第37話

「だけどな、村人だけだっていうのなら茅野亜子はどうなんだ?」

「茅野は……」

「あの子は部外者だろう? それに、村の伝統を壊す元凶だ。あの子のせいで、今年が最後の祭りになるかもしれないのに」


 それなのに、そっちをかばうのかと塩原はまくし立ててくる。


 俺は勤めて冷静であるように努力した。今年の斎主は俺だ。俺に、祭りの命運がかかっている。


 最後になるかもしれない、村の祭りの――。


「茅野に恨みでもあるんですか?」

「ないよ。でもそうだな、しいて言えば、リゾート会社の娘だからという理由で村に入り込み、同じように村人扱いされているところに腹が立つ」

「そういうのは、逆恨みです」


 実際、茅野は祭りのことも鯉のことも知らなかった。村に住んでいるというだけで、村人とは一線を画すようになっていた。


 そういう風に、親父たちが対処していたんだ。それなのに、なにも知らず俺は能天気に彼女に話をしてしまった。


「茅野は実際、伝統のことを知りませんでした」

「……ということは、今は伝説を知っているから、参加できるってことだな?」

「彼女は知りたくて知ったんじゃない。それに、知ったところで参加できません」


 鯉神様をお迎えしていない茅野は、祭りに来ることはできても放流の儀式には参加できない。


 鯉について、塩原はどこまで知っているのだろうか。それがわからないので、下手に話を進めることはできなかった。


 だが、塩原は俺の言葉に眉をひそめた。


「……つまり、村の住人で伝統を知っていても、参加できない条件がなにかあるのか?」


 今度は俺が頭を下げた。


「お引き取りください。祭りは村の禁忌であり、千年続く伝統です」

「……やっぱり鯉が関係するんだな」


 塩原の勘の鋭さに俺は辟易した。下を向いたままやり過ごそうとしたのだが、彼は考察し始める。


「おかしいと思っていたんだ。君の家は養鯉ようり場のようなのに、繁殖している雰囲気はない。それに、村の家のどこに行っても庭に鯉がいる。でも、茅野亜子の住まいには池も鯉もいない」


 塩原はそこで言葉を切った。


「祭りに鯉が関係するんだな。川を埋められたら祭りができなくなるんだから……鯉を放流するのか?」

「お引き取りください。これ以上はお店にも迷惑がかかります」


 図星か? とかまをかけられたが無視した。


「蒼環くん、僕には、叶えてもらわなくちゃならない願いがあるんだ」


 やっと塩原が本音を話したような気がした。俺はいま一度姿勢を正す。


「それが、祭りを嗅ぎまわっている理由ですね?」

「どうしても叶えなくちゃならない」


 伝説が箝口令の元に置かれたのは、こういうことを想定したからだろう。どうしてもと言って、大金を摘んでくる輩だっているはずだ。


 お金への執着や欲求は、この場合においては心を悪いほうに惑わすに違いない。


「ずるいじゃないか。この村だけ特別なんて。良いものはみんなでシェアすべきだ」


 俺は肩の力を抜いて、背もたれに背を預けた。


「塩原さんの人生で、神様が平等だったことはありますか?」

「はぁ?」

「いつだって神様は、残酷なくらい無慈悲で神の基準でのみ平等なんです。ずるいとか、そういう話じゃない」


 人が、どうこうできる問題じゃないのだ、根本的に。


「そんなことはわかってるよ!」


 塩原が机を拳で強くたたいた。


「わかってる。それでもあきらめきれないものがあるんだよ!」

「あなただけが、あきらめられないものを持っているわけじゃないです!」


 俺も少々大きな声を出すと、塩原は顔を真っ赤にした。


「……今月がタイムリミットなんだ。彼女の脚が……」


 言われて俺は、塩原の左手の薬指を見た。


 そこに指輪はなく、つけていた跡もない。でもきっと、言いかたから察するに大事な人のことを話しているのだろう。


「それでも、あなたにどんな事情があってもダメです」

「…………いいさ。僕はあきらめない」


 塩原は財布を取り出すとお札を机の上に置いた。


「僕の願いをこの村の神には叶えてもらう。絶対に」


 なにをする気だろうか。塩原の目の奥には、怒りと悲しみが凝縮されているように思えた。


「俺もあきらめません。村の未来を見届けます」


 世界に取り残されて、この村は消えてなくなるだろう。


 茅野の親がゴルフ場を作ろうと、作らなかろうと関係ない。それはただ、滅びのカウントダウンがちょっと早まっただけだ。


 伝統になんの価値があるのかずっと疑問に思っていた。自分の決められた将来にも飽き飽きしていた。


 でも今ならわかる。


 成神は、村人の幸せを願い、五穀豊穣と天下泰平を願う。


 村のすべてを見届けるのが、成神の巫女の末裔である俺の役目だ。俺にしかできないことだ。


 人が今を生きていることに価値があるのだと、伝えるために。


「どんな未来も受け入れる覚悟を持ってして、祭りの参加条件となります。お引き取りください」


 塩原は店から去っていった。俺はどっと疲れが出てきて、息を大きく吐きながら天井を仰いだ。


「そうちゃん、冷たいおしぼりいるかい?」


 渡辺のおばちゃんは、おしぼりと一緒にメロンソーダを持ってきてくれる。


「おばちゃん。俺、頼んでないんだけど……」

「間違って作っちゃったから、残さず食べていきな」

「あはは。ありがとう」


 小さい時から大好きなそれは、今日に限ってアイスクリームが特大サイズで二個と、サクランボが四つも載っていた。


 もう大きくなったというのに、おばちゃんは小さい時と同じように俺の頭をポンポンと撫でて、奥に下がっていった。

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