第11話 魔法使いひとり

「せん、せ……」

その声が、その顔が頭からずっと離れない。

僕の時計は止まってる。時間なんてそんなに気にしないけど。

 カーテンの隙間から朝陽が差し込む。あれから毎日あの日の君を夢に見る。間違いなく君だった。僕が会いたくなくて、会いたかった人だ。


 ◇


 xxx年前__


 まだ若かった僕は、魔法界のどこにでもいる青年だったと思う。夢とか目標なんかは特別無く、ぼうっと勉強していた。そのまま一人前の魔法使いとして認められ、何も思わなかった。何も考えず、焦りもなく過ごすつまらない毎日を平穏と勘違いしていた。そこで1人の魔女に声をかけられた。

「そこの青年、ちょっといいかな」

金髪に、ライラックの瞳。大きな杖を構えてその人は僕を呼び止めた。

「僕ですか」周りに誰もいないからそうなんだろうけど。

「そうだよ。君に頼みたい事がある。君にしか頼めない。私の予見によると君が必要なんだよ」

 口説かれてるんだろうか?いや、目が真剣だ……予見?

「まさかあなたは」「察しがいいね。時の魔女さ。だから高度魔法を扱うし、継承者も必要だし、時間も必要。その為の君だよ、イの魔法使いくん」

 どうして僕が文字属性持ちと知ってるんだろう。高度魔法を扱う魔女なだけあるってところか。


 文字属性持ち、イの魔法使いと知ってるのは魔法樹と守護竜ラデンと、僕の師匠ぐらいで、自分でもここ数年自覚したばかりだ。意外と文字属性持ちは数自体少なく、無自覚者も多い。

 文字属性持ちはその響の言葉を操れる、という事らしいが僕もちゃんと扱えてはいない。何に使いたいかも、特にないせいだろうか。

「そこで君、魔法医学に興味ない?」

魔法医学?

「魔法使いは人間と違って死という概念は無い。でも不老不死ではない。禁忌魔法を使っていなければね。その禁忌魔法さえ代償はある。怪我をしないわけじゃないし、病が無いわけでもない。いつかは消滅する。でもその怪我や病気の治し方、どんな薬が必要か、延命は出来るのか、まだ何も解明されていない。そこで、イの魔法使いの君が医として学び、広める第一人者になってみないか?魔法使い達は時間を気にしないからね、気付いたら消滅なんてよくある話を覆してみないか?」

 明かされていない謎を自分だけの魔法を使って研究出来るかもしれない。それだけで僕の胸は踊った。

 僕は時の魔女の手を取ったんだ。

そこからは研究の毎日で、寝食を忘れては時の魔女に怒られた。魔法界は基本的に時間という概念がほぼ無い。

人間のように年月を気にしない。それは人間より歳をとるスピードがだいぶゆっくりな生態と関係あるようだった。

 勿論生きているので成長や変化が無いわけじゃない。一人前として認められる頃から目に見える身体の成長はだいぶゆっくりになるようで、自分が病気にかかっても進行が遅かったりして気付かない者も多い。気が付いた頃には消滅。消滅したら忘却魔法がかかっていて忘れられる。そんな話もざらで、なかなか魔法医学が進展しない理由でもあった。怪我はある程度自分で治してしまえる者がほとんどだったし、禁忌魔法の代償の場合、受けなければならないものとして教わる。でもその痛みを緩和しなくていいのだろうか?そう考えた者はほとんど居ない。僕は意図して医を学び、突き詰めていく。幸い、僕のエレメンタルは水。医学に清潔は付き物。どれだけ使っても構わない。

 そうして研究や新しい魔法がある程度完成すると、人脈を拡げるために魔法使い、魔女、人間と種族問わずたくさんの関わりを持った。そして、生活が安定してきた頃時の魔女はどこに行ってるのかあまり家に居ないようになった。僕達は目的の共有と、今していることを辞めない約束だけして、またいつか時の魔女が目の前に現れる日まで別々で動く事にした。


「何もしない日なんていつぶりかな」

研究をやめた訳ではなかったけど、こうして休む事は久しぶりだった。何もしてなかったと思えば研究に没頭したり自分でもなかなか極端だな、としょうもない自虐思考に陥っていた時僕の足は止められた。

 僕のズボンの両裾をそれぞれ赤ん坊が持っていた。

 話に聞いたことはあった。僕もそうしたはずの事。魔法使いは誰しもしたはずだけど、誰も覚えていない事。

 魔法使いは魔法樹から産まれる。今日だったのか。

 魔法樹から産まれたばかりの赤ん坊は自ら師を選びついていき、一人前の魔法使いになるまでその人から学ぶ。

 魔法使いは誰しもそうやって学んで育ってきた。僕も例外じゃない。でもまさか自分が選ばれるなんて。それも2人。


 ああああんああああん

 戸惑っているうちに左の裾を掴んでいた赤ん坊が泣き出してしまった。女の子だろうか。

 わあああんああああん

つられるように、もう1人も泣き出してしまった。こっちは男の子だろうか。


 僕は2人を両腕に抱え、家に帰った。

 時の魔女と別れた途端に2人の師になるとは。僕の師匠だってまだ生きてるのに。まぁ、そんなことはいい。

 まずは2人に名前をつけよう。

 男の子はそうだなぁ、オレンジ色の髪に泣き止んだばかりのシアンの瞳。

「君は……今日からマイース。マイースとして生きてくれ、いいね?」抱いてみると、温かい。きゃっきゃと笑う姿は父性とでも言おうか、そんな気持ちをくすぐられる可愛らしさを持っている。愛される子になるといいな。

 女の子は僕の服を掴んでじっとこちらをアンバーの瞳で見つめる。きらきらした星の輝きのような白髪。

「君はアンバーの瞳だから、アンブル。うん、なかなかいいかも。いいね、アンブル?」

 アンブルは分かってるんだか分かってないんだか、にこっと笑った。白髪の子は魔力量が多くなりやすいという。魔法に長けた子になるのかな。


 それからの毎日は目紛るしいものだった。子育てなんか全然した事ない僕が必死になってああでもないこうでもないと研究なんてする暇もなく過ごした。魔法使いの赤ん坊は魔法を覚えるのも、身体が成長するのも人間の何倍も早い。その分、大人になるとゆっくり歳をとるように見えるのだろう。

 そんな事を考えながらお茶を淹れ、ひと息つこうとすると遠くからマイースがわあああと泣く声がする。あぁ、もう行かなきゃ。

 駆けつけるとアンブルがホウキに跨っていた。ホウキの柄の先端にはオレンジのリボンが結んである。マイースのホウキだった。おそらくマイースがホウキの練習をしようとして、アンブルが乗っていたんだろう。白いリボンが結ばれたホウキは部屋の隅にぽんと置かれていた。

 同じ事を考えていたアンブルは誰の物かは気にせず乗ったんだろう。いや、教えたばかりで乗れてるのも、10センチ以上浮いてるのもすごいんだけど今はそこじゃない。


「待ちなさい、アンブル」

 アンブルはホウキを降り、僕をじっと見る。僕は続ける。

「そのホウキは本当に君の物かな」責めずに問いかける。

「知らない。そこにあった」曇りのない眼で何か問題でもと言わんばかりにきっぱりとアンブルは答える。

 アンブルは魔法の習得は早いし扱いも上手いけど、魔法が好きすぎるのか視野は狭いようだった。こうして傷つくのは一緒に居ることが多いマイースとなってしまう。

 マイースも毎日を共に過ごしてその辺は分かるのか、それ以上アンブルを責め立てたりはしなかった。

「アンブル、君のホウキはこの白いリボンがついてるほうだよ。ここにあるね。これからはこっちを使いなさい。だけど乗れた事はすごいよ!さっき教えたばかりなのにもうそんなに浮く事が出来たんだね!」

 しょぼくれる様子もなく、なんとなく満更でもなさそうな顔をするアンブルは可愛らしかった。


 時は流れ数年後。

 人間界で3人で暮らす事になっていくらか時間の過ぎたある日。

 マイースは僕が心配していた壁にぶつかって悩んでいた。「アンブルに比べて何も出来ない。真剣にやっても気まぐれにやってこなすアンブルに敵わない。やればやるほど惨めだ。俺かっこ悪いね」

 アンブルとマイースの魔力量の差……それは確かに成長と共に差は開くばかりだった。アンブルは白髪な上、元々魔力量は多い子だ。本人も魔法に夢中な性格で尚更かもしれないが成長期なのかもう一人前の魔法使いの魔力量をとっくに超えていた。対してマイースは元から魔力量は少ないが、魔法への取り組みはアンブルより真面目で、鍛錬も詠唱も座学もなんだって全力で取り組んでいる。でも、魔力量は幼い頃に比べれば多少は……というレベルで、本人もそれを自覚している。

 だけど僕は思う。学んだ魔法が全てじゃないし、魔力量や、すごいと思う人と比べた自分を見つめても仕方ない。

そこに君が求める魔法は無いはずだよ。僕の仕事はこの2人を上手く導くこと。


「マイース、魔法や魔力、アンブルが全てではないんだよ。君はアンブルよりすごいよ」

 やけになってしまったマイースの瞳は悲しみを含んだまま、その口は否定の言葉を吐き捨てた。

 「本当のことだ。ここは少しばかり田舎だろ、周りと上手くやっていくことが街の中心部より大事になる。良くも悪くも噂が広まるのは早いからね。この辺での君の評判を知ってる?好青年ってさ!先生が頼りないからちょうどいいわねなんて隣のおばさんに言われたばっかりだよ」

 その言葉にマイースは顔を上げた。僕は続ける。

「こればっかりは魔法に長けてるアンブルも、師である僕でさえ敵わない。下手したら魔法よりすごいことなんだよ。愛される力は君のとっておきの魔法かもしれないね」

 愛され力はアンブルより断然マイースの方が高い。人間と上手くやってるマイースはすごい。僕でさえどうしていいか悩む場面はたくさんある。それをやってのけてしまうのがマイースだ。これは魔力量が少ない彼が得たとっておきの魔法だと思う。

 僕は泣くマイースと抱き合った。通じてよかった。君なら上手くやれるよ、マイース。僕の言葉がきちんと理解出来るほど、こんなに体格がしっかりするほど成長していたんだから。そのまま他愛もない話をして2人してすっかりリビングで寝こけてしまった。

 

 そしてその年の冬。僕はアンブルから告白された。

いつの間にか恋として慕われているなんて思ってもみなかったし、自分が弟子として育てている子に同じ気持ちを抱いているのをこれまで理性で抑えてきた。外見も大人っぽく、一人前の魔女にも劣らない。なんて、親バカみたいだろうか。でもまだ少女だとも思っていた。僕は唯一の逃げ道に走った。

「君の気持ちは年頃の子によくある勘違いというか、一過性のものな事もあり得る……」

 僕が言い終わるのが早いかアンブルは食い気味に

「そんなんじゃない!」と声を張り上げた。

いつでも単調に、無愛想に話すアンブルが大声をあげるなんて。だけど僕は一人前の魔法使いとして、師として、すぐにアンブルの想いに応えるわけにはいかない。

 代わりに、約束をした。アンブルとマイースが一人前の魔法使いとして認められる時もそう遠くはない。だから一人前として認められてこの家をみんな出る時には一緒に暮らそうというものだった。僕はどうかしてしまったかな。まさか教え子に恋心を抱くなんてね。時の魔女と過ごしていた頃の僕には考えられない事だ。そんな事を考えながら、私室の狭いベッドでアンブルと子どもの頃ぶりに眠った。


 それから2人が魔法樹に一人前の魔法使いとして認められるまでは早かった。

 マイースは人間界で下働きをしたり、魔法界でも友人知人が多いようで、次々と呼び止められるので一緒に外出しなくなったほどだ。どちらとも上手くやっていく力はみるみるついて、彼ならきっと人間界と魔法界、それぞれに生きる者達の架け橋になれると思って、魔動バイクを祝いの品としてプレゼントした。

「一人前、おめでとうマイース」

 感激の表情を隠さないマイースは大きな声で

「先生ありがとう!そうじゃなくてもここまで、ありがとう!なんて言えばいいか分かんないけど、どんなに長生きしてもこの生活の事俺は忘れない。このバイクに乗って色んな景色見てくるよ!」マイースは握手した手をぶんぶん上下に振りながら喜んでくれた。ちょっと腕が痛いけど。

 そして、あの家を全員出たので、新しい家に僕とアンブルは住み始めた。

「これ、この家の鍵だよ。遅くなったけど一人前の祝いの品として受け取ってくれるかな」

ああ、照れて顔が熱い。触らなくても分かる。

「先生もそういうことするんだね」

アンブルはにこにこと上機嫌に、家の鍵を開けた。


 それからの生活は初めこそ苦労したけどまるで、はちみつを直接飲んでるような、甘い甘い毎日。

 液体石鹸を一度教えるとアンブルは魔法薬を作ることが楽しくなったようで、聞かれる度に僕は教えた。飲み込みも早いアンブルはだんだん僕に聞かなくても色んな薬が作れるようになっていた。その間、僕も魔法の研究なんかをして、時々外に出て、割と快適に過ごしていた。そう思っていた。

 僕は気が付くまで時間がかかりすぎた。毎日一緒に居ると、あまり自由も効かない。それは仕方ないとしてもはちみつを直接飲んでるような生活はいつか胸がやけてしまうわけで。アンブルはこんなに、僕にべったりついてまわる子だったかな?アンブルの瞳は僕を見ているようで見ていない、僕越しに理想の僕を求めているような……。

 僕が何をどう言っても返事はイエスか愛の言葉で、アンブルへの想いはあるけど、僕が好きになったアンブルはこんな子ではなかったという葛藤に苛まれた。


 気分転換に市井に買い物に出た。

あのドレスに、目立つ金髪の後ろ姿は。僕の足は自然とその人へ向かった。

 先に「やあ」と声をかけてきたのは彼女だった。

時の魔女。どうしてこんなところに。

「そろそろ君に手伝ってほしくてね、生活があるのもどんな生活かも分かってる。その上で声を掛けに来たよ。ちょっとした騒動が起きると思うからその後フェル山の洞窟に来なさい」

 フェル山。ロンジ国の北の端にある、鉄なんかの鉱物が採れる山だ。

「随分急なお話ですね。それになんでそんな所に」

「急でもないはずよ、君だって研究がいいところまで進んだよね?」

 それは図星だった。活かせる場が無いだけというところまで来ていた。

「それは認めますけど、なんでそんな辺鄙なところに?」

ふうっとひとつため息をついて時の魔女は呆れたように話し出した。

「私は必要な時に必要な人に話しかけてるはずだよ。フェル山なのは騒動に無関係な場所になるからだ。分かるね?」

 ああ、呼ばれる時が来ただけなのか。騒動が何かは分からないけど、この人が分かってるなら充分だろう。

 これ以上質問するのをやめて僕は返事をした。

「分かりました、じゃあその頃に」

 アンブルの機嫌を損ねないようにリンゴを3つ買って帰った。この頃のアンブルはたったそれだけで大喜びした。それにさえ僕はため息をついてしまっていた。


 数ヶ月後。

 今朝から天気が悪い。何かの予兆だろうか。

いや、なんとなく分かってる。先週市井で噂されていた、下手な闇魔法使いが魔獣の召喚に失敗して、大きな爆発があった。その爆風に人間の子供が巻き込まれ怪我を負い、人間と魔法使いで抗争があちこち起き始めてるらしい、と。こんなのは昔からよくある。崇めたと思えば追い出そうとする。人間は魔法使いによくそんなことをしてる。どちらも気分のいいものではない。

 アンブルはそんなのどこ吹く風で、天気が悪いのをラッキーと言わんばかりに魔法薬作りに熱中している。

「アンブル、ちょっと休憩しないかい」

 僕はブルーとイエローのマーブル柄のグラスを2つ出し、水を注いだ。もし、魔法をたくさん使う場面が来た時に備えて、自分の属性である水を体内に取り込む。そうすると少しでも魔力として蓄えることが一時的だけど出来る。

 それに、このグラスは暮らし始めに買ったのだけどなぜかアンブルは気に入ってるようで、これを使うとどれだけ大釜をかき混ぜていても手を止める。

 「ちょうど休むところでした」

嘘ばっか。手は止まってない。

 アンブルってもっと……いいや、考えても仕方ない。

 僕らはソファーに腰掛け、水を飲みながらなんでもない事を話していた。


 ドンドンドンドンドン!

 突如部屋に響いたその音は、不穏の始まり。

アンブルは怯えて硬直していた。

時の魔女が教えてくれた騒動ってこれか。

僕は不思議と落ち着いたまま、これがタイミングなんだと受け入れていた。

 ドンドンドンドンドン!

「僕が出るよ」

 外は雷雨。自分が聞いてるものが人間の声か雷の音か判別がつかなかった。アンブルの泣いていた顔は今でもなぜか覚えてる。

 僕とアンブル、他にも捕まっていた魔法使い達も人間用の地下牢から逃げ出すことは容易かった。

 でも今家に帰っても捕まるのは確かだし、フェル山に向かわなければならない。僕はアンブルに提案した。

「いいかい、アンブル。今家に戻っても危ないだけなのは分かるね?僕達が一緒に行動することだってそうだ。今一緒に逃げてもまた捕まるだけ。君だけでも安全な場所に逃げなさい」

 アンブルは混乱しているのか正常な判断は出来ていないようだった。僕はアンブルの背を押し走らせた。自分は反対へ、フェル山に向かって走った。

 僕は甘ったるい生活や、僕を見ていないアンブル、魔法使いを迫害する人間……すべてのものから逃げたんだ。


 フェル山に身を隠した僕は洞窟で時の魔女と落ち合った。時の魔女は自分の寿命を使ってまで産んだ赤ん坊を抱いていた。相手は人間だという。魔法使いと人間が対立しやすい今、離れる判断は賢明だ。ただ、異種族間で子供を産むというのはこの人がどんなに予見が出来たとしてもその先を自ら短くするということ。

「あなたは良くても……本当にいいんですか」

「だから君の力が必要なんだ。人間界に魔法医院を建てて、人間界に住む魔法使い達を診る。魔法使い達はただでさえ時間を気にしない。自分の年齢や寿命も。病に侵されてもそれからどれだけ経ってるか、そもそも気が付くか……。君の医の魔法の出番と思ってね。私の寿命も孫の顔がギリギリ見られるかどうか、時の魔女の継承は難しい。ここで君の魔法の力を借りて延命出来れば話は変わる」

 なんて重大なことをさらっと言うんだ。

でもこれはきっとこの人と出逢った時点できっと決まっていた事。いつも突然に感じるけど、必要な時に必要な事を伝えているだけ。この人はそういう人だ。返事はひとつしか初めから用意されていないのだ。

「分かりました、やりましょう。でもその為にはしばらく身を隠し、落ち着いた頃に人間のフリをして人間界で暮らした方がいいですね。あなたは旦那さんが居るなら馴染むのもすぐでしょう。僕はなるべく魔法を使わなければいいし、1人で暮らすなら問題無いはずです」

 ライラックの瞳は赤ん坊を見つめたまま、それでいいと言った。

 2年後、僕達は話し合ったままに行動した。

時の魔女は母としての生活を送り始めた。僕は空き土地の多い通りの裏に居を構え1人の生活を始めた。

時の魔女とは会うわけに行かなかったので手紙や、小鳥達の伝聞を使って連絡を取り合った。

 時の魔女や僕によって集まった人達は、魔法使いも人間も居る。でも同じ目標を掲げて、この魔法医院で働いてくれる。正直アンブルから逃げて後悔は何度もしたけど、その選択肢でなければこの魔法医院は無かったと思うと、自分の選択が初めて肯定された気がした。

 院長先生と呼ばれる毎日の中でも、マイースには見つかってしまったし、たまに僕の家にランチを食べに来る。

 無碍に帰す事も出来なくて、アンブルに僕の居場所や状況、情報を一切渡すなと口止めして、マイースとの交流を復活させた。あの時泣いていた君は今どうしてるだろう。一度も声さえ忘れた事は無い。忘れられるわけがない。

 僕の、会いたくなくて会いたい人。


 ピンポーン


こんな時間にチャイムを鳴らすのは誰だろう。大方、見当はついてるけど。

 扉を開けると予想通りの笑顔がそこにあった。

「よっ先生!」「もう日も暮れてるのに……どうしたんだい、マイース」

 んー、と曖昧な返事をして慣れた様子でソファーに腰掛けると少しずつ、マイースは話し出した。


「その……さ、アンブルとこの間喧嘩したんだよ。収穫祭の準備してる頃だったかな」

 意外な話に僕が驚いて黙ってると、マイースは眉尻を下げてへへと下手な苦笑をした。

 「でも、収穫祭での騒動で真っ先に君はアンブルを庇ってたじゃないか」

僕は後ろから見てただけだったが、マイースを皮切りに次々と魔女や人間達がアンブルを庇う言葉を発したのをよく覚えてる。師として、周囲と関わるのが下手なアンブルが、庇ってもらえるほどたくさんの人と関係を築けていたと思うと嬉しかったから。

「あ、見てた?あれは咄嗟にね。やっぱりよく知ってる誰かが悪く言われるのはいい気がしないっていうか、いてもたってもいられなかっただけ」

マイースは続ける。

「でもその時も仲直りっていうか、そういう話し合いが出来てた訳でもなくてさ。収穫祭が終わってちょっと困った事があってアンブルを頼ったんだよ。もう、それしか無かったし。それでその時思いの丈を全部ばーっと話して、お互い成長してたんだなーって理解できたら喧嘩が収まるのは早かったよ」

マイースもアンブルも僕の知らない間に確実に成長しているんだな。今ならいいかもしれない。僕さえ覚悟を決めれば。

「先生もさぁ、会っちゃったんでしょ?アンブルは相変わらず探そうとはしてないけど時間の問題じゃない?」

 そう。マイースにはあの日アンブルに会った話をした。ろくに喋れもしなかった。時の魔女のいたずらにも困ったものだけど、本当に困るのは自分の不甲斐なさだ。

「そろそろ話せば?」「そうだね……今かもしれない」

次、会うことがあればその時は声をかけよう。

 僕をじっと見たマイースはため息をついて言う。

「先生の事だからまたいつか会えばとかそんな事考えてんだろうけど、それ一生解決しないからやめたほうがいいよ。そのうち会えるといいね」

 言うだけ言って帰ってしまった。

でもこればかりはマイースの言う通りで……。

 困った僕は何か料理しようと食料庫を見に行く。ふむ、野菜でも買い足そう。市井に向かう為、家を出てすぐのこと。


 見覚えのあるスノーホワイトのロングヘアが風に靡く。

アンバーの瞳と目が、合ってしまった。

「アンブル……」

「え、先生……どうして」

 なんのいたずらでも思し召しでもいい。こんなすぐタイミングが来るなら、話すしかないんだ。

「やあ……風が強いね。すぐそこが家だから、入らないかい」

 アンブルは黙って頷き、僕の後ろをついてくる。数歩の距離なのに、なんだかくすぐったくて、顔がにやけそうだった。

 家で出したのはミルクティー。アンブルの好きなアッサムで淹れた。

 意外にも先に話し出したのはアンブルだった。

というか、笑ったのだ。

「ふふ、先生変わんないね。寒くなり始めるとミルクティーって。なんでかいつもアッサムなんだよね」

「なんでかって、君が好きなんだろ?アッサムのミルクティー」

「え?」「え?」僕らは顔を見合せた。

「私そんなこと言ってない」

 僕の記憶違い?でも、マイースはレモンティーが好きで、シプレさんは紅茶をあまり飲まないし、師匠でもなかったような。

「私はディンブラのミルクティーの方が好き。アッサムって重くなりがちだから」

 こうやってすぐとどめを刺す。変わってないな。でも今は少し痛い。

「僕達はそんな事も話してなかったんだね」

自分への盲目的な愛が重たく感じて、勝手に紅茶に投影していたのかもしれない。本来のアンブルの性格を考えればアッサムが重たい、ディンブラが好きというのも納得する。この子は魔法に夢中で、単調な話し方で、無愛想と思われがちで。そんな事も分からなくなってたんだな。

「もっと色んなこと話せばよかった。大事なこと何ひとつ話せないまま森に籠った事、今なら違ったって分かる」

 アンブルは続ける。

「先生がどこかに居る気はしてたのに、嫌われたんだとしたらって考えると怖くて、足がすくんだ。認めたくなかったの。でも今は違う」

「どう違うんだい」

「先生が私をどう思ってたっていい。私は勝手に昔とは違う気持ちで先生を慕う。自分で勝手に自分の責任で、自分の覚悟でこの気持ちを辞めたくなるまで持つからいい」

 僕の知ってたアンブルではない。手懐けられた猫のような、あの頃のアンブルじゃないし、少女の頃とも違う。

「ちゃんと恋だけどね。でも先生は振れないね?付き合ってなんて言ってない。私が好きなだけだから」

「いつの間にか強かな女性になったね、アンブル」

 顔を窓に逸らし、俯く姿は昔みたいだった。アンブルは意外と隠し事が下手なんだよな。

「……僕は、ずっと研究してた事があって、それを活かしたかった。でも君との在り方が変わって、もうそれが出来ないかもと思った。僕に対する君の態度も変わった。当たり前だよね、関係が変わったんだ。どこかでそれを受け入れきれなかった。そんな時、人間との距離も急に変わって全てが居心地悪かった。気付いてると思うけど……あの時僕は逃げた。ずっと悔いてた。あの医院を建てた時少しだけまあいいかと思ったけど、そこで君と再会した。あの時どうしてあそこに居たんだ?」


 僕達はお互いのこれまでを話した。

アンブルは森に住んでから、赤ずきんと出会ったこと。沢山の人達と関わって成長したこと。赤ずきんの祖母が時の魔女だったこと……。

 僕は何も無い青年だった頃の話から最近どうしていたかまで。

全ては繋がっていたんだな、時の魔女によって。

「シプレさんには敵わないなぁ」「時の魔女だけ?私は?」にやにやとアンブルが訊いてくる。

適わないよ、君にだって。


 僕はアンブルの両手を包み、自分の想いを話すことにした。

「いいかい、アンブル。僕がこれから話すのは本音だけど、間違って解釈しないでほしい。僕は君に、会いたくなくて会いたかった。会いたくなかったのは、向き合うのが怖かったから。後悔も未練もあったし、それを認めたくなかった。会いたかったのは、それでもやっぱり君への想いが断ち切れなかった。その気持ちだけ認めることが出来てた。自分の気持ちがめちゃくちゃで、どう動いたらいいかなんにも分からなかった。これだけの時間があったのに。そんな未熟な僕だったけど、今なら僕なりの自信も、君と支え合う生活も出来るよ。赤い蝋燭のまじないがなくとも誓える。僕の真ん中に君への愛がある」

ひたすら想いを嘘なくぶつけた。

 アンブルは答えた___。

 

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