第20話

 屋上のことが気がかりだったこともあり、五時間目、六時間目と、なにをやったのかよく覚えていない。


 とりあえず五時間目が数学で、関数かなにかの問題を解いた。


 六時間目は世界史で、これはすでに記憶から消えている。そもそも、世界史自体が好きじゃないし、俺は眠気に勝てなくて寝ていたから。


 終業のチャイムが鳴ると同時に、俺たちは互いに視線を投げかける。


 これから始まることが楽しみでしょうがない。この気持ちを言葉に表すのは難しい。


 屋上に行ったら、なにが見えるだろうか。

 たぶん、青く広がるたんぼの水が輝いて、夕焼けが山に吸い込まれていくのが見えるんだろう。


 鮮明に想像できるのに、俺たちは実物を見ないと満足できないようだ。


 とにかく見たいし、行きたいと思う。


 俺の場合は、自分が言い出しっぺなのと、茅野が望んだからかもしれない。


 もしかしたら、ものすごい景色が俺たちを迎えてくれるんじゃないだろうか。そんな期待がどんどん膨らんでいく。


 俺はなぜか、いつもはそこまでしない掃除まではりきってしまった。


 俺が絶妙に緊張しているのを見抜いた上杉が、教室のドアに寄りかかって冷やかし交じりの視線を送ってきていた。


 上杉が『うける』と口だけで言いながら、思いっきり笑っている。


 そんなに面白いかよ。俺はぶすっとしたのだが、その顔がおかしかったらしく、上杉は苦しそうな声を上げてしゃがみ込んで笑いだした。


 上杉め、あとでみてろよ。



 *



 四時過ぎ。

 職員たちはみんな、会議室へ収納された。


 生徒たちが入ってこられないよう、職員室には内側から鍵がかけられたようだ。周辺の教室には、人影もない。


 まさに絶好のチャンスだ。


 俺たちは職員室の様子をしっかりと確認してから、屋上へ続く階段の下にこそこそ集まった。


「じゃあ、行ってくるね」


 川田は立ち上がり手を振る。川田がのぼりきる気配を感じ取るまで、その場で立っていた。


 足音が消えて少し経ってから、かちゃかちゃと取っ手を回す音が聞こえてくる。がちゃん、とひときわ大きな音が聞こえて、俺たちは無言で顔を見合わせた。


 その場に留まっていようとしたのだが、校務員さんが歩いてくるのが見えたので、一番近い空き教室で待機することにした。


 川田は今頃、きれいな景色を見ているに違いない。どんな感じなんだろうと思っていると、上杉が「俺も、早くのぼりてぇ」と唸るような声を出した。


 彼は椅子に座ったままぐっと身体を伸ばし、椅子ごと後ろに倒れかかった。俺は必死で倒れる上杉を押さえた。


「あっぶなっ!」

「ばか! それやるとひっくり返るってわかってるだろ!」


 椅子の背もたれに体重をかけて大きく伸びをすると倒れてしまう。身長が大きい俺と上杉は、嫌というほどそれを経験している。


 しかも、上杉が座っているやつは異様に小さい。


「すまんすまん。つい、癖ってやつ」


 そんなやり取りをしている俺たちを、茅野が無表情でぼうっと見つめていた。


「茅野、どうしたの?」


 心配になって声をかけると、茅野は金縛りから解けたように身体を一瞬振るわせて、目を少し大きく開けた。


「楽しそうだなって」

「腐れ縁だよ」


 疎外感を抱いているのか、茅野がちょっと寂しそうに思えて俺は思わず苦笑いをした。


「お! 十分経った!」


 時計を確認した上杉が立ち上がり、入り口に大股で歩いていった。


「じゃあ、お先に!」


 俺たちのほうを振り返ると、小さく親指を立てた手を突き出してから出ていく。どうか上杉が先生に見つかりませんように。


 教室には俺と茅野の二人が残された。


 しばらく沈黙が続く。そもそも、俺と茅野は口数が少ないほうだ。茅野はずっと、上杉が出ていった扉をじっと見ている。


「茅野、緊張してる?」

「え、ううん。そんなことない」

「じゃあ、上杉が心配?」


 俺が訊ねると、想像していたのと違う答えが返ってきた。


「上杉くんっていい人だよね」

「まあ、そうだな」


 上杉はいいやつだ。ムードメーカーで、ちょっぴりおバカキャラで、明るくてあいつを嫌いな人間を見たことがない。


「……琴ちゃんが好きになるのもわかるかも……」

「――は? なに、どういうこと?」


 彼女が発した言葉にびっくりして、俺は空気の塊を飲み込んでしまった。


 茅野が目をまん丸に見開きながら、俺の顔をじっと見た。茅野自身が、自分でもなにを言ってしまったんだろうと目を白黒させている。

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