第六章

第44話

「お迎えご苦労様です」


 成神家で預かっていた鯉たちの、引き渡しが終わった。今や池には自分たち家族のぶんの鯉しか泳いでいない。


 これでやっと前準備が終わる。


 明日は短冊山と川のお祓いをし、いよいよ明後日には短冊祭りだ。この約半月ほどの間、どれだけ目まぐるしい毎日だったか。思い出すだけで、疲れがどっと押し寄せてくる。


 それと同時に、友達と遊ぶことも許してくれた家族には感謝している。


 きっと、祭りのある最後の夏休みだからと考えてくれたに違いない。ただ、斎主としてやるべきことには手を抜かなかったし、親父はしっかり見守ってくれた。


 何年もずっと、それこそ生まれた時からずっと携わってきていた行事だったが、改めて一人でやってみるとわからないことも多少あった。


 中学に上がった時から、斎主をやってみることをすすめられていたのに、今まで断っていたことを悔しく思う。


 それでも、一度もやらずに終わるよりは良かった。


 一つ一つの瞬間を心に焼き付けるようにして想いを込めた。鯉を迎えにきた村人たちは、俺が斎主をすることを喜ぶ半面、護岸工事について俺が知ったことを理解し悲しそうでもあった。


 みんなそれぞれが、複雑な思いを胸の内に抱えている。


「ん? あの人、お兄ちゃんの友達かな?」


 家の中に入ろうとしていたところ、遥が俺の祭服を引っ張る。見ると、うす暗闇の中でこちらを見つめてくる人物がいた。


「……茅野?」


 遥には戻るように伝え、俺は脱ぎ掛けていた雪駄を履くと外に出た。


「やっぱり茅野だ」

「こんばんは。成神くん、忙しいよね?」

「いや、ちょうど手が空いたところだけど」

「あのね、お手伝いなにかできないかと思って」


 いきなりどうしたんだろうと思ったのだが、茅野はちょっとためらったあとに見上げてきた。


「私も村の一員になりたい」

「茅野はもうこの村の正式な住人だよ。鯉はどうにもできないけど」

「実感が欲しくて」


 それならば、ちょうど手伝ってもらいたいことがあった。


「よかったら、短冊づくりを手伝ってくれる?」


 一家総出で準備をしているのだが、今年は俺が初めてということもあり不手際が多く、準備が終わっていない。


「やらせてほしい!」

「ありがとう。上がって」


 茅野を家に招くと、リビングにいた両親と遥が固まった。紹介しようと俺が口を開くより早く、茅野が一歩前に進み出た。


「茅野亜子です。成神くんにはいつもお世話になっています」


 丁寧にお辞儀をする茅野の横で、俺は胸中で拍手を送っていた。


「手伝いにわざわざ来てくれたんだ。遥、そこどいて」


 遥は驚いて口が開きっぱなしになりながら、立ち上がって椅子を茅野に譲った。両親はさすがに茅野の正体に気付いたようだが、そこには触れてこなかった。


「短冊は短冊山に生えている笹の葉から作るんだ。自然に還るようにね」


 刈り取った笹の葉で舟を作るのが、この村での短冊の形だ。半分だけこちらで作っておき、半分は祭り当日にみんなが願いを込めながら折りあげて完成させる。


「竹の両端を折って、二ヶ所に切れ込みを入れて左右を交差させる。できそう?」

「やってみる」


 破けてしまうことも想定し、舟形の短冊は多めに作る。もうかなりの個数を作れているので、あと少しだ。


 茅野が集中しているのを確認し、俺は両親と遥に下がってもらった。遥はなにか言いたそうにしていたのだが、母が引っ張って連れていってくれたので安心した。


「茅野、これあげる」


 俺はできの良かった短冊舟を一枚選ぶと、彼女に渡した。


「いいの?」

「今まで一度も参加したことないだろ? それに願いを込めてよ」


 俺が差し出した短冊舟を恐る恐る受け取ると、茅野は壊れ物を扱うように指先で撫でた。


「ありがとう、成神くん」

「おかげで終わりそうだよ」


 時計を見ると、夜の二十時を回っている。


「もう帰ったほうがいい。送っていくよ。着替えてくるから待てる?」

「そういえば、成神くんのそういう格好、初めて見た」

「普段からこれじゃおかしいだろ?」


 茅野はふふっと笑った。


「そんなことないよ。すごく似合ってる」

「そう? ならいいけど……」


 俺は冷蔵庫からお茶をコップに注ぎ茅野に出した。


「私ね、人見知りなんじゃなくて、人と関わるのが嫌だったんだ」


 茅野は冷たいお茶をごくごく飲み干すと、自分のことを話し始める。


 珍しいことだったので、俺は動きを止めて茅野の言葉に耳を傾けた。


「父の会社の人から私は良く思われていない。学校では根も葉もない噂が広がる。ここに引っ越しが決まった時も、陰でコソコソ言われることを覚悟してきたの」


 たまたま俺が他人にあまり興味がなくて覚えていないだけで、彼女は都会から来ているから、おそらく注目の的だっただろう。

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