第30話

 用事があるからと川田が先に帰ると、その後すぐに上杉が大声を出した。


「そういや、今日姉ちゃんの誕生日会やるんだった!」


 準備してくると階下に降りて行ってしまったため、俺と茅野は二人っきりで勉強をすることになった。


 だが、しばらくすると上杉に手伝いで呼ばれてしまう。


 茅野に行ってきていいよと言われたので階下に行き、飾り付けが終わるころにはすっかり日が暮れかけている。


 やっと上杉の部屋に戻ると、茅野は寝てしまっていた。立てている。


「俺、茅野の寝顔なんて初めて見た気がするぜ」

「俺だってそんなに見たことない」

「めっちゃレアだな」


 上杉は寝ている茅野の姿を、珍獣を見るようにしげしげと眺めた。


「なあ、ナル」

「うん?」

「お前、茅野のこと好きだろ?」


 突然、なにを言い出すんだ。


「は……?」

「え、違ったのか? 珍しいからさ、お前が他人に興味持つの。しかも女子」

「えっと……」

「茅野って、意外に男子に人気なんだよな。ちっさくて可愛いって言ってるやつもちらほらいるんだよ」


 頭が真っ白になっていた。答えが見つからないまま、俺の思考はただただ空回りし続けている。


「おい、固まりすぎ!」


 背中を思い切り叩かれて俺はむせた。一通り咳をし終わってから、俺は残っていたぬるい麦茶を飲み干すと、お盆の上に載せた。


「……俺、そろそろ帰るよ」

「じゃあ、茅野を起こさなきゃだな。おーい、茅野、起きろ~!」

「寝かしとけばいいだろ。ついでに、誕生日会に参加してもらえば?」


 上杉の姉はいわゆる陽キャというやつで、騒がしいのが好きなタイプだ。しかし上杉は茅野を揺すりながら笑った。


「いい案だけど、一人で帰らせらんないからな。俺んちはみんなこのあと酒飲むし」

「上杉が送って行けばいいだろ」

「俺は酔っぱらった奴らを叩き起こすのと、片付けの係なんだよ毎年。最低だぜ」

「それは、ご愁傷様」


 これ以上は無駄な押し問答になりかねないので、俺は自分の荷物を片付け始めた。


「ナルなら方向が一緒だからな。お、茅野起きたか?」


 片方の頬に寝跡をつけて、茅野は起き上がって帰り支度を始める。だいぶ寝ぼけているらしく、あちこちにぶつかりそうになっていた。


「じゃあまたな」


 上杉が門のところまで送ってくれて、俺と茅野は歩き出した。


「あっ! おーい、ナル!」


 後ろから上杉のバカでかい声が追いかけてきた。振り返ると、上杉が門から身体を半分乗り出している。


「さっきのあれ、気にするなよ!」

「あー……」


 俺は「わかった!」と大きく返事をして前を向く。


 せっかく忘れていたというのに、「茅野のことが好き?」と訊ねられたのを思い出して、一人で気まずくなってしまった。


 ――俺が、茅野のことを好きかって?


 わからない、というのが答えだ。


 何度考えても明確なものが出てこなくて、思考はずっと停止したままだ。


 それに、茅野が男子生徒たちに人気があるというのを初めて聞いた。小さくて可愛いというのは、なんとなくわかる。


 ただ、クラスの男子たちが茅野を恋愛対象として見ているのかと思うと、俺は腹が苦しくなった。


 中にはきっと、茅野に本気で恋心を抱いている生徒もいるだろう。思えば茅野はおとなしいが、都会生まれとあって村の生まれのみんなとは毛色が違う。


 同じ制服を着ていようが、彼女から醸し出される雰囲気は、時おり洗練されているようにも思える。


 茅野を好きな生徒がいる。それがなぜだか嫌だなと思ってしまっていた。


 変な気分だ。クラスメイトのことも茅野のことも、別になんとも思っていないはずなのに。


 いつの間にか、言い表せない気持ちでいっぱいになっていたし、かみ合わない感情の歯車に苛ついていた。


「……くん……成神くん、待って!」


 呼ばれてはっとして立ち止まると、背中にごつん、となにかがぶつかる。


 後ろを歩いていた茅野だ。俺の背中に激突したのが痛かったらしく、鼻に手をあててムッとした顔をしている。


「……あ、ごめん」

「早いってばっ」


 茅野の息が切れている。どうやら俺は、かなり早足で歩いていたようだ。


 俺の普通の歩く速度は彼女にとっては早足だ。それなのに俺は考え事をして歩いていたから、茅野にとっては競歩みたいになっていたらしい。


「ごめん、茅野」


 茅野がじっとりとした視線を向けてくる。俺はその眼力に耐えられずに、気まずくてそっぽを向く。


「成神くんの家に行ってみたい」

「……え? なにを、突然」


 早足だったのを責められるかと思ったのに、突拍子もないことを言われて困惑してしまった。


「行こうよ、いいでしょう?」


 茅野は有無を言わさない様子で俺の手を引っ張ると、ずんずんと歩き出した。俺の家のほうへ、まっすぐ。


「ちょ、ちょっと、なに!? どうしたの、茅野?」


 俺は引っ張られるまま歩くしかない。

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