第14話

 宿題でもするかとカバンに手を伸ばしかけた時、大きな声で名前を呼ばれる。


「蒼環ー? 夕飯作るの手伝ってくれるー?」


 宿題を理由に断ろうかと思ったが、それでグチグチ言われるのも嫌なので大人しく従うことにした。


 手伝いと言ってもそれほど難しいことを要求されるわけではない。皿に盛ったご飯やみそ汁を机に運ぶくらいだ。


 夕食がちょうど出来上がったその時に、玄関の扉を開ける音がして妹のはるかが帰ってきた。


「ただいまー! お腹すいたー! 今日なに?」


 カバンは玄関に放り出してきたのだろう。俺はつまみ食いしようとする遙の襟首を摘んで阻止した。


「なにするの!」

「お前な、女子力って騒いでいるくらいなんだから、少しは磨けって」


 まだ幼さが残る瞳ににらまれたが、俺は知らんぷりをして妹の手をはたいた。遥との長年の攻防によって、俺の瞬発力は素晴らしい。


 俺がバスケ部なのは、身長だけでなくこの見事な瞬発力があるからだ。


「お母さん、お兄ちゃんが暴力してきた!」

「いいから手くらい洗ってこい」


 妹は俺にムスッとした視線を投げかけてから、渋々とダイニングを出て行った。


 妹がおてんばなのは昔からだ。本来ならおれの方がやんちゃに育ってもよかったはずなのに、小さい時からのお作法のせいで活動的ではなくなってしまった。


 代わりに、妹がばっちり活発に育っている。


 それに、後継ぎじゃない妹は自由が利くぶん、あまり怒られることがない。それは少々羨ましかった。


 第一子に生まれたものが跡継ぎになるという決まりのせいで、俺は男なのに成神の巫女の末裔になってしまっている。


 堅苦しさは、成長するにつれて増えている気がしていた。


 しばらくすると、洗面所からまだ乾ききっていない濡れた手を振り回しながら戻ってくる。


 俺がその水を拭かなきゃいけないんだぞ。そんなことはお構いなしに、遙は今度こそ、という顔をしている。


 俺は母の目を盗んで、から揚げを一つ彼女に渡した。こっそりしていたつもりだが、背中に目玉でもついているのか、母は気配を素早く察知した。


「あんたたちなにやってんのよ! 床が濡れてない? ちょっと蒼環、拭きなさい」


 ……やっぱり。


 俺は妹の手からこぼれた水を雑巾で拭く。遥はから揚げをほおばりながら、母の機嫌を損ねないようにお茶を淹れるのを手伝っている。


 こぼしそうだなと思っていると、案の定遥はあつあつのお茶をこぼしておまけに指先にかけてしまった。


 妹は基本的に不器用だ。たぶん人付き合いは上手いだろうけど。


「父さーん、ご飯!」


 遙が水で手を冷やしながら、シンクの前の窓を全開にして大声で親父を呼んだ。


 俺の隣の部屋が親父の書斎になっていて、父はそこでよく本に埋もれている。


 返事が聞こえ、ほどなくしてぼさぼさの髪の父が現われ、俺たちは食事の席に着いた。


「いただきます!」


 家族全員でこうして机に向かい合って夕食をとる。


 成神家では毎日このようなスタイルだ。誰かが遅くならない限り、できるだけ一緒に食べるようにしている。


 一族として結束感を持つという意味合いらしいのだが、作るのも片付けるのもいっぺんにできてエコだという説もあった。


 俺が食べようとしていたから揚げをことごとく遙が取りやがるので、俺は遙の取り皿にあったゆで卵を食べた。


「あ、お兄ちゃんのバカ!」

「遥が悪い」


 そんな恨めしそうな目で見たって無駄だ。俺のから揚げを取る遙が悪いんだ。


「肉ばっか食って、猛獣かお前は」

「育ち盛りなの」

「太るぞ?」


 遙が思い切り嫌な顔をした。ざまあミロと思っていたのだが、遥は意地になってから揚げをむしゃむしゃ頬張った。


「エネルギーは身長に使われるから、太らないし」

「遙、クラスで身長大きいほう?」


 から揚げを飲み込んだ遙は、当たり前でしょと言った。


「一六七もあるの私だけだって。バレーするにはいいんだけど」

「じゃあ一五〇って、やっぱり小さいのか……」


 独り言のつもりだったのに、声に出ていたらしい。母がくすくす笑いながら口を開いた。


「それはかわいらしいじゃないの」


 そうかな? と首をかしげつつ俺はから揚げをもぐもぐした。


「お兄ちゃんその子のこと見えてる? 私なんかでも見にくい身長だけど」

「けっこうぶつかるんだよな」


 茅野があまりにも近くにいると、時々見えていない時がある。それで衝突事故が多いのだ。


「……珍しいな、蒼環がクラスメイトの話するなんて」


 それまで黙っていた父が目を丸くした。


「今まで、ほとんど話したことがないんじゃないか?」


 みんな顔見知りの幼馴染に近いのだから、わざわざ話題にする話でもなかっただけだ。「そうだっけ」と適当にごまかし、俺は夕食を早めに切り上げた。

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