第23話

「成神くん」


 呼ばれて俺は下を向く。


「なに?」

「……痛いんだけど」


 なんと俺は、茅野の細い手首をずっと掴んだままだったらしい。急いで離すと、茅野は手首を反対の手でさすった。


「ごめん」

「ううん。大丈夫だよ」


 俺はもう一度茅野の手をとって、自分が握っていたところを見てみた。細いからぎゅっと握ってしまったようで、少し赤くなっていた。


「ほんとごめん」

「引っ張ってくれなかったら、私が一番に見つかっていたと思う。ありがとう」


 俺たちが和んでいる間に、向こうでは川田がヒートアップしていた。


 怒っているというのに、上杉がからかうから余計に川田がぷりぷりし始める。俺は一拍おくと、川田を呼んだ。


「なに?」

「上杉と遊んでないで、ここから出たほうがいいんじゃないかな?」

「遊んでないわよ! でもナルの言うとおりね。退散しましょう」


 先ほどの学年主任と塩原という謎の人物の会話が本当なら、屋上には時々先生が煙草を吸いに来る。


 俺たちは視察の時も含めて、偶然にもかち合わなかっただけなのだろう。


 塩原という男には、見られていたかもしれないが。


「教室まで別々に逃げるわよ!」


 俺たちは人がドアの向こうにいないことを確認し、屋上のドアを開けた。


 静かに階段を下り、それから急いでばらばらに散った。



 *



 各々が思うルートを歩いて戻っていたのだが、俺と茅野は渡り廊下で合流してしまった。


 並んで廊下を歩いていると、嘱託の先生に出くわす。ということは、職員会議は終わったということだろう。


「バスケ部は今日休みだよな。また寝過ごしたのか、成神は?」


 嘱託の若い先生は俺を見るなり、苦笑いを浮かべた。


「残って勉強してました」

「嘘つくな。お前がそんなことするもんか」


 肩をすくめると、先生は隣にいた茅野を見て驚き、そしてうなずきはじめる。


「ああ、そうか。そういうことか」


 俺の背をぽんと叩くなり、「頑張れよ、青春」と訳のわからない一言を残し、ニヤニヤしながら通り過ぎていった。


 ほっとして息を吐くと、隣で茅野が不思議そうな顔をしていた。


「岩本先生、どうしたの?」


 付き合ってると間違われたようだが、それを茅野に説明して気まずくなるのも嫌だった。


「わかんない。どうしたんだろうね」


 うまくはぐらかせたようで、茅野は不思議そうにしていたものの、それ以上はツッコんでこなかった。


 教室に戻ると、すでに川田と上杉が椅子に座っていた。


「おかえり。ナルたちは見つかんなかったか?」

「いや、大丈夫だったよ」


 嘱託の先生には、変に誤解されたがきっと問題ない。


「みんな、なにもなくてよかったわ」


 全員が無事に戻ってこられたのだ。

 どっと疲れが押し寄せてきて、溶けるように机に突っ伏した。


「…………なんか、ごめんな」


 疲れと一緒に、謝罪の言葉が出てきた。


「どうした、ナル?」

「とんだ災難になっちゃったよなって思って」


 もともと、無謀な計画だったのかもしれない。鍵が開いていることに、一つも疑問を持たなかったのも悪かったんだ。


「ごめんな」


 俺が再度言うと、風の動く感じがした。見ると茅野が俺の手を握ってきた。どうしたんだろうと思っていると、その上に上杉と川田の手も乗せられた。


「楽しかったよ。ありがとう、成神くん」


 茅野が手をぎゅっと強く握ってくる。川田がニヤニヤしながら上から押しつぶしてきた。


「楽しかったし、きれいな景色見られたからいいじゃない」

「琴音の言う通り。それに、誰だか知らんけど、あのおっさんのおかげで助かったんだし」


 みんなの笑顔が見えて、自然と笑ってしまった。俺はなんだかほっとして「うん」とだけうなずいた。


「そういえば、あの人誰だったのかしら?」


 学年主任と親しげに話していた『塩原』という人物。村に、そんな苗字はいなかったような気がする。


 視線を向けられた俺は、なにも言わずに首を横に振った。


「あの人、昼に学年主任の先生と歩いていなかったっけ?」


 茅野に同意を求められて、俺は記憶をたどる。


「そういえば、校内を案内している風だったな」

「ってことは、来客ってことで間違いないわね」


 川田が腕組みを始めた。昼の時も先ほども『塩原さん』の顔をほとんど見ていないので、どういう人なのか見当もつかなかった。


「でもまあ、学年主任が案内するくらいだから……新しい先生とか?」

「これから赴任する学校で、立ち入り禁止場所で喫煙しねぇだろ」

「それもそうね。もしまた会えたらお礼を言ったほうがいいのかしら」


 川田のそれには全員押し黙った。

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