第2話 石鹸1箱、青年ひとり
ああ足りない。洗剤も石鹸も何もかも無さすぎる!
言い逃げして帰った翌日、本当に掃除道具を持ってここを訪れた。
絶対乗るためのホウキを掃除用にしてるし、それ以外何もない!水場に石鹸1つもない!どうやって生活してんの?
「生きてんだからいいじゃん」としか住んでる本人は言わないし、洗剤持って来ててよかった。それでもこの小屋みたいな家を綺麗にするには足りなかった。
私が落胆していたその時だった。
「なんだあ!?大掃除にはまだ早いぞ?」
声のする方を振り返ると初夏の光を浴びてにかっと笑う青年が立っていた。逞しい体つきにクロムオレンジの短髪、くたくたのデニムのオーバーオールさえよく似合うその人は魔女の知り合いのようだった。
「ああ、またやかましいのが来た」魔女はげんなりしてるけど気にもとめずに
「俺が来る度にそれ言うよな、ちょっとひどくない?」と茶化していた。そして茶化す対象はすぐ私に移った。
「依頼主ちゃん?じゃないよな、なんでバケツやらモップやら…まさかこの魔女にいじめられっ痛っ!」
青年が後頭部を抑えて振り向いた先に大量の結晶が入った箱を持って回転椅子に悠々と座る魔女が居た。あれは青年が来る数十分前に
「本当に掃除しますからね!捨てられたくないものや触られたくないものはこの箱に詰めて避難させてくださいね!間違えて捨てられたくなければですけど。」と半ば脅して持たせた物だった。
魔女はあんまり喋る方ではないし、喋ってもずっと淡々としている。出会って2日目だからそんなもんかなと思っていたけど、誰に対しても同じなのかもしれない。
「希少価値の高い結晶をひとに投げるんじゃありません!」「お
テンポよく進む会話を聞いて思わず吹き出してからしまった!と気が付いた。
「お兄さん、ひとじゃないっていうのは…」
「俺、一応魔法使いだよ。君は何ちゃん?」「ナンパすんな」「してねーよ!」
魔女とお兄さんは息ぴったり。私が感心していると
「いいから荷物持って来い。お前が来るのは荷物があるからだろ」魔女が唐突に言い出した。
いっけねと慌ててお兄さんは外へ荷物を取りに行ったようだった。
「あいつはただの配達。まともに相手しなくていい」
なるほど…。配達業なら重い物を運ぶことも多いだろうしあんなに逞しいわけだ。色んなお客さんと顔を合わせるから魔女みたいな人の対応も慣れてるかもしれない。
どすん!とそこに大きなダンボールが5個程置かれた。
「はいよ、今回の荷物。支払いはいつも通りだな」
それを聞くと魔女は溜息をつき頭を掻きながら悩み始めた。
「今回はツケにして。見ての通り家がひっくり返ってるからお茶は出せない」お兄さんの方を向くと
「配送業って大変でさー、毎回お茶出してくれたらいいよってことにしてんの。数少ない食器の維持をしてんのは俺」とドヤ顔で語られた。
それにしても一体何を頼んだんだろう。
魔女が急に「開けたらいい」と言うので開けてみた。
1つは室内用洗剤の詰め合わせ、1つは石鹸まるまる1箱で、他にもちりとりや様々な掃除用具が出てきた。
「こんな大量に…。」私が言ったから用意してくれたんだ。
「素直じゃないのは魔法使いの性質なんだよ、許してやって。さて、俺も手伝うか!どこからやる?」
お兄さんは腕まくりをし、にこっと爽やかに笑ってみせた。
「キッチンをお願いします!私はお風呂をピッカピカにしてきますね」魔女に触らないで欲しい物を一通り聞いた後私は風呂場を磨きあげた。
そして私にはまだしたい事があった。
「先生こっち来てください!」
そこらの草むらでごろと寝転ぶ魔女を無理矢理引っ張って真っ白に光る浴室に連れて来た。
なにも私は掃除の洗剤だけを持って来たのではない。昨日見た時から気になっていたんだ。このだらしない白髪を、乾燥しきった肌を、綺麗にしたらどうなるのかって。
「先生失礼します!」勢いで白衣とワンピースを剥いてシャワーを滝のように思いきりよく浴びせた。
先生は最初暴れたけど、私が諦めないのでついにはされるがままになった。埃を落としただけで美人なのはすぐ分かったし、髪は2度洗っただけで手触りが良くなった。
魔女がダンボール1箱も石鹸を頼んでくれたおかげでもともとあった液体石鹸を使い切っても石鹸は足りた。
でも、市井でこんな液体石鹸は見た事ない。それに瓶がひし形のダイヤのようなそれだった。魔女が手作りしたのだろう。洗濯洗剤も、肌や顔を保湿する精油なんかも全て揃っていた。興味無さそうなのに魔女も女の子なんだな。着替えがワンピースしか無かったのはびっくりしたけどね。
そしてフウシャバナの送風機で髪を乾かし、結い上げたところ…。
「せ、先生…。綺麗…!」それ以外言葉が出なかった。
髪は星の光を浴びたようなスノーホワイト。長い前髪はアンバーの瞳がよく見えるように少し整えた。肌は日に焼けず、湯上りの血色でほのかに赤く、爪だって不潔さはまったく無かった。タレ目は実際は睫毛も長く、唇は珊瑚のように綺麗なピンク。困り果てて下がった眉は不満を訴えていたけど、あまりの美しさにそんなのお構いなしだった。
昨日とは打って変わって大人の女性、という印象を受けた。手入れしなかった日々がもったいない。もっとお洒落させたくてうずうずするけど、今の私にはまだやる事が残ってる。
キッチン掃除を終えたお兄さんにテーブルや大釜等大きな家財道具たちを運んでもらい、ホウキもモップもワックスもかけ、ボロ小屋に見えてた魔女の家はすっかりぴかぴかのお家になった。
その間魔女はまた木の上で昼寝をしたり、まるで猫のように自由気ままだったけど、達成感に満ちていた私はそんな事はどうでもよくなっていた。
「先生、掃除終わりましたよ。お茶にしませんか」
なんて呼べばいいか考えた割には、学校のノリでつい先生と呼んでしまった。
「先生か。いいね、気に入った。お前は私を持ち上げるのが上手いようだ」
魔女は上機嫌にお茶を淹れ始めた。
クセの少ないキャンディの茶葉にレモンスライスを浮かべて3つのティーカップは運ばれて来た。
白磁器のシュガーポットが添えられて本当のお茶会みたい。
あまり喋らない魔女なりに気を使ってくれたのだろう。
「レモンティーなんて気が利くじゃん」お兄さんはにこにこしている。好きなんだろうか。
「黙って飲め」私がきょとんとしているとお兄さんは話し始めた。
「レモンには疲れを取ってくれる作用があるんだよ。キャンディの茶葉はレモンティーには持って来いの相性だし。あいつなりの労いだよきっと」そうだったんだ。
「ありがとうございます」魔女は鼻をふんと鳴らして返事はしなかったけどいつもより照れているような気がした。
「マイース、黙って飲めと言ったはずだ。飲んだら早く帰れ」「冷たいなー。って何勝手に名前明かしてんだよ!もう言ったもんは仕方ないか…」
お兄さんのテンションはジェットコースターのように乱高下する。着地点はため息だったけど、2人は本当に仲がいいんだなと分かる優しい目をしていた。
「そろそろ俺帰るね。追い出される前に。またね助手ちゃん」助手に見えているんだ。つい口角が上がる。
ブン、とエンジンを鳴らすお兄さんに「あの!お兄さん!私ベリルです!」エンジンに負けないように大声を張り上げた。こんな大声もいつぶりかな。
「おっけ、ベリルちゃんまたねー!その魔女よろしくー!」お兄さんは右手を大きく振りながら魔女の家を後に魔法のバイクで飛んで行く。
「先生、私も帰りますね」リュックを背負ってドアノブに手をかけた時だった。
「明日は来るのか」魔女も名残惜しんでくれてると思い上がってもいいかな。
「はい!」「そうか、気を付けて帰れ」ひらっと左手を靡かせこちらは向かなかったけど魔女なりに気をかけてくれている。
帰宅したのは門限ギリギリだったけどお母さんの小言なんて気にならなくて、明日を楽しみに眠りについた。
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