第9話 懐中時計1つ

「そろそろだね、ベリル」



 ◇

朝9時に来て、郵便物を回収して朝の挨拶と共に魔女の家に入る。魔女が起きてくるのは早くても10時過ぎ。それまでに前の晩の洗い物、洗濯、掃除を済ませて、魔女がシャワーを浴びる為の準備をしておき、魔女が起きてきたらそのまま浴室に突っ込む。その間にお茶を淹れたり、郵便物をチェックする。そこまでが私の朝のルーティンだ。

 今日は郵便物に目を通していると珍しく魔女宛ではない封筒が混ざっていた。

「私宛……?」封筒の裏に署名は無い。

そもそも私がここに通ってる事を知ってる人は少ないし、魔女の住所もそんなに知られていないはずだ。不審に思いながらもその封筒を開けてみると、それは私の祖母からの手紙だった。


 "ベリル、元気ですか。おばあちゃんは今、魔法医院でお世話になってます。あなたに会えなくなる前に、話しておきたい事があります。突然で戸惑うでしょうから、この手紙が届いた次の満月の日、あなたがお世話になってる人を連れて東通りの魔法医院まで来てちょうだい。会える日を楽しみにしてるからね。おばあちゃんより"


 魔女を連れて魔法医院まで会いに行くって事だよね?

祖母とはここ数年交流は無かった。でもなんとなく覚えてる。優しい目で、いつも頭を撫でてくれる手が温かくて、穏やかな口調なんだけど一癖ある人だった。そこが災いしたのか、母は自分の親の割に祖母を好いてないようで、話題に出すのもいつも嫌がる。自然と祖母の話はしなくなったし、交流も減った。どうして急に?それも魔女を連れてなんて。相談してみないとなぁ。

 寝癖がついたままの魔女がギィと扉を開けた。目は半分しか開いてない。

「先生、おはようございます」

「……うん、おはよ」

完全に寝惚けている。私は魔女をくるっと半回転させ、そのまま浴室まで背中を押して歩かせ、シャワーを浴びさせた。

 祖母の話は魔女の頭が起きてからだ。放っておいたら魔女は本当に薬作り以外何もしなくなる。ぼろぼろの姿に逆戻りしてしまう。私は魔女の支度が終わるのを待った。


 「なんか古い薔薇みたいなにおいがする。お前なんか持ってるか?」

もしかして手紙から?私は祖母からの手紙を魔女に渡した。

「これだな、誰からだ?」魔女は封筒を開けなかったがやはり手紙から匂いがしたようだった。私は何も感じないけど。

「私の祖母からなんです」

魔女に話をしてみると__。

「行ってみるか。なんかあるから呼ばれてんだろうし」

意外な返答に驚いたが、魔女にも考えがあるのかもしれない。

「先生、外に出られる服って持ってます?」「ネイビーってフォーマルにも使えていいよな」

その視線は私を見てはいなかった。

「せめて当日髪まとめてくださいね、病院ですから」「あぁ、やってくれ」

本当にこの人は。呆れて何も言えない私をよそに魔女は薬を作り始めた。ピクシーの粉もまだ山ほどあるから、試作がしたいんだろう。薬を作ることしか頭にない、そういう人だ。

 次の満月は3日後。それまでに魔女の服を綺麗にしておこう。お見舞いの花も摘んでおこう。お母さん達には黙っておこう、なんとなく。

でも、会って何を話せばいいんだろう?

 そんな私の心配をよそに3日などすぐに過ぎてしまった。

 前向きに考えれば久しぶりに祖母に会える。それだけでなんだか私の胸は高鳴った。


 森から出て、いつもの市井を通り、中央広場を抜けると三叉路を左。ずっと道なりに行くと大きい魔法医院があった。でもなんで魔法医院なんだろう?魔法でしか治せないような病にでもかかってるのだろうか。

 勇気を出して、受付の看護師に話しかけようとしたその時。

「ベリル」

確かに背後から声がしたのに。視線を落とすと床に光が繋がって見える。私は光を辿った。扉が勝手に開き、そのまま奥へ誘われる。足が進んでいく。光はそこで途切れていた。顔を上げる。

「よく来たね」そう言って微笑むその人は、間違いなく祖母だった。私は祖母に抱きついた。

「まあまあ、こんなに大きくなって。会いたかったよベリル」

 祖母は優しく抱きしめ返して私の頭を撫でた。

 何を話せばいいかなんて不安はどこ吹く風、話したい事が山のようにある。どれも聞いてほしいことばかりだ。聞きたいことだってたくさんある。まずは魔女のことから。


 そこで私はハッとした。魔女の事をすっかり忘れていた。それでも魔女は私に着いてきていたし、祖母とハグを交わしても黙って隣に立っていた。

「ええと、おばあちゃんこの人に私お世話になってて」

 祖母はふんわりと微笑む。

「そうみたいだね、その事も後で聞こうか。まずはおばあちゃんの話を聞いておくれ」

そうだ。私はどうして呼ばれたんだろう、それも魔女と一緒に。


 おばあちゃんは話し始めた。

「驚く話ばかりになるかもしれないけど、許してちょうだいね。まず、なんで魔法医院に呼んだかから話そう。それは私が魔女だから、そして魔法によって延命しているからなんだよ。もう、消滅の時は近い。だからベリルにすべてを話しておきたかったんだ。その為にはそこの魔女と一緒に来た方が良いと思ってね。人間だけで来てもいいけど、魔法使いと一緒の方が難しくない。それにベリルがお世話になってる相手に会っておきたいばあちゃん心さ」

「知らなかった、おばあちゃんが魔女……」

情報過多で理解が追いつかない。延命?消滅の時?考えたくないけど、まさか。

「おばあちゃん死んじゃうの……?」

「ごめんねベリル。魔法も万能じゃないし魔法使いも不老不死じゃないの」

 それは、私が魔女の傍で過ごして感じてきた事だった。

「どんなにすごい魔法使いもいつかは消滅する。あなたはとても高度な魔法を使われるようだ。違いますか?」

魔女は少し不機嫌に祖母に尋ねる。

「やれやれ同族はすぐ気付くね。貴方だって魔力量は多そうじゃないの」

 聞くと祖母は"時の魔女"だそうだ。それを聞いた途端魔女の血相が変わった。

「あなた……えっ!それが何を意味してるかお分かりですか!?」

「もちろん。だから呼んだのよ私が名前を付けたこの子をね」

 なにがなんだか全く理解できないまま魔法使い同士の話が進んでいく。察したのか祖母が口を開く。

「ベリル、自分で言いたかないけどね、時の魔女っていうのは魔女の中でも少ない上に、扱う魔法が難しいものばっかりで、時の魔女がこの世界の時空を管理しているの。だから次が産まれないうちに今の時の魔女が消滅したり、途絶えたら世界はどうなるかしら」

 嘘でしょ。そんな大事なの?だから魔女もあんなに慌ててたの?時の魔女が居なくなった世界がどうなるかなんて、考えたこともないし考えたくない。怖い。

「もちろん時の魔女を現役で頑張ってる子達もいるから、大丈夫ではあるんだけど出来るだけその血を受け継いでる誰かが交代した方がいいものでもあるの」

 大丈夫なんだかそうじゃないんだか。でも血を受け継いでる誰かって

「お母さんは魔女なの?」

 「ベリルのお母さんはねえ、確かに私から産まれたけど、人間と魔女のハーフってところねえ。それに魔法使いが嫌いみたいだから」

 祖父は人間なんだ。そうだよね、お墓参りした覚えがあるもん。

「お母さんはなんで魔法使いが嫌いなんだろう」「それだけはずっと分からないの。でもそれがきっかけでベリルはそこの魔女さんに出会ったんじゃないかしら」

 そう言われてみれば、あの日忙しそうなお母さんに頼まれて、なんなら追い出されて魔女の家に行った。それはお母さんが魔法使いを嫌っていて、自分で行きたくなくて私に押し付けたから。そう考えたら辻褄が合う。

「つまりあなたの娘さんは望み薄、魔女に懐いてる様子の孫に頼もうって事で合ってますか?」

「魔女ってどうしてこう、みんな勘がいいのかね」

え?

「ベリル、さっき名付けた事は話したね」「そ、そうだね」「魔女に名付けられた血縁者は産まれた時の2倍の魔力を宿すのよ。何か困った時の手助けになればと思ってした事だったけど、ベリルさえ良かったら魔法を扱って、私の跡を継いでくれないかしら」

 私が祖母の次の時の魔女!?魔法を使った事も自分に魔力を感じた事も無いのに。なんて無茶を言うんだろう。魔女ってみんなそうなのかな。

「そう言っても魔女と人間のハーフの娘さんと同じ魔力量で時の魔女が扱う高度魔法が出来るものですか?」

「心持ちが違うからね。と言ってもそれでも多少変わるだけだ。あとは訓練次第だね、なれるともなれないとも言えないし、自分の消滅後は予見出来ないからなんとも言えないね。さぁ、難しい話は一旦終わろう。いい花を詰んで来てくれたんだね。ベリル、名前の通りの子に育ったんだねえ……」


 それは、魔女と隣国の王女が教えてくれた宝石言葉。

「聡明と癒し?」「そうさ、オレンジのバラとガーベラを摘んできてくれる。元気が出る色合い、花言葉も気をつけたんだろう。そこまで気遣い出来る子は聡明で、癒しを与えてくれる子じゃないの。ありがとう」

「あのね、おばあちゃん……私ね……」

私はついに泣いてしまった。

 感謝されたことが、名前の通り育ったなんて褒められたことが、名付けの話が、全部が温かくて嬉しくて、両親に話したくないようなことさえ聞いてほしくなってしまって。でもいざ話そうとすると言葉より先に涙が溢れた。


 そして私は少しずつ話し始めた。

「前年度はなんともなかったのに、上手くやれてると思ってたの。先生相手も友達相手も。でも今年度になって、それは勘違いだったって分かった。」

 は唐突に始まった。

 初めこそ冗談交じりで、ただのやっかみだと思った。

 でも、日を増す毎に机に萎れた花が置かれたり、物がなくなっててゴミ箱を探したらあったり、登下校するだけで指差し嗤われて、限界で一度孤立状態のまま訴えた事がある。

 『誰がこんな事しようって言ったの?』『こんな事して何がしたいの?どうしてするの!?やめて!』

教室中が笑いに包まれた。言葉が通じなかった。

中には私の真似をする者も居たし、それを見てまた笑う者も居た。

 それが5月の始め頃。下の兄弟の面倒見るだけで忙しい両親には言いにくかった。言っても流されると思った。

 その頃家ではハンコやサインが必要な書類の話以外、学校の話なんてろくに聞いてもらえなくなっていた。

 ロンジ国の学校は行かなくても問題無いから、行かなくなっていた。それこそ私は下の兄弟の面倒を見る事を言い訳にして、母を手伝い、忙しいフリをして学校から目を背けた。だから、収穫祭でセレストに会った時はかさぶたを無理矢理剥がされたような気分だった。セレストは味方して、みんな辞めようよ!こんな事良くないよ!なんて主張をしてくれたけど、状況は悪くなるばかりで同じ目に遭いたいかと脅されたセレストは何も悪くないのに泣きながら謝って、私の味方を辞めた。向こうの味方に見えるけど、本人がどんなつもりかは知らない。話もせず、私が学校に行かなくなっていたから。セレストの気持ちどころか原因さえ分からないままだ。

「毎日私の家に来てるとは思ってたけど、そうか……」

魔女が言葉を失った。真逆の反応をしたのは祖母だった。

「銅貨あげるからそこの電話から家にかけてちょうだい。今すぐここに両親を呼びなさい!」その語気は強く、怒りを抑えきれていなかった。

 折角さっき褒められたのに、そんな弱い子だなんてと怒られるのかな。

私は気が重いまま家に連絡した。どうせ来ないのに。

喋りだしたのは魔女だった。

「どーもどーもお母様お元気ぃ?あなたの大事な娘さんなんだけど、大号泣してる。いますぐ東通りの魔法医院に旦那引っ張って、置いてけないなら赤子も連れて飛んできな!来ない選択肢は無いよ!今日!今!すぐだ!」

 魔女は思い切り捲し立て、勢いのまま返事も聞かず切ってしまった。

「お前には悪いけど、気に入らなかったんだよね。自分の娘が学校に行かなくなったっていう大きな変化があるにも関わらず、自分の都合のいいように解釈してやりたくない事押し付けて、私に会いたくないにしても挨拶の手紙1つでも寄越したか?なんの反応も無しだ。大事な助手を蔑ろにされていい気がするわけないんだよ」

 私は祖母にも魔女にも大切に思われてる。じゃあどうして、一緒に住んでる家族になんとも思われてないんだろう。涙が止まらない。

 それから何分もしない内に意外なことに両親は来た。

「ベリル!!あんたなんだってこんな所に……ああ、母さん。そういう事」

 私を叱責しようとした母はすぐに祖母に気付き、その祖母を睨んだ。そして、魔女にも。

「睨まれる覚えは無いよミスシャプロン。そこに2人共膝付きなさい。ぼーっとしてる旦那さん、あんたもなの分からないかい?」

 祖母は私がぶちまけてしまった思いを伝えるのだろう。

「あんた達は4年前まで誰を見てた?誰に愛情を注いでた?今シャプロン家はまわってるだろう。それは家に便利屋さんが居るからだね?10年間ずっと両親の愛情を一身に受けてた子供が突然変わった状況についていって、蔑ろに扱われ、自ら便利屋の立場にならなきゃいけないその切ない気持ち、あんた達分かるかい?分かってやれるのかい?」

両親は俯いていて、どんな表情で聞いてるか分からない。

祖母は続ける。

「親になんにも言えないまま、複雑な気持ちで下の兄弟の世話をして。可愛いと本当に思えてるかも分からないね。自分が疎外される要因のひとつなんだから可愛いと思いたくても難しいだろうね、お姉ちゃんになったってまだ産まれてたった10年ちょっとだ。そんな親に学校で何かトラブルがあってもどうやって言えるだろう。知ってたかい?クラスからも居場所がなくなってたこと。辛い思いを重ねて過ごしてたこと。この歳で家にも学校にも居場所が無くて、魔女と関わろうが学校に行ってなかろうが両親は無関心。ずっとそうやってこの子が潰れるまでやっていく気じゃないだろう?自分たちの娘だ、想いをちゃんと正面から受け止めておやり」

 私の心臓はバクバクしてる。涙なんてまた溢れそうだ。でも、今言わなきゃ。

「ずっと寂しかった……。急に2人共私の事なんかどうでもよくなって、お手伝いさんみたいに扱われて、話を聞いてほしくてもあとであとでって。そのあとでいつ来るの?来ないんだもん。弟も妹も可愛いねって可愛がりたいのにそんなふうに思えないのつらいよ。いいお姉ちゃんになりたくてもなれないの苦しいよ。甘えたいよ。学校で……辛かったの気付いて欲しかったよ。魔女と一緒に居て、心配されたかったよ。大丈夫だよって言えもしない。もうやだ。ずっと悲しいのもう嫌なの!」

 全て言い切って私は子供みたいに泣きじゃくってしまった。どれくらい泣いただろうか。

気が付いたら父と母に抱きしめられていた。

「ごめんねベリル。私達があなたに甘え過ぎていた。あなたに何も言えなくしてしまった。蔑ろにしたつもりはなくてもあなたに寂しい思いをさせてしまった。みんなに同じだけ愛情を注ぐのが当たり前なのにね。ごめん、ごめんね。本当にごめんなさい。」母の声は涙に滲んでいた。

「本当に悪かったよ。パパもママも手のかかる下の兄弟に気を取られてばっかりで、ベリルの気持ちまで考えられてなかったね。これからはもっと話そう。もっと一緒に居よう。ずっと愛する娘だよ、それが伝わるようにする。ごめんなベリル。僕達の大事な娘」父の声も震えていて涙を堪えているのが分かった。

 2人はきっと初めて魔女に出会った日の私だ。

心が疲れて、レンズがくもってちゃんと見えなくなっていた。でも泣いてくもりがとれてよく見えるようになったんだ。

「あのね、私さっきおばあちゃんに時の魔女を継がないかって言われたの。どうしたいかはまだ決まってない。でも話しておくね、だって家族でしょう?」

 泣いて詫びて、私を慈しむ瞳で見ていた2人の表情がみるみる変わる。眉間に皺を寄せ、難しい顔をする。

「魔女さんと、少しの間待合室に居てくれる?母さんと、パパとママで話をするわ」

 母はとても真剣に、祖母に向き直って言った。

「分かった。終わったら教えて」父が私の頭をぽんとひとつ撫でる。私と魔女は席を外した。


「随分久しぶりねえ。みんな元気なようで良かったわ。2人目3人目が産まれて手が離せなくて会わない理由を作れてよかったってところかしら。昔から魔法が嫌いな貴方だから……どうしてか、分からないけれど」

「生まれついて魔女の母さんには分からないわよ。魔法が使えるのは人と違うということ、人と違うというのはおかしい事、弾かれる事。自分が何者か分からなくなる足元が抜け落ちたような恐怖。自分の勝手で人間と恋して子供を産んだ。そんなあなたに何が分かるの!?」

人間でも魔女でもない。人間のような魔女のような。異種族間に産まれた子供だった。それは一生ついてまわる。人間として振る舞っても魔女として振る舞っても、どちらかを隠しやっぱりどこか中途半端でちゃんと出来ない自分。周りがそつなくこなせるような事を私は何ひとつ出来なかった。子供の頃はよくからかわれる原因にもなった。そのうち魔法を毛嫌いするようになった。

 定職にも就けなければ、引き篭る訳にもいかない。だから、この人と結婚した。2人だけの世界に閉じこもってしまえばいいと思った。それに自分を利用していいと彼は言った。そして、私が生きやすく息易く生きていける手伝いをするとも言ってくれた。半端者の私を受け入れてくれた。誰にもどこにも言わず魔法嫌いのよく居る人間の女性として生きてきた。

そうこうしてるうちにベリルが産まれた。初めての子供ぐらい親に会わせようという子心、だったと思う。名付けにも抵抗は無かった。魔法の事なんて何も知らなかったから。知ろうともして来なかった。

 だから、思わなかったの。あの日幼いベリルが魔法で空中に浮かぶ懐中時計を見て

「まほう、きれー」と目を輝かせる姿を見るなんて。成長しても魔法に対して友好的な少女として育ったベリルに母の話を段々としなくなった。これ以上、私を苦しめた魔法を好きになんてなってほしくなかったから。

あの日ネージュの森に行かせたのはすぐ帰って来るだろうという慢心と娘への甘え、魔法に触れたくない思いから押し付けただけだった。ベリルはシャプロン家の娘、赤ずきんの子。赤ずきんの筋書きストーリーに魔法使いは居ない。それでもやっぱりベリルは出会った。幼い日綺麗と言った魔法に。今日だって離しても近付いた、時の魔女に。

 ベリルが大号泣してるなんて聞いた時はそんな姿もう何年も見てなくて、何事かと焦った。どうして魔法医院に居るのかも怖かった。魔法でしか治せないような事になったのかと思った。

そうではなくて私達が傷つけていた。まだ、14歳なんだよね。娘が何歳か、学校に行かないのはなぜか、娘への関心。忙しさにかまけてすっぽり抜けていたように今なら思う。

そして私は今、母と対峙している。

「貴方は3人産んで何が分かったかしら。私は貴方だけだったけれど。育てることが大変ということ?それ以上に可愛いということ?」

「何が言いたいの」

 母は話し出したと思えば、いつも訳の分からないことを言う。

 「私ね、思うの。赤ちゃんって愛の結晶なんだって。貴方が産まれて育って教えてくれた事よ、ありがとう」

 意味が分からない。嫌われてる事を知っててどうしてそんな事言うの?

「今更……っ!何の話よ!」

「私は貴方と過ごした時間を温かく感じた。それを忘れることは無いまま時期、消滅するわ。今まで苦しめてごめんなさい。私が消滅する時には忘却魔法をかけておくわ、これ以上貴方が苦しむ事はない。安心して」


 母の事は嫌いだった。自分とも父とも周りとも違う。何も分かってもらえないんじゃないか、分かってあげられることなんて無いんじゃないかって。変な親子と指差し嗤われるのも全部嫌だった。でも、母が消えてしまう?世界から、私の記憶から、知ってるものすべてから?そう思うとぐっと込み上げてくるものがあった。

「いや。そんなの嫌よ。どうして母さんはいつも勝手なのよ!人間と恋したりその子供産んだり!そればかりじゃなくて世界からも記憶からも消えるですって?ひとのこともうちょっと考えてよ!どうしていつもそれをされた人がどう思うか考えないのよ!忘れたいなんて思ってない、温かな記憶が確かにあること、愛情を受けて育ったこと、全部無かったことになんてしないで!」

 涙と意外な言葉がぽろぽろ溢れた。私は母が嫌いなんじゃない。

きっと幼い日の私が言ってたの。

"こっちを向いて"

"分かってほしい"

"本当は一緒に居たい"

 私は母と同じ事を娘にきっとしていたのね。

普通出来るわけない、母親を忘れるなんて。それを出来るようにしてしまう魔法が嫌なだけ。


 ギシ、とスプリングが軋む。ベッドを降りた老いた母はゆっくり私に近付いて私を抱きしめた。

 母は何も言わず子供の頃のように私の背中を右手でトン、トン、と一定のリズムで優しく叩いた。

その度に絡まった糸が解けていくような気がした。母が魔女だから?違う、どんな母親もきっと子供にとっては魔法使いなんだ。私がずっと気付かなかっただけ。そうでしょ、母さん__。


 ◇


2時間ほど経っただろうか

「おばあちゃん達長いですね」「だな。積もる話でもあるんじゃないか?」お母さんは祖母を嫌ってるようなのに、積もる話なんてあるわけない。魔女もそれは分かってるはずだ。

「先生適当ですね」「関係ないからな」それもそうか。

 沈黙。こんな時いつも何を話していたっけ。

「お前どうするんだ?訓練を受けて時の魔女になるのか?」

 さっきからずっとその事は考えていた。でも想像つかないというのが本音。

「どうでしょう。まさかこの歳でそんな責任重大な将来を決めるなんて思ってなかったし」「だよなぁ。普通はそんなもんだ」「先生だって最初から薬を作りたかったんじゃないんでしょう?」「まあ、な」

 あ、話題間違えた。そうだ、魔女はまだ先生に会いたいんだった。でも捜したくないと。

 魔女も私も言わないけど私が時の魔女を目指すと言えばずっと一緒に居られることは分かってる。でもその為に訓練を受けるものでもないと思う。私だって分かってる。今日家族と話せたように、いつか学校に行ってクラスメイトと話す日常に戻らなきゃいけない。

 なんとなく重苦しい空気が漂う。突然病室のドアがガラと開いた。

「ベリル、魔女さん……えっと、話が終わりましたので、回診の時間まで居なさいと母が言うので病室にどうぞ」

お母さんの目は赤かった。泣いたような跡もあった。

 そうですか、と魔女は病室に入る。私も続く。

私はお母さんに何も言わなかった。祖母の顔もどことなくさっきより明るかったから。

 私と魔女と祖母は他愛ない話をした。病院食が美味しくないとか、魔女がだらしない事とか。最後に祖母は私の髪をするすると撫でながら話した。

「このバレッタはお守りだからね、自分で歩けるようになるまで取るんじゃないよ。大人になっても何か困ればその時おばあちゃんは居ないけど、このバレッタを付けてごらん。きっと大丈夫」

真意は分からない。でも私はその言葉をそのまま受け取った。

「ありがとう、おばあちゃん」祖母は満足そうに笑った。


__ピンポンパンポン、204号室の皆さん回診の時間です

「あらぁ、もうそんな時間なのね。ほら、貴方達も帰り支度なさい」

 私達は買った飲み物なんかを慌てて仕舞い、帰り支度をしていると他の足音が入ってきた。


「ご加減いかがですか」

 綺麗な茶髪に、空と海のグラデーションのような藍色の瞳。穏やかそうな青年、と思ったけど白衣着てるから主治医の先生なのかな?

「院長先生、今日は概ね良いほうよ」

祖母は慣れた様子で返事をする。入院生活も長いみたい。

 その時、魔女がポシェットを掴んだまま動かなくなってしまった。

「せん、せ……」「どうして……」

院長先生と呼ばれた人と、魔女の視線が交差する。

まるで時間が止まったみたいに2人は動かない。

いや、動けないんだろう。

耐えられなくなったのか、魔女は私の手を引いて、病室から駆け出した。私は何も言葉に出来ないままついて走るしかなかった。


 その頃、病室。


 祖母は悪戯に、にやと嫌な笑い方をしながら揶揄うように言う。

「院長先生ご加減いかが?」後ろの看護師達がくすくす笑う。

「勘弁してくださいよシプレさん。知っててやったんですか?」

「いいえ、なんにも?歳とると物忘れがひどくて困るって本当ねえ」


 三叉路を抜け、中央広場。ようやく魔女は立ち止まった。夕暮れの中央広場は正直近寄りたくない。ガラの悪い人達の溜まり場になってしまうからだ。

「先生、早く帰りましょ」促しても魔女はぼうっとして動かない。

「センセイハヤクカエリマショーだって」

私の真似をしてげらげら下品に笑う人達。中には私のクラスメイトも居た。

 ああ、嫌だ。このおもちゃにされているような感じ。

「俺こいつ知ってる!学校最近来てない奴っすよ!名前なんだっけ、エプロン?とかそんな感じ!」

 絡まれてしまった。変に何も言葉を返さない方がいい。早くこの時間が過ぎてほしい。

 その男子は続ける。

「なんで最近来ないの?つまんねえから来いよ!ていうかなんで魔女と一緒に居るの?やば」

「そいつ見たことあるー!収穫祭の時の魔女じゃない?」

 わらわらとガラの悪い似たような人達が集まって私達を見世物に仕立て上げる。やめなよ、等の声も上がるがその声はどうしても品のない笑い声に消されていく。どうしよう。

その時やっとパタパタとした足音と共に両親が追いついた。

「うちの子に何するの!全員通報したっていいのよ!学校にも連絡しようか!?」

 そう啖呵切ったのは母だった。その母の左手は私の肩に置かれていて、抱き寄せられる形になっていた。

 なんだか急に安心してしまって、私は少し泣きそうだった。逃げた下品な人達なんかどうでもよかった。

 私は、あの家に居場所があるんだ。両親に守ってもらえるんだ。大人になるまでそれでいいんだ。時計が進む音がした。


「あ、あの……」

 気まずそうに声を掛けてきたのは残った数人の女の子達。セレストもその中に居た。

「ごめん!」

 大きな声と潔さに驚いて何も反応出来ずにいるとそのままセレストを筆頭に女の子達は話した。

「あんな事絶対良くないと思ったし、止めたかった。でも目の前で見てる分……私達も同じ事されるのかもって思うと怖くて。何も出来なくて、味方になれなくてごめんなさい」

これがもし、立場が逆だったら私も同じ事がきっと頭に過ぎる。守ってもらえない事を嘆いた事はあったけど、庇ってくれた人達を責めたいと思った事は一度も無かった。

「ううん。もういいの。寧ろ私も無いものばかりを見て、有るものに、近くに居てくれる人達に気が付かなくてごめんなさい」

 ずっと向き合わなかったせいで、見つけられなかったもの。

 今日、見つけられた気がする。魔女との生活に居場所を見つけた時とは違う、私自身の生活、私自身の友達や家族。私が向き合うものはきっとここに、そして私自身の中にあるんだろう。

 時の魔女には私はきっとならないけど、学校に行って家に帰ろう。出来るだけ毎日。繰り返しながらどんな大人になるか見つけていけばいいよね。

「学校にも、これからはゆっくり行くようにする。その時は話してくれる?」

 セレスト達はにっこり笑って明るい声でもちろん!と返してくれた。


 この笑顔に会いに行こう。まずはそれから。

今日が無駄にならないように、また一歩踏み出そう。

 

 

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