第42話
俺は麦茶をごくごく飲みながら、みんなが川で遊んでいるのを穏やかな気持ちで眺めた。大丈夫だとわかった川田は、安心したように岸に戻ってきた。
俺はつい、いたずら心が働いてしまった。
「上杉! 川田も暑いって!」
「……は? なに言ってんの。私そんなに暑くないわよ!」
そういう川田の額には汗が滲んでいる。この暑さで、暑くないって言うほうが異常だ。
「川田も涼んだほうがいいよ」
俺が言った直後、上杉がザバザバと水をかき分けてこっちまできた。
「俺が涼しくしてやる!」
上杉は川田の手を掴むと、強引に彼女を水の中に引きこんで容赦なく水をかけた。
「いやー!」
川田の叫び声は、激しい水の音でむなしくもかき消されてしまった。
ひとしきり笑ったあと、俺はその場に寝そべる。太陽がまぶしくて、このまま溶けてしまいそうだ。
この川は、もうちょっとで壊されてしまうだろう。しかし、そんなこと考える余地もないくらい、今を満喫できた。
しばらくすると、頬に水をかけられた。どうやら少し寝ていたらしい。
ゆっくり起き上がると、俺をにらんでいる川田のおっかない顔が見える。彼女の長い髪から、ぽたぽたと水がたれていた。
「ナル。よくも私を浩平の犠牲にしてくれたわね」
「そう怒るなよ」
向こうからは、まだ遊ぶ上杉と茅野の声が聞こえ続けている。
どうやら上杉は強力な水鉄砲を持ってきたらしい。茅野も大きな水鉄砲で応戦していた。
「まったく……」
隣に座った川田は、言葉とは反対にそんなに怒っていなかった。
「私が浩平のこと好きなの、知ってるでしょ?」
単刀直入に訊かれたので、俺もストレートに「うん」と頷いた。
川田は小さく笑った。
「昔から好きなのよ」
「それは、知らなかった」
「隠していたもの」
「大変だな。上杉ってホントにバカだから……川田の想いにちっとも気付いていないと思う」
川田はタオルで髪を拭きながら、大きく息をついた。
「……なんでかしらね。あんなにバカだしタイプじゃないはずなのに、目が離せないの。ほかのどの人も心に響かないの」
川田が静かに目を閉じた。まつげの影が頬に落ちて、夏の日差しに輝く。
俺は胸が締め付けられた。
「ちゃんと自分で言うから、浩平には言わないでね」
「言わないよ」
「ナルのそういうところ、めちゃくちゃ信用できるのよね」
川田はふふふ、と大人っぽく笑った。
「ナル。お祭りの斎主をしてくれてありがとう。いい七夕にしようね」
「ああ――」
滞りなくしてみせる。
上杉と茅野の笑い声が空高く響いて聞こえてきた。俺はその光景を忘れたくなくて、瞼に焼き付けるように目をつぶった。
*
それから、俺たちは遊びを詰め込みすぎたため、八月上旬だというのに驚くほど疲れきっていた。
「なんだなんだ! そんなんでくたばってちゃ受験についていけないぞ!」
一番はしゃいで駆けずり回っている上杉が、なぜか一番元気だ。
今日はみんな疲労困憊状態のため釣りを中止にし、上杉家で勉強会になった。宿題はまだ、半分も終わっていない。
上杉は化け物かなにかなのだと俺が呟くと、全員の同意が得られた。
「遊びっていうのは、いくらやっても疲れないはずなんだけどなぁ」
「それは浩平だけ。私たち一般人は川、山登り、セミ採り、プール、その他色々……を連続はつらいのよ」
川田の顔には計り知れない疲れがにじみ出ていた。
「そんなんでくたばってらんねぇぞ。短冊祭りはもうすぐだ」
「ほんとそれ。マジで俺ヤバいから」
俺は机に頭だけ載せ、手をだらりと横に下げていた。俺は朝の祭事を斎行してから合流するので、それはもう、恐ろしいくらいに疲れている。
お祭りまであと一週間。
俺はさらに忙しくなるため、夏休みの計画からは離脱する。その代わり、鯉神様を預かっている人々が、鯉を取りに来るのをお迎えしお返しする。
今までもずっと手伝ってきたが、親父が疲れを見せたことはない。それに比べて、現時点でへばっている俺はまだまだ修行が足りていないようだ。
茅野を見ると、ぐっすり寝ていた。
お手伝いさんとはうまくやっているようで、川田の家にもあのあと何回か泊りに行ったらしい。
今までできなかったことをしている解放感なのか、茅野は少々疲れているようにも見えた。
人見知りだというのが嘘のように、茅野は疲れるとすぐ寝る。信じられないくらい、どこでも寝た。
俺たちに安心しきっているのかもしれない。それは嬉しいことだが、その度に俺が茅野をおぶって帰ることになる。
たぶん今日もそうなるだろう。
時計を見ると、十七時半を回っている。
「ナル、今日も亜子のお守りよろしくね」
いつの間に帰り支度をしたのか、川田はすでにドアのところに立って手を振っている。俺も勉強道具を片付けて荷物を持った。
「次に会うのは夜だな。七夕前に、天の川の観測会だ。ナルは来れないよな?」
「遠慮しとく……そろそろ繁忙期」
今日も、帰ったら仕事が山積みだ。
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