第6話 ピンクのチューリップ4本
「ごめんくださ〜い」
強い雨音に消されそうな弱々しい声と共にその男は入って来た。
「遅かったじゃないか」
しかめっ面の魔女は背を向けたまま答える。
外は大雨、魔女の家も荒れそうです。
「ぼ、僕ですか?何かしましたか?」
慌てる猟師に魔女は正面から怒鳴った。
「お前がうかうかしてる間にうちの助手は狼に喰われてたかもしれないんだよ!狼が現れたのに猟師が居ないとは何事だ!役割を放棄するな!」
魔女がこんなに怒るなんて初めてだけど、私を魔女なりに大事に思ってくれているのがその怒号で伝わって、驚きつつもなんだか胸がじんとした。
魔女の気迫に負けた猟師はただ平謝りだった。
「助手様には申し訳ない事をしました。ですがちゃんと訳があるんです。聞いてくださいませんか」
そして猟師は語り出す。
2週間ほど前螺旋の森に迷い込んだ猟師は途方に暮れていた。するとどこからかか細い少女の声がする。
辺りを見渡しても森に居るのは自分だけ。ジニアの花影から光。自分の指先ほどしかない少女。
「立派な羽があるじゃないか」猟師の言葉にピクシーは気まずそうに話す。
「普段はもちろん飛べますが今は魔力が足りなくて……」
猟師は自分の両手をそっと差し出し、
「ほら乗って、花の上に座れたらいいんだよね」と優しく言った。
助けてもらったピクシーは彼に何かお礼がしたいと言ったけど猟師は何も要らないと断る。
しょげるピクシーを見た猟師は心が痛み、じゃあ出られるまで迷子同士話をしようと提案した。それからピクシーと猟師は仲良くなり、森を抜けてはまたやって来て、数日それを繰り返し、惹かれあっていったという。
問題はそれぞれ違うストーリーの登場人物なばかりか、ピクシーは『おやゆび姫』のおやゆび姫だった。
ピクシーの中で王女であり、主人公を無理に動かせない。
ピクシーが人間界で生きることは難しいし、人間が妖精界で受け容れられることもまた難しかった。
「とはいえ、あなたには本当に申し訳ないことをしました。」
猟師は私に頭を下げた。
怖かったのは確かだが、これ以上責める気にはならなかった。こんなに真剣におやゆび姫との恋に向き合ってるのだ。狼が新しいストーリーを選んだように、猟師にもその出会いがあっただけだ。
「頭を上げてください。もういいんです」
魔女はなにか気に入らないようで、グラスを何度も傾けて氷の音を鳴らしていた。
「それで私を頼ったってことか」そうなります、と猟師はその大きな図体を小さくする。
「なかなか骨が折れる話だ。相手が相手だからな」
「先生どういうことですか?」
「考えてみろ。人間と
もし人間と会ってる事が同じ妖精にバレたら妖精からは危険だと止められるだろうし、人間にバレたら捕まえられて闇市行きかもしれないんだぞ、簡単なわけ無いだろう」
思ったより前途多難の恋のようだ。壁は多い。
全ての壁を乗り越えるにはどうしたらいい?
「猟師、お前にこれらを全て乗り越える気はあるのか?」
猟師はさっきまでのおどおどした態度では無く、しっかり魔女の目を見て言い切った。
「はい、迷いはありません」
魔女は頬杖をついて、猟師に問う
「彼女に迷いがあるかもしれなくてもか?」
猟師は即答する。
「彼女からしたら当然です、でも想いは同じだと信じてます」
はあ、と魔女は大きな溜め息をひとつついて
「わかったよ、受ければいいんだろ。お前が許したのに私が怒ってても仕方ない。問題はどんな薬を作ればいいかだ」
魔女の言う通りで、どんな薬があれば解決に繋がるのだろう?
私たちは再び話し合った。
全員が頭を悩ませ黙った頃、口を開いたのは魔女だった。
「なんにしても相手の意思次第だ。種族の壁も立場の壁も全てな。幸い相手は喋れるんだ」
「いつも会ってる森に行けば会えますか?」私も魔女に続く。
「そうですね、明日も行くつもりです」猟師は答える。
そこに魔女は畳み掛け「私達も同行する。問題無いな?」
見事に承諾させた。
「分かりました。彼女には僕から話します」「当たり前だ」魔女の強気な態度に猟師は苦笑した。
__翌日
私達を見て驚き、花の影に隠れてしまったおやゆび姫を両手に乗せて猟師は説明する。
「だから、今の君の素直な気持ちを聞かせてほしい」
この一言が効いたのかおやゆび姫は私たちに向かって来た。
おやゆび姫は花びらのドレスの裾をつまみペコリと小さな体でお辞儀をした。
「先程は失礼しました。私はおやゆび姫といいます」
魔女も両手を器にしておやゆび姫を迎える。
「この男の事、どう思う?これからどうしたい?」
おやゆび姫は全身真っ赤にして照れている。
「随分直球ですね……。私は王女でありながら、主人公でありながら、それでも彼が好きです。この気持ちは消せません」
おやゆび姫は続ける。
「それでも私たちの恋が難しいことは理解してます。まず、王や女王、妖精界が人間を受け容れるとは考えにくいですから」
「じゃあ、どうするんですか?」
切なさに耐えられず、つい口を挟んでしまった。
返事をしたのは低い声だった。
「そこは僕が頑張るところだから、心配しないで。頼りないかもしれないけど、僕に頑張らせてほしい」
今日の猟師はなんだかかっこいい。そこに水を差す魔女。
「確かに頼りないな。そこは私が薬で支援するさ。それにしてもお姫様がなんでこんなところに居たんだ?」
おやゆび姫は羽を垂れさせてぽつぽつ話し始めた。
「お父様もお母様も誰も私の話を聞いてくれない。期待されてるのは嬉しいです。反面息苦しさもあって。せめて誰か私の話を聞いて分かってくれる人が居たらいいのにと半ば自暴自棄になって抜け出しました。そんな時に出会ったんです。初めはしまったと思いました。魔力切れの状態で人間に会ってしまったから、悪い人なら捕まるし良い人ならお友達くらいにはなれるかもと私は賭けに出たのです」
とんでもない行動をするほど、追い詰められていたんだな。
「じゃあその賭けは大勝利ですね」
せめて、彼女にとって良い出会いであってほしいとお節介をしてみる。
「ええ、本当に。素敵な恋に出会えたわ」
おやゆび姫はその体は小さいながら王女らしく気品を感じる微笑みを返した。
そして魔女のもとへまた飛んで行く。
「あなたは、お強いですね。あなたが居れば扉は開くかもしれない」
「そうだな、そろそろ私は帰るよ。作る薬が決まったからね」
会話の意味は分からないまま、私は魔女と共に帰ることにした。
「さっきのどういうことですか?」
「どれのことだ」「扉が開くって」
ああ、と魔女は大釜を混ぜる手を止めない。
「その薬も何の薬ですか?」なにか少しでも知りたい。
「明日話すよ」はぐらかされ、いつの間にか帰る時間になっていた。
__そして、今日。
螺旋の森に4人は集まった。
「妖精界は結界に守られた場所です。普段人間は、いえ、妖精以外は滅多に立ち入りません。私と、強い魔力をお持ちの魔女さんから離れないでください」
おやゆび姫は飛んで行く。蝶より風より軽やかに速く。
私達は必死で着いていく。
辿り着いたのは螺旋の森から少し外れた先。
大樹がトンネルのように根を張っている。
大樹の根と根の間から見えたのはパレットみたいな色彩と、星屑より細かい光が満ちる神秘的な世界。
ここが、妖精界。
飛び交うピクシー達。
「ダレ?」「ダレ?」「オキャクサン?」
「ダレ?」「ダレ?」「アヤシイヒト?」
戸惑うピクシーたちの言葉は魔女に事前に渡されていた薬によって猟師にも私にもしっかり届いていた。
「静かにしないか、何事だ」後ろから出てきたのは他のピクシーよりひとまわり大きい、マントをつけ右手に杖を持つ男のピクシーだった。
「まぁ、どうかしたのかしら」
同じサイズの、同じマントをつけ左手に宝珠を持った女のピクシーも出て来た。
「お父様、お母様」
つまり、妖精界の王と女王。
真っ先に口を開いたのは魔女だった。
「やあ、ピクシーの統治者。お邪魔するよ。話がある」
王様はずいっとこちらへ出て来て魔女をじろじろと見た。
「お前は……魔女か。なかなか強そうだがなんの用だ」
「私じゃない。こいつから聞いてくれ」
魔女は親指で隣の猟師を指した。
「人間風情がなんの用だ!」
王様は険しい顔で怒鳴る。想定していたが、やはり歓迎はされていないようだ。
魔女は猟師に何か耳打ちをする。猟師は首を左右に振って、王様に向かって言った。
「僕は、お嬢さんが好きです。どうかこの想いを認めてください!」
その姿は堂々としていて、王様は面食らっていた。
「おやゆび姫、どういうことなの」女王様がおやゆび姫に寄り添う。
「……そのままの意味、です。でも私はここを捨てたりしない!だから話を聞いてください!」
おやゆび姫は涙を堪えながら声を張った。
「誰がそんな戯れ言聞くものか!時間の無駄だ。姫、お前の話はいつもくだらない。聞く価値は無い。帰ってもらいなさい」
「お父様、どうして!どうしていつも聞いてくれないのですか」
おやゆび姫は今にも泣きそうに訴える。
もう駄目かと思ったその会話を断ち切ったのは猟師だった。
「帰りません。聞いて貰えるまで僕はここを動きません!」
「猟師さん……」
猟師はそれだけ真剣なのだとこれだけでも伝わりそうだった。
しかし、そう上手くはいかない。
「猟師だと?そんな物騒な奴受け入れてたまるか!その背中の猟銃で誰も狙わないと保証できるわけでもあるまい!早く帰れ!」
押し問答を繰り返す。
見てられなくなったのか魔女が口を挟む。
「まったく聞いてられないね。王様あんたいつもそうやって娘の話も聞かず民の声も聞いてないのか?この場所はただ閉鎖的にしていれば安泰になるようなもんなのか?」
「違う!」王様はまた怒鳴る。
「違うなら聞くだけ聞いてもいいじゃないか。そうだろう?寛大な妖精王陛下」
王様はぐうの音も出ないようで少し躊躇った後苦い表情で言った。
「聞くだけだからな」
王様ピクシーは玉座なのか小さな水玉キノコの上にふんぞり返った。
猟師はゆっくり話し出した。
「陛下はご存知でしたか?おやゆび姫が理解者が居なくて窮屈な思いをしていた事。もっとあなたに話を聞いてほしかった事。その窮屈さから妖精界から少しの間、度々離れて過ごした事。そんな折に僕たちは出会いました。
僕たちはいつも他愛ない話をします。ころころ変わる表情、共に変わる光の色。考える時に左手で顔を触る癖。時々する寂しげな顔。全てが愛おしいし、僕なら寂しげな顔はさせたくないのでさせません。
僕は確かに人間で、猟師で、他のストーリーを生きる者ですが、
猟師は背中から猟銃を取り、話を続けた。
「猟師であることが問題なら、今辞める事も厭いません。魔女様、遅くなりましたが今回の対価です」
そのまま猟銃を魔女に献上した。
彼のその姿を見て全員が圧倒されていた。
次に口を開いたのはおやゆび姫だった。
「もう、いいでしょう?私だって彼が居てくれたらきっとどんな困難にも向かっていける。だってここまでしてくれる人なのよ。彼さえ理解してくれれば強く優しい女王になって誰もが過ごしやすい妖精界にすることだってきっと出来る!」
おやゆび姫が、自分が統治した時のことまで考えているなんて王様も女王様も知らなかったのだろう。
女王様は王様に声をかけた。
「もういいんじゃない?いつまでも昔のままじゃないんだわ。この子も私達も」
「……そうだな」
王様も女王様も涙ぐんでいたけどとても優しい眼差しだった。
女王様は王様に寄り添ったまま、おやゆび姫に向かって話す。
「あなたのお父様はね、昔から器用ではなくて、努力の人で、かっこつけたがりで。どうしてもいつも言葉が足りないの。あなたをずっと守るべき子供と思っていた。それは私もね。だからあなたの話をつっぱねたり、そっけなかったりもした。でもあなたが守るべき子供のままならずっと一緒に居られるなんて、幻想もあったのきっと。かえってあなたには窮屈な思いをさせてごめんなさい。もうすっかり大人だったのね」
私はおやゆび姫と同じで子供の立場だから、まだ分からないけどやっぱりずっと一緒に居たくなるのだろうか。
成長を受け入れる事が寂しくなるほどに。
でも子供だって、いつかは
「そうよ、私はもう守られてばかりの蕾のお姫様ではないの。次代は私と彼でハッピーエンドを目指して紡ぐの。そうじゃなきゃ困るでしょう?」
王様、女王様、おやゆび姫はその小さな体を寄せ合った。
おやゆび姫が猟師を手招く。
猟師はその両手を広げ差し出した。
「我々妖精界は君を歓迎しよう。すぐに君達の代に譲りはしないがな!」
たくさんのピクシーが宙を舞い、花びらと光が降ってそれはまるで夢のよう。
猟師は後ろ手に持っていた物をおやゆび姫に手渡した。
「受け取ってくれるかな」
差し出されたのは綺麗に咲いた柔らかいピンクのチューリップが4本。
おやゆび姫は涙をぽろぽろ溢し、何も言えなくなっていた。
かわりに、猟師の額にキスをした。
「キス?」「キス?」「キスヲシタ!」
「ナンデ?」「ナンデ?」「ダイスキ!」
魔女が私の裾を軽く引っ張る。
おやゆび姫との別れは確かに名残惜しいけどあんなに幸せそうなのだ、心配はいらないだろう。
私と魔女はそのまま妖精界をあとにした。
螺旋の森に戻って少し進むと後ろから声がした。
「待ってふたりとも!」
おやゆび姫がお供の精を連れて追ってきていた。
「おやゆび姫どうして!?」
全速力だったのか、肩で息をしてもっと後ろを指さした。
「あれを、持って行って。お礼の品になるか分からないけど」
お供の精が大きな葉っぱに乗せて運んでいたのは大量のピクシーの粉。
「これだけあれば色んな薬が作れる。ありがたく受け取るよ」
ピクシーの粉を私達は両手に包んでゆっくりゆっくり螺旋の森を抜けて魔女の家へ大事に運んだ。
「あんな世界が見られるんですね」
「妖精だからな。いやー、どの薬から作ろうか実に悩ましい」
魔女はニヤニヤと楽しそうだ。
「そういえば先生知ってますか?ピンクのチューリップ4本の花言葉」
「知ってるさ」
"誠実な愛"
"あなたを一生愛し続けます"
The story will have a happy ending……
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