第24話

 万が一『塩原さん』が学校の関係者だったとしたら、屋上にいたことを自ら暴露するのはリスクが高い。


 無関係の人で、助けてくれたのなら言いやすいが。


「ひとまず様子を見ましょうか」


 話はまとまり、俺たちは帰りの支度を終えると学校を出た。


 先ほどよりもだいぶ暗くなった道を、横一列に並んで歩く。車も人も通らないから、道を五人で塞いだって誰にもとがめられない。


 それは田舎のいいところだ。


 田んぼからは若い緑のにおいがする。あぜ道からはカエルや虫の鳴き声が聞こえてくる。


 見上げると、星もきれいに輝き始めていた。夜の風の匂いが、薄いベールみたくかすかに漂った。


 夏がやってきている。


 一通り本日の感想を言い合いっこすると、俺たちは小学生みたいにしりとりをして遊んだ。


「ね……ね…『根昆布』」


 俺の声にかぶせるように、川田が「『ブタ』」と言い放つ。彼女の隣にいた茅野は、遠くを見ていた視線を戻して眉根を寄せた。


「……『タコライス』……」

「俺か……すー……すー『スイカ』!」

「上杉。それ、さっき出たぞ」

「細かいこと言うなよ。さっさと答えろって」


 上杉が俺の肩に手を置いてきた。


「ズルだぞ、それ。まあいいや。す……」


 考えようとしているのに、上杉が横からごちゃごちゃ言ってくる。うるさすぎて集中できない。水田を見ると、亀が泳いでいるのが見えた。


 亀、そうか、亀だ。


「『スッポン』あっ」

「やった、ナルの負けだ!」


 上杉が隣でけらけら笑いながら嬉しそうにした。


「くそ……」


 珍しく思いきり顔に出たらしく、みんながこちらを向いて笑っていた。


 みんなといる時がなんだかんだ楽しい。毎日一緒にいるわけじゃないけれど、小さいころからの付き合いだから気が抜ける。


 川田と別れ、そして上杉も去っていった。家が遠いというのは、時々よかったり時々悪かったりする。


 気分がいいときは家に帰る道のりが楽しい。悪いときは、この長さを呪ったりもする。


 今日は前者だ。


 屋上にのぼってみんなと一緒に見た景色を忘れたくない。


「茅野、屋上はどうだった?」

「景色がすごくて、空も近かったよ」


 茅野が満足なら、それでいい。誰にも見つからずに済み、おかげで怒られることもなかったのだから。


「ありがとう、成神くん」

「俺はなにもしてなくて、上杉と川田の功績かな」


 そんなことないよ、と茅野の語気が強まった。


「先生に見つかりそうになった時、かばおうとしてくれたでしょ?」

「俺が行くのが適任だからね」

「私が行くべきだったんだよ。言い出しっぺは私だから」


 茅野は少し悔しそうな顔になった。


「でも、勇気が出なかった。先生の前に出て、犯人は自分だって言う勇気が」

「叱られたくないもんな、高校生にもなって」


 怒られるのも嫌だが、叱られるのも勘弁だ。そういったものに体力を使いたくない。


「だから、成神くんはすごいよ」

「買いかぶりだな」


 俺ならば、どうにかなると思っただけだ。もしその役割が別の人にあるのなら、俺は迷わず適任者を推薦する。


「かっこよかったよ」

「なんてこと言うんだよ。結局出ていかなかったんだし、恥ずかしいだろ」

「それでも、かっこよかった」

「わかった。もうこの話はやめよう」


 こそばゆい気持ちになって、俺はあえて渋面で茅野を見下ろした。嬉しそうにニヤニヤしていたので、ムッとして彼女のほっぺたをつねる。よく伸びた。


 他愛のない話をしていれば、すぐにわかれ道に到着した。手を振ればそこでお別れだ。


 茅野の後姿は、心なしかいつもよりはずんでいるように見えた。


 俺は茅野をほんの少しだけ見送ってから歩き始める。なにもない田んぼを見つめながら、のんびりと歩いて帰った。


「ただいま」


 玄関の扉を開けた瞬間、来客があることに気付いた。足元を確認すると、見知らぬ靴が一足揃えて置いてある。


 ちょっと汚れたスニーカーは、履きつぶすほど歩き回ってきたのがわかる。


 誰だろうと思いつつ、そうっと応接間を通り抜けようとしたのだが中から声をかけられた。


「やあ――」


 声には聞き覚えがある。開いている扉から中を見ると、中肉中背の男と目が合った。


「さっきぶりだね、蒼環くん」


 ぞわっと俺の背中の毛が泡立ったのは、彼の口元に得体のしれない笑みが乗っているのを見たからだ。


「そうだ、これ忘れものなんだけど」


 そう言って男がポケットから取り出したのは、壊れかけた鍵――おそらく、学校の屋上の。


「自己紹介が遅れたね。僕は都内の新聞社の記者で『塩原』っていいます」


 名刺を渡されたのに反応できなかった。


 男はニコニコと人のよさそうな笑みを顔に張り付けながら、探るような目で俺のことを見てくる。


「この屋上の鍵、返却しておいてくれると助かるんだけど。いいかな?」


 彼が招かれざる来訪者であることは、間違いなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る