第33話



 *



 茅野と別れてから、俺は慌てて家に戻った。


 玄関に放り投げてきたカバンの件で母に文句を言われそうになったのを無視し、渡り廊下の先にある離れの蔵で調べ物を始めた。


 川田に言われていて、ずっと放置していたこと――茅野家の祈祷の記録だ。


 二年前の列から調べ、見つけた記録を見て俺は胸が痛くなった。


「なんだよ、これ」


 たしかに、茅野はこの村に特別待遇で引っ越ししてきていた。


 伝手がなければ入村できないのに、茅野は住むことができた。村の山を購入した人物の娘だから、つまり強く断れなかったのだろう。


 土地を取り戻したり、開発が村にとっていい方向に行くようにするためには、茅野家と円満な関係を続けるほうがいいわけだ。


「なんで俺、今までこのことに気付いてないんだよ」


 茅野亜子の引っ越し理由は、大手土地開発グループ社長の婚外子で、都会だと変な噂を立てられやすいからということだ。


 表向きは。


 俺は唇を噛みしめる。


 茅野の親は、隣町ではなくこの村に彼女を一人で住まわせることを選んだ。


 もしかすると最初から、購入した山に村の一部が含まれていると知っていたのかもしれない。


 それで、ゴルフ場の建設を反対しそうな保守的なこの村に、彼女を押し付けた。同じ年齢の、俺や川田が居たのも理由の一つだろう。


 どうにもこうにも生きている心地がせず、夕飯も食べずに自室にこもった。


 茅野は今まで、どういう気持ちだっただろう。


 そんなのは、想像もつかない。でもきっと、懺悔に近い気持ちを持っていたのはたしかだ。


 だから、俺に何度も短冊祭りが好きか聞いてきた。


 友達でいられるか訊ねてきた。


 祭りなんて嫌いだし無くなれば最高だって俺が笑顔で言えていたら、茅野は少しは楽になれただろうか。


 俺はずっと、椅子に座ってぼうっとしていたと思う。どうしていいのかわからず、電話することくらいしか思いつかなかった。


『おう、どうした?』

「もしもし、上杉。あのさ――」


 塩原に言われたこと、茅野が言っていたことを、俺はとにかく伝えた。


 上杉は辛抱強く話を聞いてくれ、そうしているうちに俺は若干冷静さを取り戻してきた。


 電話に出た当初はふざけていた上杉も、さすがにすぐに神妙な声音になった。いつもの調子の良さはどこへ行ったのか、上杉は真剣な様子だ。


『……それ、まじかよ?』

「たぶん、全部本当のことだ。嘘をつく必要がないから」


 せっかく仲良くなれたのに、わざわざその輪から遠ざかるようなことを、茅野がするはずがない。


 友達として黙っていることが後ろめたくて、俺に暴露したんだ。

 受話器の向こうで、上杉も言葉を詰まらせた。


『そのこと、琴音は知ってんのか?』

「詳しくは知らないんじゃないかな。今日普通だったし」


 この村のことを大事に思い、将来的にも伝統を残したいと考えている川田が、それらを破壊する元凶が茅野だと知ったらどうするだろう。


『知っていたら、琴音が黙ってる訳ないよな』

「薄々感づいてるとは思うけどね」


 茅野が越してきたのと開発が決まった時期の一致を、不審に思っていると俺に伝えてきたのは川田だ。


 俺は、ただただ愚かだ。


 どうして今まで、村の異変にも茅野という人物にも、興味を持たなかったんだろう。


 きっと、本気で向き合っていたら、もっと早くに色々なことに気付いたはずだ。こんなにいくつも、予兆があったというのに。


『琴音にも言うしかないな。どうするのかはあいつに任せる』

「そうだね」

『俺は、今まで通りでいい……開発を推し進めたのは茅野の両親であって、茅野亜子じゃない』


 上杉のきっぱりした決意が、俺の胸を打った。


 俺が言えなかった言葉を、上杉は即座に迷わず選んで発することができる。


 恐ろしいくらいに、羨ましかった。


『親父たちが黙ってたのは気に食わねぇけどな。それだってきっと、俺たちを巻き込まないための配慮だったんじゃねぇかな』


 最悪、この村が開発推進派と非推進派で分裂してしまったり、友情関係に亀裂が入ったりすることを大人たちは危惧したのだろう。


 茅野が背負っていた業の深さは、当時中学生が背負うにはいくばくか大きすぎる。


 俺の親父を含む村の大人たちは、彼女ひとりに重いものを押し付ける茅野の両親から、彼女を守ろうとしたのかもしれない。


 それが、茅野の両親の思うつぼだったとしても。


 親父たちが相談してくれなかったのはひどいが、大人には大人の立場と考えかたや物事の進めかたがある。


 俺たちが、子どもとしての考えや感情があるのと同じに。

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