい。

そんなことを気にしながら先生が育ててくれたおかげで私とマイースは順調に成長した。そう思ってた。

 初めての錬金術。ひとりひとつ大釜を混ぜた。流れ星の足跡と、マーメイドの鱗、自分の魔力をゆっくり混ぜながら、アウイナイトを作った。ポンと出来上がった時は本当に嬉しかった。混ぜてるだけでもわくわくしたのに、出来上がればこんなに嬉しいものならずっとやっていたかった。日の光に透かして先生を見た時瞳と重なった。

「先生の瞳と同じ色してる」

 空と海を混ぜたような、夜と朝を混ぜたような、藍色。

照れ笑いする先生と、何も気付かなかった私。

 そこに、普段は聞かない言葉が飛び出した。

「ばかみたいだな」

 マイースだった。

渡されたレシピはそれぞれ違ったらしく、マイースの大釜から出来たものは小粒の真珠2つだった。

私は当然同じ物を作っていると思っていて、同じことが出来て当たり前とも思っていた。それはマイースにも伝わっていて、マイースは暴言を一言吐いた後、ぽろぽろと泣き出してしまった。その涙はまるでマイースが作った小粒の真珠のようだ。

「どうしたんだい、マイース」

先生が訳を聞くと、マイースは一生懸命涙を拭いながら、どうして自分はアウイナイトを作れないのか、こんな簡単な真珠も小さく2つしか作れないのか、どんな魔法もどうして下手なんだろう、自分だって先生を驚かせたい喜ばせたい。いつだって先生は褒めてくれるけどアンブルに比べたら自分なんて全然だ。そういう話だった。

 その涙の訴えを聞くまでいつも隣で笑っていたマイースの苦しさや悔しさに何も気付いていなかった。全てが自分のように順調だと信じて疑わなかった。

自分の感じていることが全てじゃないとその時初めて知った。


 それからいくらか時間が過ぎて、私達は先生に連れられて人間界で生活することになった。

 なんにもないところだったけど、私達の家は小高い丘の上にあって、庭に大きなケヤキの木があった。2階の私の部屋の窓から飛び移ると私が足を伸ばして寝られるほど幹や枝はしっかりしていて、よくそこで昼寝して座学に出なかったりもした。分かりきってる話を聞くのは退屈だから。一度雨に降られたこともあったけど、障壁魔法を覚えてからは屋根、ケヤキ、空き部屋、納屋なんかでサボっていた。

 同期の魔法使い達もそれぞれ人間界で修行する期間だったのか、この辺りにも魔法使いが来るのねと近所に住む婦人に肩をバシバシと激しめのスキンシップをとって話しかけられた時は人間は好きじゃないと思っていた。大通りを歩かなきゃいけない時は私は必ず道の端を通って出来るだけ話しかけられないように先生とマイースを盾にした。

 そもそも人間でも魔法使いでも興味は無かった。人間界に居なさいという期間だから居るだけで、関わらなければいい。それでやってる魔法使いだって居る。他人に割かなかった時間は当然魔法に当てられた。

 

 そのまま時間は過ぎて、なんだか目が覚めてしまい、リビングにお茶を取りに行こうとしたある夜。

階段を降りていると下から声がする。

 「先生、俺アンブルと居るのが辛いよ。どれだけ真面目に座学受けたって、10回実技やったって、座学受けずに1回の実技でやってのけるアンブルには敵わない。やればやるほど、惨めなんだ」

 初めて聞いたマイースの泣き言は私と彼自身を比較したものだった。どんな時も隣に居て、居るのが当たり前で、いつもそんな素振りなく誰とも笑ってたようなやつが。

 魔力量の差は確かに開いてる。縮まることはもう無い年齢だろう。でもそれは、誰にもどうすることも出来ない動かせない事実。私のせいじゃない。むしろ誰のせいでもない。

 その時信じられない一言が聞こえ、私は階段に座り込んだまま聞き耳を立てた。

 

「君はアンブルより僕よりすごい」

 

その一言の方がずっとショックだった。

 魔力量と魔法の出来は誰よりずば抜けてる自覚があった。その私より魔力量の低いマイースが私よりすごいなんてあるはずない。

 でもその話には続きがあった。

「この辺りは少し田舎だろ、周りと上手くやっていくことが大事になる場所だ。良くも悪くも噂が広まるのは早いからね。この辺りでの君の評判を知ってる?好青年だってさ!僕なんて先生が頼りないからちょうどいいわねって隣のおばさんに言われたばっかりだ」

 あぁ、あの人間か……。

上手くやる必要があるかは私にはさっぱり分からないけど、確かにマイースはその辺は上手い。先生がぺこぺこ頭を下げてしまう場面をにこにこと笑ってやり過ごすところがある。私の盾になるくらいだから、彼の得意分野で、私の苦手分野なのは間違いない。マイースも腹に溜めずに言いたいことは直接言えばいいのに、どうして泣くまで1人で抱え込むのか分からない。なんのためにここまで一緒に居たんだ?なんでも言い合ったり支え合ったり出来たら違ったんじゃないか?そう思っても遅くて。ここまで聞いてしまうと出て行きにくくて、少しすると2人が談笑し、だんだん寝息に変わっていった。先生はマイースとなら、悩みも聞くし、優しくするし、一緒に寝たりだって子供じゃないのにするんだなぁ。なんとも言い表せない妙な気持ちを覚えながら、お茶を諦めその夜は自室に戻ってもやもやと考え事をしながら寝た。

 

 ――先生はどんな事も知りたいと言えば教えてくれる。

じゃあ、この不思議な気持ちはなんなんだろう。聞く前に、しばらく考えてみることにした。魔法以外の事を考えるなんて私にしてみれば初めてのことで、いつでも先生の顔が頭のどこかに過ぎった。

 

 秋。

落ち葉を掃きながら、近所の子供達を相手する先生を家から見つけた。子供の相手はした事ないけど、行ってみようか。

「みててね、きらきら〜ぽんっ!」

黒い杖の先から花が出てくる至って初歩的な手品の玩具を得意気に披露する女の子。

「僕だって!ほら右と左どっちだ!」

握った両手を前に出し、どちらかの手にコインでもあるように見せるよくある手品をして、男の子も張り合う。

先生はう〜ん、と唸って「右かな?」と相手する。

男の子は嬉しそうに握った手を広げる。

 

 私はつい黙っていられなくなった。

「少年の右のポケット。違うか?」

私は指差し、光を灯らせた。

「うわあ!まっ、ママー!」子供達は全員走り去った。

先生は大きくため息を吐き、やれやれといった表情で右手を額に当てこう言った。

「いいかい、アンブル。今のはやりすぎだ。子供の心は繊細だからね。ましてや今の子供達は近所の子で、魔法使いではないからそこまでやったら驚いて逃げてしまう。分かるかい?」

 そんなもんだろうか。じゃあ魔法使いに近付かなきゃいいのに。

「分かった」本当はまったくわかんないけど、もう関わらないだろうし構わない。

 

 でも、自分で壊してしまったのは後悔している。

子供達と戯れる先生の笑顔、もう少し見ていたら良かった。どうして欲が湧くんだろう。偶然目について、遠くから見つめてるはずが、もう少し近くで見たくなって、自分もその場に居たくなって、話したくなって、同じようなことが出来るのかと錯覚してしまった。でも違った。

 次、先生を見つけることがあったらその時は見ていよう。

 その日も、次の日も、それから毎日、色んな時に先生を見かけるようになった。居なくても、頭のどこかにいるようになった。帰りを待ち侘びるようになった。どうしてだろう。

 

「アンブルさ、最近先生に何か習ってんの?」

マイースの質問はいつも唐突だ。

「特には」「じゃあなんでよく先生のとこ行ってんの?しょっちゅう待ってるし」

そう見えていたとは。

「どうしてだろう」「いや、俺が聞いてるんだけど?もしかして恋とか?そんなわけないか」

 恋、とは?私は自室に戻り辞書を引いた。

 ――愛情を寄せること。

愛情、かぁ。師弟愛も家族愛もある気がする。どう判別つけたらいいのか。私は先生の事を思い返してみる。

 初めてホウキに乗れた時、初めて錬金術をやった時、服を後ろ前に着ていた時、部屋に突風を起こした時、マイースの物を使った時……先生の様々な表情を思い出す。怒っても、笑っても、なんだかいいなぁとなってしまって、それでまた怒られる時もある。父のようで兄のようで、やっぱり先生は先生で。でも、特別。そしてそれはお互いに同じ不思議な想いを抱えてる気がする。先生のマイースを見てる時の目と私を見てる時の目、表情。まとう空気。全部が違う気がするから。

マイースの悩みの時のように聞けば教えてくれるだろうか。

 マイースが昼間言った"もしかして恋とか"なんてふざけたフレーズがずっと頭の中にある。まさか。先生は先生。そうでしょ?

 

 そして、冬。

今日は人間界ではクリスマスというイベントらしいが、何をするのかはよく分からない。魔法界にもサンタクロース自体は居るけど人間界とは少し違って、なりたがる人は少ないし、忙しないのに非効率なイメージしか無く、夢を配り渡り歩くなんて古の習わしとしか私には思えなくて興味が無かった。私にとって、普通の日でしかない。

そんなことより、確かめたかった。

 

 私は先生の部屋をノックした。

「どうかしたのかい」扉を開け、私を迎え入れてくれた先生はいつも通りだ。変わった様子は無い。視線はいつもと同じで優しい。

 先生のベッドの上に腰掛け、聞きたいことを聞こうとした。でもなぜか言葉がまとまらない。何をどう聞けばいいか分からない。こんな事初めてだ。

 先生はホットココアを手渡してくれたけど、持つばかりで飲む気にもなれない。今飲んだら、出かかった言葉も一緒に飲みこんでしまう気がして。なんて、言えばいいの?

「……先生はなんでも教えてくれるよね。私が新しい魔法を覚えたいとか初めて見た物の事とか。だから、教えてほしい。初めての気持ちがあるの」

 体全部が心臓みたいに脈を打つ。私、話せてる?

こんな気持ちも体験も全部初めて。知りたい。

「どんな気持ちだい?」

藍色の瞳が私を見つめる。だめ、ここで言葉に詰まっちゃ。なんでもいいから、言わなきゃ。

「先生を見てると鼓動が早くなるし、胸の辺りがきゅっとする。」

上手くなんて言えなかった。顔を上げてこの一言が精一杯だった。確かに私は人付き合いは苦手だけど、先生にこんなに緊張したことは無い。夏から観察して分かったこと、それはこの気持ちがきっと恋であること。

思いもしなかっただろう言葉に先生は驚きを隠せてなかった。先生は案外分かりやすい。

 そして、分かってることはあとふたつある。

「私の予想だけど、先生も私と同じだよね。違う?」

 私とマイースとで対応が違うのは性別、魔法の性質、そういうものがあるからだと思ってたけど、それだけであんなに甘く優しい視線や声にならないと思った。なんならそうであってほしい。こうやって畳み掛けると先生は弱いよね。先生の事ならずっと見てきた。ずるいと言われてもいい。これが私の正攻法。

先生は力無い声で返した。

「…違わないと思う。でも君の気持ちは年頃の子によくある勘違いというか、そういう一過性のものな場合だって」

 「そんなんじゃない!」

私が声を荒げるなんて先生の前でなかなかしない、普段は見られたくないから。でも考えるより声が先に出た。そんな意地悪、言わないで。先生は動きをぴたりと止めた。

 根負けしたように先生は認めた。

「そうだね、僕は君と同じ気持ちを……抱いてる。でも僕は先生で君はまだ半人前の弟子だ。だからひとつ約束しよう。君もマイースも一人前の認定を受けるのはそう遠くない。そしたら2人で暮らそう。マイースには言わなくていい。どうかな」

 

 先生がたくさん悩んで決めてくれたこと。それ自体がもう嬉しくて、私は頷いた。これ以上言葉は要らなかった。

 その夜ちょうどマイースは留守で、そのまま先生の私室で狭いシングルベッドで2人で向き合って寝た。先生の胸はドキドキしてて、すぐ寝たふりだと分かる。私は眠りに落ちるまで口角が上がりっぱなしだった気がする。先生はいつもホワイトムスクの香りがする。先生とは対照的に私は安心して、落ち着いてすっと眠った。

 クリスマスなんか普通の日、じゃないのかもしれない。


 数年後。春。

私とマイースは一人前の認定を受けた。

先生からのお祝いでマイースは魔動バイクをもらい、私は先生と2人での暮らしを始めた。

 決して大きな家ではなかったけど、2人なら十分だ。

先生はさっきからやたらと落ち着きが無い。何かあったっけ。

アンブル、と私を呼ぶ声が上ずってる。私が返事をすると、先生はポケットから何か取り出した。

白いリボン付きの鍵?

「これ、この家の鍵だよ。遅くなったけど一人前の祝いの品として受け取ってくれるかな」

先生の顔は耳まで真っ赤。慣れてないんだろうなあ。

「先生もそういうことするんだね」

 

私は鍵を受け取って、その扉を開けた。

その家は陽射しがよく入って、キッチンは最小限だったけど、大釜を2つ置いても余裕があるぐらい他のスペースは広かった。

「大釜以外なんにも置いてないね」「時間が無くて準備出来なかったんだ。これから買い物に行かないか?カーテンなんかも無いし」

 

 先生と私は街に出かけた。白地に青のストライプのカーテン、木製のテーブルやイス、丸いライト。大きな物を買った後、今夜の食器や鍋が無いことに気が付いた。

 ある雑貨屋に入った時、珍しい模様のグラスを見つけた。

 水の中にイエローとブルーのインクをたらしたようなマーブル模様のペアグラス。ブルーというより角度によっては昔作ったアウイナイトみたいな色にも見える。イエローもずいぶん濃くて、まるでアンバーだ。私はお互いの瞳に見立てて、そっとお互いがずっと見つめ会えるように願いを込め、先生にこれが欲しいとねだった。先生は皿選びに迷ってるようで、あぁいいよと生返事だった。すべての食器や雑貨が買い終わり、家路に向かう頃、2人で持っても重たくて転移魔法で家に送ってしまいたかったんだけど、家そのものにまだ魔法をかけていない。家が基本的に勝手に片付くのも、荷物を転移魔法で送れるのも、鍵をかけ忘れても平気なのも、全ては魔法がかけてあるから。2人で荷物を浮かしながら、落とさないように、でも手は繋いだまま帰った。

 

 それから初めはやっぱり苦労した。というか今までのツケがまわってきた。

 面倒なことはマイースに押し付けたり、先生に甘えきっていたし、興味が無いことからは目を逸らしていたから、何も出来なかった。身綺麗にしたり、掃除をしたりはいちばんどうでもよかった事だった。でも先生と暮らすならそうもいかない。犬や猫みたいに風呂場でガシガシ頭を洗われるのはもう御免だ。

 そこで、先生は私を大釜の前に手招いた。

 

「いいかい、アンブル。今から作るのは液体石鹸だ。簡単だから覚えて自分で作るんだよ」

 ぐるぐるかき混ぜる大鍋の中は魔法そのものに色や形や香りなんかは無いけど、魔法をぎゅっと凝縮したような、くるくる色が、煌めきが、変わっていく。

 先生がそれをその辺の小瓶に詰める。杖の先を当て、コルクに印字がされる。"bath"

 「これは、お風呂で体を洗う時に使うといい。他は同じ作り方で髪を洗うものも顔を洗うものも作れる。君ならやれるだろ?」私は頷いて、すぐとりかかった。

 虹の青ひとさじ、海のあぶくを割れないようにひとつまみ、星のパウダーを少しとラベンダーの精油を2滴。

 このレシピならすぐ出来る。あとは自分の魔力を注入しながら、大釜を適度に混ぜたら出来上がり。

 簡単でやりがいないかと思ったけど案外楽しい。好きかもしれない。あとは小瓶に詰めるだけなんだけど……。

「どうかしたかい」「……先生が用意したの?この小瓶」

「そうだよ。間に合わせになったけどね」間に合わせの小瓶にせっかく作ったものを入れるのは嫌だった。先生が用意してくれたから言えなかったけど。

 

「ちょっと出てくる」私は久しぶりにホウキに乗って、珍しく少し遠くの海辺まで行った。

 ここは珍しい場所で、大昔に降った流れ星のかけら、スターグラスと呼ばれるものと、海から流れついたシーグラスが混ざる通称"光る海辺"

 良質なガラスを作りたい時にはもってこいの場所として覚えていた。前に来たのは偶然だったし、ずっと昔の事だったけど。色とりどりの欠片を持ち帰って、大釜にまっすぐ向かった。隣の空いてる大釜で全ての欠片を溶かす。

 そうして出来たのは、ひし形のダイヤのようにカットされた面が綺麗な小瓶。私は自分で作った液体石鹸をこれに詰めた。

 

 ぐぅぅぅぅ

「お腹すいた……」気がつけばとっくに日が暮れていた。

「アンブルおいで、夕飯出来たよ」温かい夕飯を先生と食べられるのは嬉しい。嬉しいけど、その日の夕飯の間小言を言われ続けた。急に飛び出したと思ったら珍しくホウキで一瞬でどこかに行って、大量の破片が持ち込まれて、暗くなって電気もつけないでひたすら大釜を混ぜていた。行き先や、いってきますとかただいまとかちゃんと言うように教えたはずとしっかり言われてしまい、その日のビーフシチューとバゲットがやたら不味く感じたのをよく覚えてる。先生が煮込み料理を作るのは冬と、時間が余った時。料理のかわりに何かが出来なかった時。そのせいか、私とマイースは冬以外の煮込み料理が少し苦手だ。怒られる予感でしかないから。

 その晩、試しに液体石鹸を使ってみるとふわっと花の香りがして癒される。使い心地も悪くない。たくさん使うと床が滑りそうになるけど、それは固形石鹸と変わらない。

 明日はもっと教えてもらおう。色んなものを作ってみたい。

 

 お風呂をあがってリビングに出ると先生が駆け寄って来た。

「な、なに!?」「アンブル!君は髪が長いんだから!床びしゃびしゃだよ」

 自然乾燥でいいやと思っていたけど、振り向くと私が歩いてきたところが全部水浸しだった。

「う、ごめんなさい……」「いいよ、僕も髪は長いほうだし乾かすものを作らないとね。見落としてたなぁ」

 そう言いながら先生は私の髪を拭いてくれた。

この家の庭はいくつかのハーブや花が植えてある。先生はその中からフウシャバナを採って、工具と魔法で何か作り始めた。取り付けたダイヤルを回したり、何か独り言を呟く先生の姿を見てるのは面白かった。

 先生が試行錯誤し作ったのはフウシャバナの送風機。

ハンドルにいくつかのダイヤルがついていて、温度や風量を調整出来るように作ってくれた。

「これなら君も扱えるだろう?床も水浸しにならない」

「うん、先生ありがとう」

結局先生が乾かしてくれるんだけど。

 乾かしてもらってるうちに温かくて、今日1日はしゃいでしまっていたのもあって、なんだか眠たくなっ……


 ◇

 白地のカーテンは朝陽が透けて眩しい。うん?朝陽?

目を開けると先生の首元が目の前だった。

私は思わず壁側に後ずさった。

「うん……?あんぶる、おきたの……」

先生思いっきり寝ぼけてる。さっきの状況はなんだったんだろう。

「あ、え、先生おはよう」どうして私がしどろもどろなんだ。

 ひとつ思い出し、私はキッチンに駆け込んで寝室から先生を出さないよう魔法でロックした。

 朝方の先生は割と長くぼーっとしている。そのままヤカンを空焚きした事があるぐらい。なので3人の頃はマイースと私で朝のキッチンをまわしていた。ほとんど押し付けてたけど。とにかく、先生は頭が起きるまで火や刃物を触らせてはいけない。

 私は大急ぎでベーコンエッグとトースト、紅茶を用意した。簡単なものなら私も出来る。ロック魔法を解除し、先生を呼びに行く。朝食をとってるうちに先生も頭が冴えてきたようで。

「昨日フウシャバナの送風機作りに時間がかかったし、色んな事して君も疲れてたんだろうね、髪乾かしてるうちに寝ちゃって子供みたいだったよ。僕も疲れてて君のベッドは奥だからそこまで運べなくて僕のベッドで悪いけど一緒に寝たんだよ」

「先生が私のベッドで寝れば良かったんじゃないの?」

「うーん、そうなんだけどそうじゃないんだよ。なんで2人で暮らしてると思う?」

 この人は……「先生、ずるい」

はは、と笑って流されてしまうし結局私は先生には敵わない。朝から心臓に悪いのも、結局私が先生を好きだからだ。

 それからの毎日は何を教わっても面白くて、なんでも身につけたくて先生のあとをついていった。料理や裁縫なんかは見て真似しても上手く出来なかったけど、教えてくれる魔法、魔法薬の作り方や種類、先生の買い物の仕方や、寄る場所、会って話す人、なんでも覚えた。毎日ぎゅっと距離が縮まってく。甘くとろける日々。

 とろけた日々はやがて落下するとも知らずに。


 それはある嵐の日。街に出かけようもないし、人が来ることもない、集中して薬作りが出来る絶好の日。私が薬作りに夢中になって先生は趣味が出来て良かったと言ってたし、薬を作ってるだけの日はやれやれと言わんばかりの顔をしつつご飯の時間までほっといてくれる。

 窓の向こうから強い雨音がする。

「アンブル、少し休憩しないかい」

もう少しやりたいけど、せっかく先生が声をかけてくれたしそれもいいかもしれない。

私は手を止められないまま、はいと返事をした。

 ソファに2人並んで腰掛けて、なんでもない話をしていた。


 ドンドンドンドンドン!

嵐でドアに物でもぶつかったんだろうか。嫌な予感がする。どうしてだろう。

 ドンドンドンドンドン!ドンドンドンドンドン!

違う。誰かがドアを叩いてるんだ。いやだ、怖い。怖い。

「僕が出るよ」私は先生を失いたくない!

「先生やめて!」

私の叫びは虚しく、大勢の人間の男達が家に押し入って私と先生をそれぞれ捕らえた。家の中で響いた怒声罵声、外に引きずり出された時の雷の音、すべて今も鮮明に憶えてる。そのまま人間用の地下牢に閉じ込められたが、周りも似たような境遇の魔法使いばかりだったのが幸いして、情報も集められたし、力を合わせることで逃げ出せた。

 知らなかった、どこぞの魔法使いがとちって人間から反感を買ったことも、人間との溝が深くなってることも、きっと先生がそれを知ってたことも、ほとんどの魔法使いは迷惑していたことも。何も知ろうとすらしてなかった。自分には関係ないと、そんなはずないのに。知らない魔法使いと力を合わせるなんてことも今までしてきたことがあっただろうか。私は急に自分が恥ずかしくなった。

 今まで何をしていたっけ?薬を作っていた。なんで?楽しくて?先生が教えてくれたことだから?

魔法の他に覚えてることは先生の姿や顔ばかり。

 

 先生は言った。

「いいかい、アンブル。今家に戻っても危ないだけなのは分かるね?僕達が一緒に行動することだってそうだ。今一緒に逃げてもまた捕まるだけ。君だけでも安全な場所に逃げなさい」

 ずるい私は恥ずかしい自分から目を背けたくて、これ以上こんな自分を先生に見せたくなくて、自分自身から逃げた。生き延びることは私には難しくない。魔法さえ使えば。でも、私がただのアンブルだったら?魔法が使えなかったら?きっと生きていくのは難しい。私は私を見つめる優しい藍色の瞳からも逃げてしまった。トン、と背中を軽く押されたのが最後の感覚と記憶。

 私はそのままどこに向かってるかも分からず走り出した。ただひたすらに走って走って、辿り着いた先がネージュの森の中腹、ボロ小屋がひとつあった。

 

 半ば自暴自棄になって、その小屋に魔法をかけ、家にした。それなら追手の目眩しにもなるし、誰にも見つからなくていいと思った。誤算は近くにある使われてない井戸。井戸っていうのは大体魔法界に繋がってる。使われてないものは特に人間界と魔法界を繋ぐ通路として使われやすい。でも、逃げ出してしまった後悔が大きすぎて、他は気にかけてられなかった。

 

 逃げてしまった。自分自身から。愛してくれた人から。

 逃げさせてしまった。私が何も見てなかったから。

会いたいけど、会いたくないよ。先生。

 

 しばらくは森で採れるもので凌いだけれど、その生活は長くもつものではなく、魔法使いへの迫害が落ち着いた頃マイースと連絡を取り、ここまで荷物を届けるよう頼んだ。マイースと会うのは久しぶりだったが、先生のことは何ひとつ聞く気になれなかったし、向こうも言わなかった。それは、知ってるからなんだろう。私のことも先生のことも、きっと先生の居場所もこいつは知ってるけど、口止めでもされてるか言う気にならないのか。先生、どうしてるかな。

「アンブルさぁ、人間と関わってないんだろ。魔法界に行ってる様子もないし、どうやって生活すんの?」

「さぁ。静かに魔法薬作るだけだよ」

 呆れたようにため息をついたマイースは言い出した。

「じゃあ毎回お茶出して」「はあ?」「アンブルだけ無料タダってわけにいかないからさ」

 対価が必要なのは当たり前だが、そこまで考えが至らなかった。それをお茶のひとつで済ませてくれるというのだから甘えておこう。

 

 そんな、生活をどれほど繰り返しただろう。

たまに人間が物を持って来る。そしてそいつは二度と来ない。よくある事。

 今日はちんたら歩いて来る人間の気配がずっとあるのが気になって突風で家に招き入れた。

「何!?」戸惑っているのは雀色の髪の少女

「何はこっちの台詞。で、誰お前」

 少女は名乗る。

「私は、ベリル=シャプロン。北の街レンガ通りから来ました」

 これがベリルとの出会いだった。

 最初はあぁ、これは巻き込まれたのかな。

彼女はおそらく『赤ずきん』のストーリーを生きる者だから、と思ったけど。

さっさと帰らないし、泣くわ騒ぐわただの少女だ。

「ここにも必要ないならもう来なくていいよ。親にも伝えておきな」

そう突っ撥ねた。これでもうこの少女も来ないだろう。それでいい。

「いいえ!対価以上に恩を返したいのでこれから毎日来ます!」

 何を思ったか少女は反抗してきた。そして明日は掃除道具を持って来ると言う。まぁ、口だけだろう。

 でも、もし口だけじゃなく本当に来たら?うちに今あるのは固形石鹸ぐらいのもの。液体石鹸は体用と髪用だけで、掃除に使える物は無い。私は念の為マイースに掃除道具や、石鹸なんかを追加発注した。どこかで私も来てほしいと期待したのかもしれない。少女は本当に来て、その日から助手として毎日通い続けている。私を先生と呼んで慕う姿は昔の自分とどこか重なる。それだけの時間がいつの間にか過ぎていた。この少女が来てからというもの、依頼を通して、街に出たりして、様々な関わりを持った。

 エボニーに会ったのなんか久しぶりだったし、隣国のお姫様も来たし、狼、猟師、ピクシーの姫、時の魔女、子供たちとも関わった。ひとつひとつの出会いが素晴らしくて、別れは寂しかった。それでもきっと次があるとどこかで思えていたのは少女と一緒に居たからかもしれない。少女は過去の私のようで、先生と私を思い出させるけどやはり少女は少女だ。赤いバレッタの少女は私の世界を彩った。それからは人間も怖いばかりではないと認められたし、人間の子供達も1人では相手できないが可愛いとも感じた。そしてみんな選んだ物語を歩いてた。

 魔法使いをよく思う者、そうでない者、人間、魔法使い、他の種族。渡した薬を使う者、そうでない者、嫌な使い方をする者。色んな出会いが私を変えた。

 時の魔女に会った日、先生と再会したのは偶然か運命か。あの時はただまた走り去るしか出来なかった。だから、今度は私から向かおう。あの時向き合えなかった先生と過去の自分を迎えに行く。

 エンジンを修理した時、マイースが言った"東通りの裏手"がやけにずっと引っかかっている。東通りには例の魔法医院がある。その裏手。先生がもしかしたら居るかもしれない。会うことがあるかもしれない。

 

 その衝動が、私を動かした。

「来たはいいが……」なんせ風が強い。

 ぷつっ

髪をまとめていた紐が切れてしまった。

この強風の中最悪だ。バサバサと暴れる長い髪の隙間から知ってる瞳と目が合う。

「アンブル……」

「え、先生……どうして」

会えるかもとは思ったけど、まさか先生から声をかけてくるなんて。

 コツ、コツと先生は近付いて困ったように眉を下げて、私に話しかける。

「やあ……風が強いねすぐそこが家だから、入らないかい」

緊張すると上手く返せないのは私の困った癖だ。頷いて、着いていくしか出来ない。

 何分も無い時間、久しぶりだからか、言いたいことはあるのに照れや恥ずかしさ、緊張なんかも入り混じってなんとも言えない、そわそわした気持ちがつきまとう。

 先生が迷いなく入ったその家に続いて入る。

簡素で、木の温かみのある、陽が入る優しい先生らしい部屋。

 コンロも二口だけで、1つはヤカンで塞がれている。魔法道具は少なそうで、一人暮らしの人間の家と言われても納得してしまいそうだ。

 空いてる方の椅子に座り、先生がお茶を出してくれる。

この甘い香り、懐かしい。

「ふふ、先生変わんないね。寒くなり始めるとミルクティーって。なんでかいつもアッサムなんだよね」

「なんでかって、君が好きなんだろ?アッサムのミルクティー」

「え?」「え?」私達は顔を見合せた。

「私そんなこと言ってない。私はディンブラのミルクティーの方が好き。アッサムって重くなりがちだから」

先生の記憶違いなんて珍しいな。

「僕達はそんな事も話してなかったんだね」

それ自体はほんの些細なこと。ひとつひとつの些細なことをあの頃の私達は話しただろうか。その記憶が無い、それが答えだ。

「もっと色んなこと話せばよかった。大事なこと何ひとつ話せないまま森に籠った事、今なら違ったって分かる」

 そう、私は先生と魔法に夢中だった割に、先生の話を聞いた記憶も、自分自身の話をした記憶もあまり無い。

「先生がどこかに居る気はしてたのに、嫌われたんだとしたらって考えると怖くて、足がすくんだ。認めたくなかったの。でも今は違う」

「どう違うんだい」

「先生が私をどう思ってたっていい。私は勝手に昔とは違う気持ちで先生を慕う。自分で勝手に自分の責任で、自分の覚悟でこの気持ちを辞めたくなるまで持つからいい」

 いつものテンポでいつものように会話は出来てる。でもこんな風に本心をきちんと言葉にしたことは初めて。

「ちゃんと恋だけどね。でも先生は振れないね?付き合ってなんて言ってない。私が好きなだけだから」

 ちょっと言いたいことが言えてスッとした気持ちなのと、赤裸々に話した事に慣れなくて、照れくさい気持ちが顔を逸らせる。

先生が何か言った気がするけど、全然耳に入らない。

「あの時どうしてあそこに居たんだ?」

先生の言葉を皮切りに私達はそれぞれの今日までの話をした。

 

 あの別れから1人で森で薬を作り続けていた事、赤ずきんと出会った事、沢山の出会いに恵まれた事、赤ずきんの祖母が時の魔女だった為に再会に至った事。

先生は私達と暮らす前の話もしてくれた。

 「シプレさんには敵わないなぁ」「時の魔女だけ?私は?」少し意地悪するつもりで軽口を叩いてみる。

先生は私の方に体ごと向き直り、私の両手を包んだ。

「いいかい、アンブル。僕がこれから話すのは本音だけど、間違って解釈しないでほしい。僕は君に、会いたくなくて会いたかった。会いたくなかったのは、向き合うのが怖かったから。後悔も未練もあったし、それを認めたくなかった。会いたかったのは、それでもやっぱり君への想いが断ち切れなかった。その気持ちだけ認めることが出来てた。自分の気持ちがめちゃくちゃで、どう動いたらいいかなんにも分からなかった。これだけの時間があったのに。そんな未熟な僕だったけど、今なら僕なりの自信も、君と支え合う生活も出来るよ。赤い蝋燭のまじないがなくとも誓える。僕の真ん中に君への愛がある」

 

 私は答えた。

「先生、私は会いたかったよ。先生が言ってくれたように私も好きな気持ちがあったから。でも会いたくなかった。嫌われてたら、拒まれたらどうしようって怖かった。きっと近くに居ると思ってたけどそれでも捜すことさえ怖かったぐらい。捜したら見つけられる自信があったし、会ったって繰り返しになると思った。でも今日話してみて分かった。私達はきっと同じ過ちを繰り返さない。でもごめんね、私の真ん中にあるのはたぶん先生への愛だけじゃない。だから、先生の家ここには来るよ、近くにも住もうと思う、でも一緒にすぐ住むことはしない。先生の魔法医院を私の薬で手伝えたらとも考えてる。の魔法を使えば自然の素材にも恵まれるだろうし。でもの魔女として他のものも大切にしたいから。今でも同じ想いで居てくれてありがとう」

 先生は私の手を包んだまま、額と額を合わせた。

「分かった。大切なものが増えて良かったねアンブル。君の大切なものは僕も大切にしたい」

私達は顔を上げ、見つめ直しまた話す。

「分かってくれてありがとう。今度は依頼じゃなくても誰かを招くことが出来る家にしたいんだ」「それは素敵だね」

 先生は微笑んだ。


 気付けば外は夕暮れ。先生は送って行こうかと言ってくれたけどなんだか1人で歩きたい気分で断った。

「帰り、気をつけるんだよ」「子供じゃないんだから大丈夫」

なんだか先生はムッとした顔をする。

「子供じゃないから心配してるんだよ。それにアンブル知ってた?僕の口癖はどうやら君の名前らしいんだ。寝起きに出た言葉が君の名前な日が何回もあって驚いたよ」

「それなら知ってる。前からそうだよ、心配ありがとうアガト」

 私は先生の家の扉を閉め、家まで全力で走る。

言いたいことを言い切れた訳じゃない。でも私達には時間がある。少しずつでも話し合えばいい。

 逃げた時とは違う、疾走感を肌で感じながら風が顔の熱を冷ましてくれるように走り続けた。もうひとり、向き合いたい相手が明日は来るから。

 

 

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