第36話
「願いが叶うのが本当なら、誰だって知りたいと思うのが普通だ」
「それなら、全国の神社仏閣でも有名なところがいくつもあります。この村に限ったことじゃありませんよ」
「そう。願いは叶うんだよ……人が願掛ければね」
塩原はまじめな口調になった。
「でも願いが叶う確率は? どれくらいだと思う?」
「知りません。考えたこともないです」
「どーでもいいような願いもあれば、真剣なのも含めて、日本全国どこの神社仏閣に行く。初詣に限って言っても、多いところで数百万人、人気のところはうん十万人が願掛け参りをする。それで、ほんの一部の人間だけが叶えてもらえる」
おそらく確率は高くない、と塩原は結論付けた。
「でもこの村はどうだ? 人口はたったの数百人。それで、毎年のように願いが叶うとしたら……」
塩原の言いたいことを俺はうっすら理解した。
「百万分の一の確率から、百分の一の確率に下がる。パーセントにしたら、ゼロが三つも四つも消えるわけだ」
「叶えばですけどね」
「叶うんだろ? そういう言い伝えじゃないのか?」
俺は麦茶を飲みほした。
「勘違いしていますけど、絶対ってこの世にはありませんよ」
「君みたいな若者に諭されなくても、そんなこと百も承知さ。でも、『絶対叶う』に近い条件が、この村の祭りだと僕は思うんだよね」
たしかにそうかもしれない。確率だけで言えば。
「毎年のように、祭りのあとになったら髪を切りに来る人がいるそうじゃないか」
「夏の暑さで切りたくなるんじゃないんですか?」
「知っているかい、蒼環くん。美容室の閑散期は九月や十月だ。それなのに、この村の美容院が混むのはその時期だ……つまり、数か月後に願いが叶った代償として、みんな髪を切りに行く。違うかい?」
「俺の家は美容室じゃないんで」
「秘密を教えてくれ、蒼環くん。この村の発展に貢献できるよう、僕がいい記事にしてみせる」
それはできない。俺は首を横に振った。
「いいのか? このままじゃ、君たちは村と一緒にお陀仏だぞ」
「俺たちとこの村は、いずれ滅びゆく運命です」
塩原はあからさまに舌打ちした。
「当たり前だ。都会に近いのにこんなに田舎で。時代にまったく追いついていないんだから」
まったくその通りだと、俺は頷いていた。
「君たちもこの村も、時代に追いつく努力をしていない。伝統だ禁忌だといって、新しいものを受け入れようとしない。神のいる川が埋め立てられるなら、ほかの場所に勧請すりゃいいだけのことなのに」
「それは――」
「人手不足なら移住者を受け入れたらいい。開発して観光客を入れれば経済が回る。滅びゆく運命なんて、聞き心地のいい言葉の響きに騙されるもんか。そうしているのは君たち自身だ」
塩原の意見はもっともだ。
人口が減少しても人を受け入れられないから過疎化は急速に進み、後継者問題だって顕著だ。
若者は流行に憧れて都市部に流出してしまう。それなのに、守るべき伝統のために、縁がなければ村に居つくことが許されない。
だから、流行りのお店もカラオケも話題のスイーツショップもなければ、コンビニもない。病院だって小さい町医者だけだ。
時代から取り残されたような場所で、世界が足早に動いていくのを見守ることしかできない。
俺たちだけじゃなく、大人たちも閉塞感で煮詰まっているのが現状だ。
「このままじゃ蒼環くん。君たちの家業だって廃れる。そうならないためにも、オープンにすべきじゃないのか? 願いが叶う祭りがあると知ったら、参加者や参拝者が増える。グッズを作って売れば儲かる。祭りの参加者から費用を取れば、君たちは大金持ちだ」
「祭事は見世物じゃありません。お守りも金儲けの道具じゃない」
「違う。そもそもただの村の行事だ」
塩原は身を乗り出してきた。
「話が進まないな。だったら、伝説のことを記事にはしないと約束するから、僕を祭りに参加させてもらえないか?」
塩原は自分の持つ巨大な影響力をわかっているのだろう。以前も、屋上での写真をネタに、取引してきたのを思い出した。
茅野のことを引き合いに出して俺を動揺させ、俺が口を滑らすのを待っていた。もしくは、知らないことを教えたかわりに、祭りに参加させてくれと頼もうと思っていたのかもしれない。
だからこそ、今ここで屈したら彼の思うつぼだ。
「参加できるのは、村の人間だけです」
厳しいかもしれないけれど、掟は掟だ。そこを曲げるつもりは俺には一切なかった。
例外を作って許してしまったら、そこにつけこむように多くの人がやってくる。
「そう言わず、なんとか。この通りだ!」
塩原は頭を深々と下げた。
「……ごめんなさい。それは、できません」
「なんでだよ! 大人が恥を忍んで、頭を下げているんだぞ!?」
「できないんです」
塩原は舌打ちをかみ殺したあと、貧乏ゆすりを始めた。
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