第4話 アルバムひとつ
「先生、おはようございます」
いつもならこの時間魔女は別室で寝ているのだけど
今朝は珍しく起きて、大釜の前に立っていた。
集中しているのか私の声は聞こえていない様子だった。
部屋中が花や石鹸のいい香りで満ちていた。
ダンボールに石鹸はまだたくさん残っていたし、香油の瓶も机の上に並んでいる。どうやら以前使い切った液体石鹸を補充しているようだ。
「いい香りですね」魔女ははた、と手を止め
「お、おはよう」私に初めて気付いた魔女は少し慌てながらも返事をしてくれた。
「前に使い切った液体石鹸ですよね。先生お好きなんですか?」魔女は一瞬固まって「あぁ…うん」とはっきりしない。
いつもはなんでも淡々と話し、きっぱりすっぱりした物言いで、リアクションは薄め。
好きなことになると左の口角が上がって瞳の奥が爛々としてくる。楽しいと大きく快活に笑う。
夏の初めから今日まで一緒に過ごしてるのだからそれぐらいは知っている。そんな人がどうしたのだろう。誰が見ても分かる大きな動揺。こんなこと初めてだ。
「先生、大丈夫ですか?」「……」「先生?」
魔女は突然ふらふらと本棚に向かう。
奥の奥に仕舞っていた赤い革の表紙の1冊を取り出した。
かなり分厚い。表題には金色の刺繍で"Life"と入ってる。これは…?
「…違うんだ」魔女は呟く。
「先生は私じゃない」
私は魔女を先生と呼ぶけど、どういうこと?
「私は先生じゃない。私じゃないんだ。先生は!先生…」
そう言うなり魔女は俯いてしまった。
今度はウバのアイスティーを淹れ始める。
初めて見るブルーとイエローのマーブル柄のペアグラス。あったの知らなかったな。
氷がカラカラと音を立てアイスティーが入ったことを告げる。魔女は再び私の隣に座って本を捲り、口を開いた。
「…拙い話だけど聞いてくれるか。私と先生の話を。」
Once upon a time……
100年くらい、いやもっと、気が遠くなるくらい昔。
魔法使いの世界の中心、魔法樹から5人程の魔法使いが誕生した。魔法使いは産まれてすぐ魔法が使えるわけではない。誰かに習って使い始める。これが意外と知られていない。
産まれたての魔法使いは雛と同じで、目についた大人の魔法使いを追い、自分で師を決め、精神的に自立するまでついていく。
ひとりの青年がちょうど魔法樹のそばを通った。
魔法ではなく歩みが止められる。足元を振り返ると2人の赤子がそれぞれズボンの裾を掴んでいた。青年は師に選ばれた。
先生は当然子育ての経験も、自分がどう育ったかの記憶もほとんど無かったが、クロムオレンジの髪にシアンの瞳で魔力量こそ同期の中でいちばん少なかったが愛想が良く爽やかな印象を与えるマイースという少年と、
対照的にスノーホワイトの髪にアンバーの瞳で同期の中で飛び抜けて魔力量が多いが無愛想で無骨な物言いで誤解されやすいアンブルという少女を魔法使いとして育てていた。人間で考えて10歳頃のことだった。
わああんと少年の泣き声がする。駆けつけると我が物顔で少年のホウキに跨る少女が居た。
こんなのは日常茶飯事で、少女は悪気は無いのだが知的好奇心が強いのか周りを見ずに突っ走って、人の物を勝手に使うことがしばしばあった。少年はその度に泣かされている。
「やれやれ、待ちなさいアンブル」
「?」少女は表情ひとつ変えず青年を見つめる。
「そのホウキは本当に君の物かな?」先生は諭し始める。「知らない、そこにあった」どうやら嘘ではなさそうで、本当に周りに興味が無いのだろう。少年もそれは分かっているのかまだ愚図りこそすれ、それ以上少女を責め立てなかった。
そんな日々を何年も過ごして2人が段々大人になってきた頃、一緒に人間界に住むことにした。田舎ではあるが広く、庭もある丘の上の家でその生活は始まった。
1人1部屋与えそれぞれの好きなものや得意なもの、望めば物はできるだけ渡るようにした。魔法の鍛錬も新しい魔法の習得も、人間と関わる時の心得も、料理や裁縫、生活のこともなんだって教えた。
人間界に来て一月経った頃、夜中に少年が話を聞いてほしいと声をかけてきた。
「どうかした?」「先生、俺すごいかっこ悪いんだけどさ……やっぱりアンブルといるのが辛い。毎日の鍛錬も、新しい魔法だって、やっぱりアンブルには敵わない。真剣にやればやるほど惨めなんだ」
先生が懸念していた壁が、もう目の前にあった。
2人は一緒に育ったが、同期の中で魔力量が1番多い魔法使いと1番少ない魔法使いな事は成長しても変わらなかった。それどころか差が広がる一方だった。少女の魔力量は一人前の魔法使いをゆうに越してしまうほど急成長を遂げていた。一方で少年は並の魔法使いに少し届かない、生まれつきからそれなりの成長だった。少年は魔法に関しては勤勉で、しっかり取り組んでる方だ。それでも気まぐれに勉強して、ホウキに初めて乗った時なんか無詠唱で乗りこなしてしまったアンブルにどうやっても敵わない。そのギャップに少年は悩んでいた。
「マイース、魔力が全てじゃないしアンブルが全てじゃない。君はアンブルよりすごいよ」
今にも泣きそうな顔で「先生も出任せ言うんだね」と流されかけた。
「本当のことだ。ここは少しばかり田舎だろ、周りと上手くやっていくことが街の中心部より大事になる。良くも悪くも噂が広まるのは早いからね。この辺での君の評判を知ってる?好青年ってさ!先生が頼りないからちょうどいいわねなんて隣のおばさんに言われたばっかりだよ」
少年が顔を上げる。先生は続ける。
「こればっかりは魔法に長けてるアンブルも、師である僕でさえ敵わない。下手したら魔法よりすごいことなんだよ。愛される力は君のとっておきの魔法かもしれないね」
「知らなかったよ、俺にそんな魔法が使えてたなんて。先生、ありがとう」2人は抱き合った。少年が先生の背を越えてこんなにしっかりした肩幅になったのはいつだったか、すっかり大きくなっていた。その晩2人はリビングで雑魚寝してしまっていた。
物陰に少女が佇んで聞いていた事を先生も少年も知ることは無かった。
その年の冬。少女が先生の私室を訪れた。
「どうかしたのかい」少女はずっと下を向いたまま何も言わない。とりあえずホットココアを2人分用意し、隣に座ることにした。僕が何か聞こうとしたその時、少女は話し始めた。
「先生はなんでも教えてくれるよね。私が新しい魔法を覚えたいとか初めて見た物の事とか。だから、教えてほしい。初めての気持ちがあるの」
「どんな気持ちだい?」もし今から少女が話す事が憎しみとかならまずい。闇魔法に手を出しかねないし、それが扱えてしまう技量が少女にはある。先生は心の中で構えた。
「先生を見てると鼓動が早くなるし、胸の辺りがきゅっとする。」
それは少女の告白だった。
予想とは全く違う方向から飛び出しただろう言葉に先生は驚きを隠せてなかった。それは先生がずっと向き合わないようにしてた想いと同じだったのだ。
「私の予想だけど、先生も私と同じだよね。違う?」
その上少女は敏い子だった。もう、認めるしかない。先生は最後の悪あがきをした。
「…違わないと思う。でも君の気持ちは年頃の子によくある勘違いというか、そういう一過性のものな場合だって」
「そんなんじゃない!」
少女が大声をあげるなんてなかなか無いことで、先生の動きは止まった。
その夜、新聞配達のアルバイトを始めた少年は留守で、2人が一人前の魔法使いとして認められて、この家を出たら一緒に暮らそうと約束だけして先生の部屋で一緒にただ眠りについた。子どもの頃ぶりだった。思えばその日はクリスマスというやつで、サンタクロースからの贈り物だったのかもしれない。
__数年後の春。
2人は魔法樹によって一人前の魔法使いと認められた。
マイースは人間界で暮らし、配達で生計を立てるともう決めていたので、魔動バイクをプレゼントされていた。
いつでも魔法界と人間界を行き来してもいいようにという先生の計らいだったんだと思う。
私は約束通り先生と暮らし始めた。先生はあまり気は進んでなかったようだけど私達も人間界に住居を構えた。
思い返せば恥ずかしいのだけど、この頃の私は先生に対して盲目的で、飼われた猫のようだった。初恋が叶って浮かれて歯止めが効いてなかったように思う。
人間界での2人暮らしには苦労した。
私は掃除や、自分の身なりを気にすることが苦手だった。先生は魔法薬の作り方を私に教えて、魔法のかかりにくい家具や部屋、体や髪に使う物も含めて、とにかく綺麗にするものを自分で作らせるようにした。
液体石鹸もこの時初めて習った。女の子だから、と先生が気をつかって花の香油をレシピに組み込んでくれていた。
「いいかい、アンブル」私に何かを教える時、先生は決まってそう話し始める。それはどんな呪文より私を捕まえて離さない魔法の言葉で、私はその口癖が好きだった。
先生も私も髪が長かったのでフウシャバナの送風機を作ってくれたりもした。
杖を使わずとも魔力の注入が当たり前に出来た私にとって液体石鹸をはじめ、魔法薬を作るのは楽しかった。
出来上がりを褒めて欲しくて先生に髪を洗ってもらったこともある。
洗い上がった私の髪を見て先生は
「まるで星の光を浴びたみたいな髪だね、絹のようにさらさらして、綺麗だ」
上手く作れたかどうかより私の白髪を褒めたので、私はなんにも言えなくなってただ耳まで赤くして黙りこくってしまった。
好きなことが出来たようで良かった、と先生も私を優しく見つめ言ってくれた。ぽん、と頭に手を置かれたあの時の熱をまだ覚えてる。
2人での暮らしは甘い時間も多かったが、すぐに風向きは変わってしまった。
どこぞの魔法使いがとちったのか、人間は魔法使いを嫌うようになっていた。私は人間にあまり関心はなく、というか先生と魔法以外に興味を持たなかった。
どちらも私に実感は無かったけど、急に縮まったその距離感も、急に遠のく人間もどちらも先生には心地が悪かったことだろう。
ドンドンドンドンドン!
今日はずっと天気が悪い。そのせいか胸騒ぎがする。
嵐のせいでドアに物でもぶつかったんだろうか。
ドンドンドンドンドン!ドンドンドンドンドン!
違う、誰かが戸を叩いてる。怖い。
私は恐怖で硬直してしまった。
「僕が出るよ」先生がドアノブに手をかけたその時だった。
「先生やめて!」私の叫びは虚しく人間たちが踏み荒らす音と怒声罵声、雷雨の音の渦に掻き消されてく。
__こいつだ!こいつを捕まえろ!魔法使いは全員牢屋にぶち込め!
奥にも女がいるぞ!魔女だ!捕まえろ!捕まえろ!__
あの時の罵声は今でも覚えてる。その後私達は人間の地下牢に捕らえられたが所詮は人間用で、結界もないので多くの捕まったであろう魔法使い達は一斉に逃げ出した。
この時、先生に言われた。
今一緒に逃げてもまた捕まるだけだ、君だけでも安全な場所に逃げなさい。と。
思えばあれは嘘だった。あの時先生は私からも逃げたんだ。そんなこと気付いてる。でも認めたくなくて言われたまま、今に至る。
「それから私はこの森に、ボロ小屋を見つけて魔法をかけて自分の家にした。
先生とはそれからずっと会ってないんだ。街を見渡しても似た人さえ居ない。」
魔女がそう言う頃にはグラスはじっとりと汗をかいて、底には溶けた氷の小さな水たまりが出来てた。
このペアグラスも魔女と"先生"が使っていた物なんだろう。
魔女はアルバムをぱたんと閉じてもそのまま手を離さなかった。その赤いアルバムはきっと魔女の恋心が燃える色。表題の"Life"も魔女が入れたんだとしたら、その思い出が魔女にとって生活だったし命そのものだったとも読み取れる。
魔女にそんなに愛した人が居たなんて。そんな事があったなんて。この夏一緒に過ごしていても何も知らなかった。私に出来ることは無いのかな。
「じゃあ、捜しましょうよその人!」
「いいんだ!」魔女は強く言い放った。
「いいんだ、そんなことしなくても。きっと先生にはまた会えるしきっと今頃……」
そのまま魔女は遠くを見つめ黙ってしまった。
どこを見てるの、どこにその人を探してるの、言いたかったけど言ってもどうせ魔女はそれを受け取らない。
ビーッ
壊れたインターホンが鳴る。
「よう!荷物はないんだけど寄り道しに来た!」
明るい口調で現れたのはお兄さんだった。
そうか、お兄さん!お兄さんなら何か知ってるかもしれない。ヒントがあれば魔女も捜すかもしれない!
「お兄さん!」「やあやあベリルちゃん熱烈な歓迎だね」
お兄さんの軽口に構わず私はひそめた声で早速訊く。
「今、先生の好きな人ってどこにいるんですか?何か知ってたら一緒に捜そうと思うんですけど」
お兄さんは顔を背けて「いいんだよ、捜さなくて」
魔女と同じようなことを言う。
お兄さんは念を押すように続ける。
「捜させなくていいんだよ。もしそれで君の先生が傷つくことがあったら君だって本意じゃないだろ?」
そう言われてもう何も返せなかった。
どうして会いたいはずなのに捜したくないんだろう。
その時の私は魔女の心の内を知る由もなかった。
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