第27話

「それで、どんな祭りなんだい?」

「塩原さんは、どんな祭りだと思っているんです?」

「質問に質問で返すのはこれ以降やめてもらいたいな。まあ、今回はいいとして……そうだね。僕が聞いたのは、願い事をするっていう話」

「旧正月の七夕の日に、願掛けをするだけです」


 俺は普段よりもゆっくり話すのを心がけた。少しでも時間をかせいで、早くこの記者と離れたかった。


「願いが叶うって話は本当?」

「本当だと思いますよ」


 塩原は目を輝かせて身を乗り出してきた。


「それって、どんな願いも叶うのかな?」

「知りません。自分の願いは叶ったことがないので」


 本当は、お願い事をしてこなかっただけだが、そこはあえて言う必要もない。


「すごいなぁ。ちなみに、身近に願いが叶った人はいるの?」

「いるんじゃないですか? 聞いていませんけど。塩原さんは、願い事が叶ったらみんなに話しますか? いちいち報告しませんよね?」


 塩原は若干ムッと眉をひそめたのだが、俺は続けた。


「どの地域でも七夕には願い事をするでしょう? それと一緒のことをしているだけです。願いが叶ったかどうかを知っているのは神様だけですよ」

「大病が治ったとか、死んだ人が生き返ったとか」


 俺はわざと鼻で笑った。


「オカルトですか? そういう話はあるかもしれませんけど、この村だけの話じゃないはずです。全国的に有名な神社で願掛けするのと大差ないですよ」

「鯉について――」


 ピピ、と携帯電話が鳴る。


 俺は五分のタイマーの画面を塩原に見せた。先ほど、レコーダーをしまっている時に準備しておいたのだ。


「約束通り、五分です。さようなら」


 塩原はあきらめたように鼻から息を吐いた。


「君たちが屋上にいた写真を、僕は持っているよ」


 脅し文句が聞こえてきて、俺はピタッと足を止めた。


「そうですか」

「肝が据わってるね、ビビらないなんて。でも、証拠写真とこの壊れた鍵を学年主任に渡したら、君たちはどうなるかな、なんて思うんだけど」


 なんて返事をすればいいのか迷ったが、俺は相手にしないことを選択した。再度お辞儀をすると、歩き出す。しかし、後ろから塩原の声が追いかけてきた。


「茅野亜子。同級生だよね?」


 無視をしなくては。しかし、俺の歩みは少し重たくなり、塩原の声を拾おうと集中していた。


「あの子の正体を君たちは知っているの?」


 塩原は遠ざかっていく俺の背にまだしゃべりかけてくる。


「あの子はリゾート開発会社の社長の娘だよ。ただし婚外子で冷遇されているから、この村に飛ばされたんだ。理由はわかるかい?」


 俺はもう、それ以上聞きたくなくて歩調を早めた。


 茅野のことを、大事な友達のことを他人の口から聞きたくない。


 それなのに、塩原の声が追いかけてくる。


「この村でゴルフ場の開発をしやすくするためさ。村の内部に入り込むためだけに彼女は引っ越してきたんだ。金儲けの道具だよな、まるで」


 うるさい、と俺は口から言葉が漏れていた。完全に独り言の声量だったから、塩原には聞こえていないはずだ。


「村を壊す元凶と仲良しこよししている君たちは……まだまだ子どもだ」


 俺は奥歯を食いしばった。走り出したいのを堪えて、なにもかも知っている風を装って歩く。


「じゃあね、蒼環くん! また近いうちに会おう!」


 二度と会うもんか。心の中で誓っていると、車が後方に走り去っていく音がする。


 家に帰るまで、一切振り返らずに前だけを見て歩いた。そうするしか、自分を落ち着ける方法が見つからなかった。



 *



 塩原記者の言葉に揺さぶられてから、俺は記憶があいまいだ。


 自分がどうやって学校に行っていたのか、なんの授業を受けたのか一切覚えていない。


 こんな状態でどうやって部活をしていたのか、俺自身が不思議に思うくらいだ。


 時々集中しすぎるとこういう状態になることがあるのだが、ここまでひどいのは久しぶりだ。


 塩原に言われたことを消し去ろうとしていたのだが、あまりに強烈すぎる内容のため時間を要した。


 そうやって頑張っていたのにもかかわらず、言われたことが頭にこびりついて離れない。


 むしろ、一字一句、鮮明に思い出せてしまう。


 ――これはまずい。


 まさか、気がついたら夏休みになっていたなんて、笑えもしない。


 塩原とは、あのあと一度も顔を合わせていない。もちろん会いたくないが、すぐ会おうと言ったはずなのに姿を見せてこないのが不気味に感じた。


 カラン、と氷の溶ける音で俺はハッとして瞬きをする。やっと、自分の精神が現実に追い付いた。


 耳がキンキンするほどセミが鳴いている。言わずもがな、とても暑い。動いていなくても、汗が出てきそうな暑さだ。


 騒がしいほどの夏が来ている。


「……なぁ。これってなんて読むのさ?」


 上杉の声が、静かだった室内に響く。俺は手元にあったお茶を飲み、額の汗をぬぐった。

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