第10話 魔動エンジンひとつ
夜明けと同時にエンジンをかけて走り出す。
まずはパン屋のおばさんに小麦粉を届けに。
「おはよう、お姉さん」朝陽みたいな笑顔で言うのがポイント。
「よく言うよ朝から。おはよう」
おばさんは素直じゃない笑い方をしながら厨房へ俺を手招く。
そのまま荷物を中まで運んで、奥に居る無言で珈琲を啜るおじさんの渋そうな顔を見て、駄賃の朝ごはんを咥えながら次の配達に出る。
挨拶を最高の笑顔で自分からする、ここ大事。
バイクで通りながらみんなにおはようって言うとその日は良いことありそうな気がする。
朝陽を背負いながら市井、広場、街を駆け抜けてく。
これがまた爽快なんだ。
昼頃腹が減ったら東通りの裏手にまわって、先生からお昼ご飯をご馳走してもらう。たまにだけどね。先生はやれやれって顔しながらも手の込んだサンドイッチと紅茶を出してくれる。簡単だよって言うけどそれがまた絶品なんだ。
もちろんアンブルには何も言わない。1つ言えばパズルのピースが崩れる気がして言いたくない。俺はアンブルには何も言いたくないんだ。
今日はそんな、俺の話。
俺の相棒、この魔動バイクはどこにでも連れてってくれる。
一人前の魔法使いとして認められた時に先生が贈ってくれて、それからずっとこいつと人間界も魔法界も、地面も空中も、どんなところもどんな時でも一緒に駆け回ってる。
今日は山までおっちゃんの果物を受け取りに行かなきゃな。普通の山道はバイクでは難しいけど、こいつとならどこでも楽勝だ。俺は早速山へ向かった。
「よう、配達!早速荷積みしてくれ!」
山に農園を持つ、気のいいおっちゃん。卸しだけは手伝ってる。爺さん扱いすると怒るんだけど、自分では爺さんだから助けろとか言うところが自分勝手で、それでもカッカと笑う姿を見ると許しちゃうんだよな。
「おっちゃん積めた!降りていいよ!」
おっちゃんは額の汗を拭って顔を上げた。俺に近付いて3箱渡して来た。
「駄賃だ!いつもみたいに持ってけ!」
カッカッカと笑っておっちゃんはワゴンを押しに行ったけど、今腰に両手当ててなかった?
「ちょっと待って!俺が押す!」
いいよいいよ、と断られるけどそれを更に俺は断る。
「無理して農園来れなくなったら大変だろ?手伝わせてよ」
「ったく、いつ気付いたんだ?勘がいいなぁ。腰痛いから助かるよ、ありがとさん」
こうして俺は荷物を魔動バイクに積めるだけ積んで市井と山を往復しまくった。貰った3箱を除いて。
最後に山に戻ってきた時にはもう日が暮れ始めていた。
「なぁ、他に配達があったんじゃないか?大丈夫かよ」
今日の他の配達は本来無い。あったとしても個人でやってるし、魔法も使えなくはないので融通は効く。
でも、おっちゃんから果物を貰った日は1軒だけ。
「無いよ、大丈夫」
なんだか今日は最後の1軒に寄りたくない。
「嘘つくなよ迷子みてえな顔しやがって。寄りたいところでもあるんだろ。ちゃんと行け」
おっちゃんは俺をシッシッと追い出すように手を払った。
迷子みたいな顔ってなんだよ。そんなわけない。ずっと迷子なのは寧ろ……。仕方ない、ひとつ大人になって寄ってやりますかね。
「ほら早く行け」「わーかったよ!またね!」
俺はバイクに跨り、いつも通りエンジンをかけた。
プスン。
俺の相棒はいつもの威勢のいい
「な、なんで!?」俺は驚いて一度降りた。
よくよく考えればなんでも何も無い。山と市井を何往復もしたんだから、バイクもくたくたで、どこかおかしくなっても不思議はない。
俺は久しぶりに人前で杖を出した。
「間違いを探り光の道を示せ、アンケッテルミエール」
バイクは1箇所から光を発した。これは……
「やばいな、エンジンがいかれた」「修理屋に来てもらえないのか?流石に山は下りないと行かんだろうが」
人間が乗るバイクならそれで済んだと思う。でも魔動バイクは広く普及してるものではない。そもそも俺みたいに人間界と魔法界を頻繁に行き来する魔法使いが少ないからだ。壊れたら自分で修理するか、新しくするしかない。
ここで残念なお知らせだが、俺は魔力量が並の魔法使いより少ない。これは生まれついてのものだからどうしようもない。
更に残念なお知らせが、魔動バイクのエンジンは溜めた魔力をもとに動いてる。そのエンジンがいかれた今、俺の相棒はただのガラクタと化してしまった。
直す手立ては、あるとしたらひとつだけ。
「あーあ、結局俺は行くんだな。あいつのとこに」
収穫祭の時は庇わずに居られなかったからつい飛び出してしまったが、収穫祭の前に言い合った事をなんとなく消化出来ずに、頭の中が曇った空みたいなまま引きずっていた。今顔を合わせたら自分でも何を言うか分かったもんじゃない。でも、貰った果物もあるし、バイクを直すにも俺だけじゃだめだし。どうする、俺。
__気付けばすっかり夜だった。
なんとか山は下りて街まで出て、やっと森の半分を来たところだった。動かなくなったバイクはいつも俺や荷物を運んでくれる力強さを失い、重たい塊になって俺に寄りかかり押されていた。明日は朝から港の荷物を市井まで運ばなきゃいけないのになんでこんな時に。
しかしあの困った魔女は今頃どうしてんだろうか。
ベリルちゃんに髪を結ってもらって、依頼された薬を作ってんのかな。猫みたいにソファで寝てんのかな。先生を記憶から呼び起こしながら窓の外でも見てるのかな。俺の事なんか、考えてないだろうな。
そんな事を考えながらバイクを押していたらいつの間にか目的地まで来ていた。ベルの音は直ってるのか?俺はボタンを押した。
ビーッ
なんだ、まだ直してないんだな。
ガチャ。ドアから出てきたのは赤いバレッタを付けた
「あれっ、お兄さん!どうしたんですかこんな夜更けに!」
「ベリルちゃんこそ、まだ帰ってなかったの……ってネグリジェ?まさか泊まり?」
ベリルちゃんは自分の格好を思い出したのか顔を赤くした。
「いや、その!ちゃんと親の承諾は得てますので!大丈夫です!今日はそういう約束で!」
まだまだ年頃の子だなあ。慌てちゃってかわいいなあ。
奥からよく知ってる声だけが聞こえた。
「どうした?」
「あっ先生!お風呂長かったですね。また髪濡らしたまんまで……もう!お兄さん来てますよ」
「はあ?こんな時間に?」
アンブルにもベリルちゃんぐらいの可愛気があればなあ。
長い白い髪からぽたぽた雫を垂らして、アンブルは目の前に現れた。
「なんだよこんな時間に」
いつもと変わらない無愛想な返事、表情。気にしてるのは自分だけかと虚しくなる。
いけない、今はその時じゃない。
「いやぁ、ほんとこんな遅くにごめん。ちょっと助けてくんない?」
そう、遅くに訪ねてるのは本当に悪いと思う。アンブルだけど。
「それは、私に関係あるのか?」
棘のある返事しか出来ないのかなぁ?
「あるよ、もう何も届かなくなる。ちゃんと対価に果物3箱」
まあ、付き合いも長いので俺は怯まず返す。
「用件を言え」偉そうに。ちょっと頭に来た。
でも、俺はものを頼む立場。今は強く出ない。今はね。
「魔動バイクのエンジンがいかれた。どう壊れてるかはまだ調べてない。直してほしいんだ。明日も朝イチから使うし頼む!」
俺は両手を合わせてアンブルに拝み倒した。気まずいけど、藁にもすがる思いだった。
アンブルがどんな奴かは分かってる。そこの赤ずきんちゃんよりも。でも、アンブルは俺の事なんか1ミリも分かってなかった。
「自分で出来ないのか?」
確かに、並の魔法使いなら自分で原因究明して、修理して、明日もその先もずっと使えているだろう。
でも、俺は産まれてから一人前になるまでずっと、同時期に産まれたどの魔法使いより、そこら辺の魔法使いより、魔力量は育たなかった。それは、俺を知るどの魔法使いも知っている話だった。
一緒に育ったのにそれさえ知らなかったっけ?なあ、アンブル。
俺の中で、絡まった糸がそのまま切れてしまった。
「俺だって自分で出来るならしてるよ。なんで俺が恥を忍んで頼りに来たと思う?なんで俺とアンブルだと思う?俺は1番魔力量が同期の中じゃ少なくて、1番突出してるのがアンブルだ。そんなの分かってるよなあ?知らないとは言わせない」
だめだ、やめろ、俺。こんな事が言いたいんじゃない。ベリルちゃんと色違いのネグリジェが可愛いとか、髪を乾かせとかそんなことだけ言えばいいのに。
俺はアンブルに何も言いたくないんだ。想いとは裏腹に言葉は次々湧き出て止まらない。
「いつもアンブルと比べられながら他の魔法使いに嗤われてた。1位と比べられ続けるドベの気持ちが分かるか?どんなに真面目に座学も鍛錬もしてても、君にも、普通のラインにも一生届かない。虚しさ、悔しさ、羨望、絶望……色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざってアンブルとも仲良く居たいし先生にも感謝してるけど自分が出来損ないなばっかりに素直にそのままでは居られない。ずっとそれがコンプレックスだよ昔から。
俺には大事でも君には些事なんだろうな。周りに興味の無いアンブルはどうせ知らなかったんだろ!そんな事分かってるよ!どんな魔法を覚える時もそうだった。一緒に育ってきたけど玩具もホウキも誰の物かなんて気にも留めないで勝手に使い出して、結局君が使いこなして褒められて。俺がその度"それ俺のなんだけど返して"なんて言いたいのをぐっと飲み込むんだ。アンブルは俺がいつも何も言わない魔力も度胸もない奴と思ってるかもしれないけど、俺に何も言えなくしたのは君なんだよ、アンブル。
いつだって君が興味を持つのは魔法と先生の事だけ!近頃はベリルちゃんのおかげで少しマシになったかなって思ってた。でも結局他の何とも向き合おうとしないじゃないか。それで俺に一方的に魔法も気持ちも軽口もぶつけるのは違うんじゃないか?」
湧き出た言葉を一気に放して、気付けば肩で息をしていた。
こんな感情が眠ってたなんて自分でも驚きだった。普段ならこんな事しない。
自分が抱えてた気持ちに向き合うのが怖くてたまらなかった臆病者は俺のほうだった。
あぁ、アンブルの顔を見るのが怖い。でもここで逃げ帰ったら、ずっと繰り返すだけだ。
アンブルは意外な言葉を返してきた。
「……それで全部か」
前ならもっと、すぐに反論してきたり突っ撥ねられたりしたんだろう。でもアンブルはそれをしなかった。
全部か?いや、もっと言ってやりたいことは山ほどある。でも全部が抱えきれるほどアンブルが変わったとも思えない。だから、少しだけ。
「周りに関心無さすぎなんだよ。無骨な物言いしかしないから、いつもフォロー入れるこっちが大変なんだよ。少しは考えて行動して物を言ってほしい。言わなくていい事は言うな。言ったほうがいい事は言え。とりあえずは、それだけでいいから」
それでもアンブルには難しいんだろう。俺も大概意地が悪いな。本当は今すぐ耳を塞いでしまいたい。なんて言われるか考えたくない。怖い。でもそんな自分をもうやめたいから言ったんだ。
アンブルが俺の両手を、その小さい手で包んだ。
この手はこんなに小さかったっけ。先生が昔教えてくれた仲直りのおまじない。まだ憶えてたんだ。
「そうか。今までずっとそんな事思わせてたんだな。言えなくさせたのも私だったなんて正直考えた事も無かった。ずっと、ごめん。やっと言ってくれて、ありがとう」
ずるいよ、いつだってそんな事言いそうにないくせにこんな時だけ。そう思ったらじわりと涙が出た。
「最近、お前だけじゃなくてこの子が来るようになって、依頼も来て、生活に色がついたみたいな毎日を過ごすようになって忘れてた事を思い出したり、知らなかった事を知ったんだ。近すぎてお前が私を気にかけてくれてる事も、そのありがたさも、ようやく分かったんだ。先生の事を口にしない優しさも。茶葉が減って食器が棚から消えない暮らしの温かさ、家を訪ねてくれる人が居ることの嬉しさ。ずっと行動で伝えてくれてたんだよな。言わなきゃ分かんないだろって思ってたけど、言わない優しさもあるんだよな。何も分かってなかった。ごめん。それでも伝え続けてくれてて、ありがとう。もうすぐ寒くなる。お前の好きなミルクティーを淹れるからまた配達ついでに寄ってってくれ、頼むマイース……」
最後の方は声がだんだん小さくなっていた。いつでも自信満々なくらいがちょうどいいのに、本当に人と関わることは下手なんだなぁ。
アンブルは、人間に踏み荒らされた恐怖をいつの間にか超えてた。でもまだ失った痛みを忘れたわけじゃないだろう。だから、俺が居ないとだめだよな。
「しょうがないなぁ、もう不味いブースト剤とか入れるなよ?」「それは、悪かったって!」
顔を見合わせたらなんだか笑ってしまった。
喧嘩なんてどれくらいしてなかったか分かんないけど、俺とアンブルはこれでいいんだ。
キィと奥の扉が開く。
「良かったですねお兄さん。先生も。仲直りですね」
この夜更けにずっと奥の部屋で心配しながら待っててくれたんだろう。悪いことしちゃったな。
「うん、心配かけてごめんねベリルちゃん」
いいえ、と少女は微笑むとアンブルの方に向き直った。
「先生、お兄さんのバイク直してあげてください。私も見たいです」
そうだ、バイク!俺はすっかり目的を忘れていた。
「あぁ、そうだったな。ほら外出るぞ」
俺と少女はアンブルについて外に出た。
俺はバイクに向かってしゃがみ、アンブルはバイクに片手をかざした。エンジン部分が赤く光る。
「壊れたのは回路だな。これじゃどんなに魔力を溜めといても漏れ出て無駄になるだけだ。ここさえ直せば使えるさ」
アンブルは両手をバイクにかざし、そのまま宙へ浮かせた。
「傍観するな、まだ余裕があるなら杖を出してくれ」
喧嘩したばかりで気にしてる言い方で、俺を参加させるアンブルの姿はなんか面白くって、たぶん俺は忘れないと思う。
早速杖を手に取って、バイクに向けた。
アンブルが詠唱する。
「彼の道を知るものよ、心臓のねじを巻き油をさせ
あの日、先生から貰ったバイク。もう何年も一緒に走り続けてきた。最初に乗った日の姿で、宙から降りてきた。
今度は俺とアンブルがもう一度向かい合った日に、力を合わせた歴史を乗せて走るんだな。
試しに跨り、動かしてみる。
ブォン
「おお!ちゃんと動いてる!」
心做しか前より軽々とキレよく動く気がする。
「直したんだから動くに決まってる。前と同じ動きじゃないのは溜めてる魔力の質の差だな」
もう、そんなに経つのか。時が来てエネルギーが入れ替わる。世代交代ってやつだ。悩める青い時代は少しずつ幕を下ろして俺達が担う番が来たと、このバイクは知らせてくれたのかもしれない。
「助かったよ、アンブル」「礼ならちゃんと寄越せ」「じゃあいい事教えてやるよ。東通りの裏手に美味いランチやってるとこがある」
アンブルは不満げな顔をして、そうかとだけ言って中に入ってしまった。
動きのいいバイクが嬉しいし、明日の朝も早い。帰ろう。
今度こそ大事に使うんだ。
「お兄さん、おやすみなさい。気をつけてくださいね」
「おやすみベリルちゃん!またねー」
満月が遠くから道を照らしていた。
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