第7話 金貨1袋、果物籠いっぱい
先生の白衣が繕い終わった昼下がり、その依頼人は戸を叩いた。
白いよれたTシャツにネイビーのクロップドパンツ、赤っぽい短髪、日に焼けた肌、どこかでよく見るような、よくいる人、という印象しかなかった。
来月の収穫祭で港から花火をあげるので、閃光薬をいくつか作ってほしい、収穫祭の準備はかなりの肉体労働になるからブースト剤も作ってほしい、が彼の依頼だった。
対価にカゴいっぱいのフルーツと、5万リルを置いて行った。週明け受け取りに来るそうだ。
魔女はお金にこそ興味は無いが、薬をたくさん作れる事とカゴいっぱいのフルーツが嬉しいようで浮かれていた。
林檎に梨、オレンジ、パイン、さくらんぼと盛り沢山で魔女が浮かれるのも当然だった。
そういえば家でも母がランタンを掘り始めていたっけ。
「もう収穫祭の準備が始まるんですね」
珍しく鼻唄を歌い、大釜をかき混ぜる魔女はまったく聞こえていないようだった。
「先生、レモネードのおかわりは?」「くれ」
聞こえているんだ。そんなのばっかり返事して、どちらが大人でどちらが子供なのやら。
じゃあ、魔女が反応しそうな話題を振ってみよう。
「今作ってるのは閃光薬ですか?」
「そうだ、時々弾けるからあまり覗き込むなよ」
いい感触。突っ込んで質問してみよう。
「何から作られているんですか?」
「興味あるか?魔力が要るから作れはしないと思うが、聞くか?」
一見失礼にも聞こえるが魔女なりの配慮だろう。
「教えてください」
私のその一言に、魔女はこれまで見た事ないようないい笑顔をした。
「これはな、星を映した海水、マグマの種、向日葵、青い紫陽花、白いマーガレット、赤いダリア、全部1束ずつと、小粒の真珠を20グラム、それから私の魔力を注ぎながらゆっくり混ぜていく。これで小瓶10個分になる」
初めてちゃんと説明を聞いたかもしれない。
本当に魔法って不思議だ。お菓子の家を建てた黒魔女も居たし、閃光薬を花や特別な海水から作ったりもする。
良くも悪くも色んな風に使える力なんだ。
「次にブースト剤を作るが、一旦休憩しようか」
魔女は大釜の火を消した。
魔女はグラスのレモネードを飲み干し、3人掛けのソファにだらりとくつろぎ始める。
「先生、来客用のソファでだらだらするのやめてくだい。突然依頼でも来たらどうするんですか?」
魔女はごろごろとしながら答える。
「来ない来ない。どうせみんな収穫祭の準備でそれどころじゃないさ」
そうかもしれないけど。
ビッビー
インターホンが鳴る。迎えずともドアは開いた。
「おう、生きてるか?お茶くれー」
陽気に入って来たのは
「まずは荷物を寄越せ」はいはい、と半ば不貞腐れながらお兄さんは外へ荷物を取りに行く。
お兄さんが置いた荷物はダンボール6箱だった。
「今回も生活用品と、そういや珍しい物も入ってたな。合ってるか?」「うるさい」「なんでだよ!ていうかお茶は?あちこち収穫祭の準備で届ける物多くて俺疲れたんだよ〜」
疲れたと言いながら駄々をこねる様子を見て魔女は諦めたのか、キッチンへ向かった。
アイスティーを淹れながら魔女は背中越しにお兄さんへ声をかけた。
「この後の配達はあるか?」
「え?まぁ、2軒ぐらいだな」「そうか、ちょうどいいな」
魔女は背中を向けたままだったけど、ニヤ、と笑ったのを私もお兄さんもきっと感じていた。
お兄さんの前にアイスティーが置かれる。
レモンを入れてもミルクを入れてもこうはならないだろう、というなんとも形容しがたい茶色になっていた。
「ちょっと色は悪いが……まぁ気にすんな」
魔女は明るく笑った。
「気にすんなと笑顔でどうにかなる色してねーよこれ!」
魔女は誰もいない方を向いてチッと舌打ちをした。
「何入れたんだよ飲むの怖っ!」当たり前の反応だ。
お兄さんがおそるおそるそれを飲むと……
「なにこれ、変に甘酸っぱい。紅茶が渋く感じる」
私はお兄さんに水を渡した。
「うーん、味に改良の余地ありか」
「結局これなんだったんだよ」
魔女は何かブツブツ言っていて、お兄さんの話なんて聞いちゃいなかった。
ちょっと飲んでみようかなと手を伸ばしたその時だった。
パチンッ
静電気だろうか?グラスに手を弾かれたようなちょっとした痛みが走った。
「お前は飲むな」大釜から顔を上げ魔女がこちらを睨む。
「これは昨日作ったブースト剤の試作だよ。18歳未満は飲んじゃいけない
納得した様子のお兄さんが私の頭を撫でる。
「そういうことだからさ、これはまたいつか」
お兄さんは私から離れ、グラスをシンクに置いた。
「それにしてもひどい味だったぞ、どっちにしろ飲まなくて良かったんだよ」
ムッとした顔の魔女が空中を親指を支えにした中指でピンと弾く。
瞬間、お兄さんが転んだ。あの、鍛えられた体つきに体幹がしっかりしてそうなお兄さんが。
私もお兄さんも魔女の方を振り返った。
「おい!言いたいことがあるなら口で言え!痛いなほんと!」
「お前に言われたくない」
なんだか空気がピリピリし始めた。どうしよう。
お互いに心当たりがあるのか、魔女は大釜を見つめるけどその手は動いていない。
お兄さんは魔女をじっと睨んだかと思えば何も言わずふっと出てしまった。
気付いた頃にはバイクのエンジンがかかった音がしていた。
バイクの音が遠ざかる。
「先生、いいんですか?」
「構わない。あいつはいつも私に肝心な事を言わない」
肝心な事?
魔女は溜息をついた後、私に声をかけた。
「飲ませることは出来ないが、作るところを見るか?」
魔女なりに空気を変えたかったのだろう。私は教えてくださいとさっきのように魔女の隣に立った。
「シナモンスティック2本、朝摘みのラズベリー、クランベリーを1掴み、ピクシーの粉1匙、紅茶を淹れた時の蒸気と、ピュアチョコレートひとかけ、乾燥させた砕いたナッツ、これらを乙女の涙6リットルの中に溶かしていく」
大釜の中の色はみるみる変わっていく。
ピンクから黄色、黄色からオレンジ、オレンジから紫、紫から青、またピンクに少しずつ戻っていく……。
「本当に魔法って綺麗ですね」
魔女はいつかのように窓の向こうを見て話し出す。
「そうだといいよな。その為には正しく使うんだよ。例えば、雨が降ると大人は嫌そうな顔をする。面倒だもんな、傘をさしたり視界が悪かったりして。対して子供は冒険に出るかのようにワクワクし始める。大人でも畑を耕す者は感謝する。雨が上がったら虹がかかって笑顔になる奴も居れば虹に気付きさえしない奴も居る。雨上がりの道はレンガでも土でも歩きやすくなる。嫌な事の象徴になりやすい雨も良い面がある。それは私達魔女、魔法使いも、魔法そのものも同じなんだよ。今作ってる薬も含めて。すべては使いようさ」
魔女が人差し指を軽く動かすと大釜はポンッと音を立て、出来上がりを合図した。
「あとはこれを小瓶に詰める。やってみるか?」
溢したらと思うと怖くて、断ってしまった。もったいなかったかな。
「小心者だなあ」
魔女は呆れながらすいすい作業を進めてく。
ひし形のダイヤのような小瓶は宙を舞い、次々に注がれていく。
魔女が指1本軽く振るだけで10個の小瓶は煌めく黄色で満たされた。
「おい、タグの箱はどこだった?子供には飲ませられないからこれにはタグを付けないといけないんだが」
「すぐ散らかすのに片付けないからですよ。どんな箱ですか?」
「平たくて白い蓋の……なんかいいサイズの箱」
なんかいいサイズとはおそらく便箋と同じくらいだろう。
白い蓋の平たい箱なんていくらでもあるんだけど、なんとなく私はピンと来た。
私が初めてここに来た時、棚の上にあった箱かもしれない。あの後片付けた時に確か左の棚の下段に移したはず。
がたつく引き出しをがらっと開け、上の小箱をどかすと白い蓋の平たい箱が出て来た。
開けてみると穴のあいた台形のクラフト紙と黒い短い紐が何本か入っていた。これだ。
「でかした!」私の右から魔女が抱きつく。
魔女はそのまま私の頭をぐしゃぐしゃにするまで撫でた。
その後魔女は机について、タグに18歳未満厳禁としたため、小瓶に結びつけた。
結ぶ手を進めながら魔女は語る。
「このブースト剤は18歳未満には飲ませてはいけないと決められた。だが大人も1人1日1瓶と決まってる。こっちの
私は黙って魔女の話を聞いた。魔女は続けた。
「使わず腐らせようが、正しく使おうが、嫌な使い方をしようが、結局はそいつの意思次第。お前も、中毒になるような薬の使い方はするなよ、毒になろうと私は責任を負わないからな……気をつけろよ?」
魔女は時々、まともな話をする。
グラスのレモネードは無く、氷も溶けていた。
私はおかわりを取りにキッチンに立った。
グラスを持って来たら木箱と小瓶をテーブルの上に並べた魔女が私を手招いている。
依頼人が持って行きやすいように薬を木箱に詰める作業を手伝った。
他愛もない話で魔女と笑える事が出来て、私も思いもしなかったんだ。
この平和な時間が嵐の前の静けさだなんて。
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