第3話

 想像以上に軽かったので、俺のほうがびっくりした。茅野はびっくりしたらしく、芽をまん丸にして下から覗き込んできた。


「わかった。ちゃんと計画たてよう」

「そうしてくれ」


 再度歩き始めたと思ったら、いつの間にか山とたんぼのわかれ道にたどり着いてしまっていた。


 茅野は分かれ道を自宅方向へ向かって数歩進んで歩いていく。


 一緒の時間が終わってしまうことに、ほんの少しだけ物足りなさを感じていた。

 すると、茅野がくるんと振り返って手を振り始める。


「またね、成神くん」

「また明日」


 俺たちの別れの挨拶は、いつもシンプルだ。


 話し込んだりせずに「さようなら」するだけだ。


 これは、俺と茅野の暗黙のルールのようなものだ。


 ちょっとおっとりした茅野と、ちょっとやる気の欠けている俺――。俺たちはお互いに、心地よい距離感を保っている。


 まだ明るい山の道を、茅野はとことこ登っていく。彼女の小さい背中を、俺はいつも小さくなるまで麓から見送るのだ。




 そこから十分くらい、俺は一人で田んぼ道を歩く。


 夏はゲコゲコ蛙がうるさい。冬は冬で遮るものがなにもないから、冷たい風を身体でみっちりと受け止めなくてはならない。


「俺、もしかして相当バカだったんじゃないかな……?」


 先ほど自分が放った『屋上に行こう』というセリフ。


 撤回できるならいまからでもしたい。現時点で、無謀すぎてため息しか出てこない。


「素直に屋上に入りたいって言って、入れてくれるわけないしな」


 ならば、ダメだと言ったばかりの『強行突破』が一番手っ取り早いだろう。


 だとしたら、どうやったら先生にばれないで上れるか。いや、そもそも鍵がかかっているはずだ。


 封鎖された階段はやけに足音が響くし、埃っぽくて良くない。休み時間に制覇するのは無理だから、放課後に攻略するしかないだろう。


「屋上が一番高い建物とか、笑えるくらいになんもない田舎なんだよな」


 隣の街まで出ないと、おしゃれな店も、コンビニも高い建物もない。


 そんなことを考えていると、退屈しかないこの風景がさらに退屈に見えてくる。


 静かな川なんか流れているし、春夏秋冬がはっきりわかる。セミの抜け殻だって大量収穫できるし、肝試しにはうってつけの恐ろしい雰囲気の墓もある。


 俺たちの住まいは、そういうところだ。


 ある意味、都会暮らしの人間からしたら憧れの田舎暮らしというやつだろう。当事者からすれば、なにもないとしか言いようがないのだが。


 小学生までは楽しくすごせたが、高校生にもなると楽しいとも思えなくなる。


 テレビや携帯電話の画面の向こうに広がる、にぎやかな都会にあこがれを持つのが普通だ。


 そんなことを考えているうちに、俺はピタッと立ち止まった。


「そういえば、どうして茅野は明日が雨だとわかったんだ?」


 先ほど茅野と一緒に見上げた雲を視線で追う。にじみが大きくなり、空の青に広がっていた。


 考えてみたがあまりよくわからなかったので、俺はひとまず家に向かって歩いた。

 西の空が光を増して赤くなっている。蜂蜜色の太陽が、最後の光を残しながら沈んでいこうとしている。


 明日、茅野に聞こう。


 茅野も、もしかしたらただ単に思いつきで「明日は雨」だと言ってみたのかもしれない。


 ――しかし。


 次の日は、茅野の言ったとおり雨だった。



 *



 翌日。


 雨が降る放課後の教室の中で、俺は茅野に向き合っていた。


「なんで天気がわかったんだ?」


 茅野は精一杯背伸びをして俺と視線を合わせようとした。


「ね。すごいでしょ?」

「あらかじめ、天気予報を見てたとか?」

「成神くん、ほんとに私のことすごいって思ってる?」


 素直にうなずくと、茅野は眉毛をちょっと上げた。


「もったいぶってないで、早く教えろって」


 得意げな笑顔になった茅野は「おしえなーい」と言いながら逃げようとする。すかさず彼女の肩を掴んで引き戻した。


「こら。逃げるな」

「わかったってば」


 今度は口をとがらせてから、茅野は観念したように俺を見上げてくる。


「飛行機雲が滲んでると、次の日は雨なんだって」

「へえ。そういうことか」

「なんか、空中の水分がどうたれこうたれでそうなるらしい」

「それじゃわかんないよ、肝心なとこが」


 俺はガックシと肩を落とした。


 気を取り直し、俺は茅野を覗き込む。眠たそうな目がほんのちょっと見開かれた。


「まあいいや。屋上の計画立てよう」


 俺は茅野の頭をぐしゃぐしゃにしてから、自分の席にどっかりと座り込んだ。


 ひとまず計画を書き留めようと、数学のノートを後ろから開いて机の上に広げる。やる気だけはあるのだが、結局いい案が浮かばず時間だけが過ぎていった。


「先生に言って入れてもらうのはまず無理。だから勝手に入ることにするけれど、まず、鍵はどうすればいいと思う?」

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