第22話
「ナルの家も見えるんじゃない?」
川田に言われて俺は自宅の方向に目を凝らす。でっかい池のある敷地が見えた。
「成神くんの家、どこ?」
茅野が身を乗り出すようにして訊いてくる。恥ずかしいのであんまり言いたくなかったが、上杉がちゃっかり教えてしまっていた。
「短冊山は?」
「それは、こっち」
俺は家からほど近い場所を指さす。そこにはこんもりとした森のようなものがあって、近くを川が流れていた。
「きれいだね」
茅野がしみじみと呟く。同意しようとして彼女のほうを見ると、心なしか悲しそうに見えた。
どうしたのか訊ねようとしたところで、茅野が素早く後ろを振り返った。
「誰か来る?」
「まさか、会議中だよ」
「でもさっき私、扉をガチャンってしちゃったし」
そうだとしても、まだ会議は終わらないはずと思っていたのだが、時計を見るととっくに十七時半をまわっている。
「もうこんな時間か」
長居をしてしまったことに驚いていると、誰かが屋上の扉を開ける音がした。
そして――。
「誰かいるのか?」
太い鋭い声が聞こえて、全員に緊張が走る。
俺は急いで茅野の手を取って、室外機の裏に引っ張り込んだ。上杉も同じように川田を引っ張って、別の室外機の後ろにすばやく逃げ込んでいた。
一瞬の沈黙のあと、足音が近づいてくる。
「出てこい、ここは立ち入り禁止だぞ」
この声はたしか、学年主任だ。
学年主任が屋上のエリアに降り立ち、歩き始める足音が聞こえてくる。
緊張しすぎて耳が痛い。自分の心臓がバクバクしているのがわかる。
もっと早く教室に戻っていたら、こんなことにはならなかったはずだ。後悔しても、もう遅い。
せっかく気持ちよく景色を眺めていたのに。反省文十枚とか言われるのだろうか。
そんなことを考えていたが、学年主任の足音がどんどん近づいてくる。ちょうどその時、川田の目の前に巨大な黒い虫が飛んできた。
「……っ!」
思わず叫びそうになった彼女の口を、上杉が後ろから抱きついて必死で押さえた。
「居るんだな。素直に出てきなさい」
背中を冷や汗が伝った。今にも学年主任の荒い息遣いが聞こえてきそうだ。
このままやり過ごせるだろうか?
おそらく無理だ。
それにやり過ごせたとしても、もし鍵を閉められてしまったら、この場に閉じ込められてしまうことになる。
川田は顔面蒼白になっていて、上杉は下唇を噛んでいた。
「俺が行くか……」
この場合、一番叱られなさそうなのは俺しかいない。
瞑想していましたとか適当に言っておけば、ちょっとは納得してくれるはずだ。
成神家を怒らせるようなことを、村人たちは積極的にしようとしない。ある意味特権階級なのだ。
自首しようとしたのを、茅野が俺のシャツの裾を引っ張って止めた。見下ろすと、必死で首を横に振っている。
「ダメだよ、行っちゃ!」
「でも」
室外機の横に、学年主任の影が少し見えたとき。
「あー……すいません、前田主任。僕です」
突然、聞いたことのない声が聞こえてきた。俺たちはいっせいに顔を見合わせる。
まさか、屋上に自分たち以外の人間がいたことに気が付いていなかったとは。
「塩原さんでしたか。てっきりお帰りになったものかと」
学年主任が、明らかにため息を吐きながら、俺たちがいる場所と反対側に向かって歩いていく。
「忘れ物を取りに戻ったら、迷子になってしまいましてね。うろうろしていたら屋上があったんで、一服してたら寝てしまって」
「ここは立ち入りを禁止しているんですよ。生徒たちが転落したら大変なので」
塩原という男は、学年主任に何度も謝っている。
「いくら塩原さんとはいえ、勝手に入られちゃ困りますよ。一言お声がけください」
「はい。次からはそうします。すみません」
「それから、校内は禁煙です」
「肝に銘じます」
塩原の声は、あまり肝に銘じていないような気の抜けた感じだ。
そのおかげか、棘のあった学年主任の声が若干やわらかくなる。
「……まあ、ここだけの話ですが、屋上で一服している先生が数人いるんですよ」
「へえ、そうなんですか。まあわかりますよ。こんなに景色がいいですからね」
「景色もいいですが、会議室から近いんですよ」
二人は話しながら去っていく。
バタン、と扉が閉められる。耳を澄ませていたが、鍵を閉めている様子はない。
上杉は緊張で固まってしまったのか、川田の口をふさいだまま硬直しているようだ。
一方、川田の顔は真っ赤だ。
それはもしかすると、夕焼けのせいだけじゃないだろう。そのうち川田が上杉の手を叩いて拘束から逃れた。
「苦しいってば!」
「あ、悪ぃ」
川田は不機嫌な顔をしながら呼吸を整えている。いろいろなことが重なり、動揺しているようだ。もっと優しくしろと文句を言っている。
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