序②

 茅野はずっと俺を見上げて話している。きっと帰る頃には首が疲れて肩が凝ってしまうだろう。


 しばらく沈黙が続いていたが、茅野が口を開いた。


「成神くん、帰ろう。雪が強くなってきたよ」


 茅野は俺のセーターの裾を引っ張った。

 さっきまではらはらと降っていた雪は、いつの間にか驚異的なスピードで空から落ちてくる。校庭を見ると、すでにうっすらと地面が白い。


「そうだな、帰るか。起こしてくれてありがとう」


 茅野はにこりと笑った。俺は急いでブレザーを着て、緑色の少し長いマフラーをこれでもか、というくらいぐるぐると首に巻きつける。


 かばんを持って教室の入り口に行くと、茅野はすでにコートを着て赤いマフラーをしてちょこんと立っていた。


 電気を消して、ストーブがついていないことを確認してから、教室のドアを閉める。


 校内に人はまったく残っていない。


 二人分の足音がいろんなとこに反響して聞こえてくる。

 静かな廊下に、少しゆっくりな俺の足音と、歩幅が小さい茅野のチョコチョコとした足音が響く。


 無言で歩いていると、廊下の途中で教師とすれ違った。


「あれ、君たちまだ残っていたんだ?」


 若い女性の教師が驚いたような表情になる。


「成神くんが、私が来るまで教室でずっと寝てたから。掃除もしているのに全然起きなくて」


 俺はその教師のことを知らなかったが、茅野はどうやら親しいようだ。茅野は俺の裾をつんつん引っ張って、教師に楽しそうに話す。


 若い先生は渋い顔で笑いながら、「疲れてたのね」とフォローを入れてくれた。


「そうだ茅野ちゃん、今度部活の――」


 顧問だったのかとわかったが、俺は茅野が何部なのか知らないので、隣でぼうっとしながら二人が話し終わるのを待っていた。


 どうもあまり他人に興味を持たない俺は、そういうことを記憶にとどめておくのが苦手なようだ。


 もしかすると以前、茅野と部活の話をしたかもしれないが、内容までは覚えていなかった。


「……二人とも、べた雪だから転ばないように帰ってね」


 話し終えたようで、教師は俺たちににこやかに手を振って去っていく。


 階段を降りるとすぐに玄関だ。ドアの隙間から、寒気がぐいぐいと押し寄せてきている。今も冷えるが、外はもっと寒いだろう。


 ドアを開けると、吹きたまっていた風とともに、冷えた空気が一気に中に流れてくる。後ろでドアの閉まる音がして、俺と茅野は白い世界に放り出された。


 風はその一瞬だけで、目の前を雪がゆっくりと舞っている。


 しかし雪は教室にいたときよりもだいぶ太ってしまったようで、一粒一粒がとても大きい。ボタン雪と呼ばれるやつだ。


 息を吐くと、真っ白なもやが空気の中に散る。傘がないから、俺たちは亀のように首をマフラーの中に引っ込めて、少し背中を丸くして歩いた。


 歩く速さよりも雪の降るほうが速いから、すぐに頭の天辺が白くなる。


 俺は茅野の頭に積もった雪をまたはらってやった。真っ黒な髪の毛が、少しだけ濡れている。


「成神くん、ありがとう」


 茅野はしばらく俺のことを見上げてくる。あんまり長く見てるけど、首が痛くなるんじゃないかと心配になってくる。


 じーっと見つめてきたあと、茅野は手招きしてくる。


 行動の意味がわからなくて、彼女に近づこうとして前かがみになる。すると、茅野が俺の頭に積もった雪を、そっとはらってくれた。


「さんきゅー」


 茅野はにっこりと笑う。それから、特に話すことも見当たらないので沈黙が続いた。


 まわりは、一面の田んぼだ。


 農機具が置いてある茶色い小屋がいくつもあり、その軒先に干し柿が吊るしてあった。


 隣の家でも玉ねぎや大根が軒下に干してある。そういう絵に描いたような田舎が俺たちの住む場所だ。


 後ろを振り向くと、足跡がくっきりと地面に浮かび上がっている。それほどまでに雪が強くなってきていた。


 遠くに見える山と、隣を歩く茅野の息がとても白い。


「雪降るとやっぱり寒いよな」


 呟くと、茅野は眠たそうな目で遠くを見たままこくんとうなずいた。


「成神くんは、寒いの嫌い?」

「だって、寒いじゃん」

「雪が降ったら寒いのは当たり前だよ」


 降り始めは特に寒いんだ。それがオレはちょっとだけ苦手だ。


「寒いと背中が丸くなるし、変に汗かく。あと、猫が寄ってくるから嫌い」

「……猫?」

「野良猫。よくうちに来るんだよ。俺が猫アレルギーでくしゃみ出るのわかっるのか、俺にばっか近寄ってくるの」


 でかい図体をしているわりに、俺は色々とデリケートだ。花粉症だし、猫アレルギーでもある。


「埃アレルギーもあるから、夏もあんまし好きじゃない」


 クーラーが効いているのはいいけれど、埃でくしゃみが止まらなくなる。

 おまけに体中がだるくなる。


 元々やる気に欠けるから、クーラーごときになけなしのやる気をそぎ取られたくない。


「……なにそれ?」


 茅野は得体のしれない生き物を見るような目で俺を見た。


「ちょっと待てよ。埃アレルギーくらい知ってるだろ?」


 俺も、不思議なものを見るような気持ちで茅野を見下ろす。


「要するに埃がだめなんだって」

「それはわかってる。成神くんがそんな風には見えないから、ちょっと不思議に思ったの」

「俺は案外箱入りなんだよ」

「ふぅん」

「……絶対信じてないだろ?」

「疑いたくなっちゃう感じ」


 たしかに身体がでかいから、風邪をひきやすいようには見えないだろう。

 しかし、小学生の頃なんかは、細くてひょろ長くて薄っぺらかった。そのせいか、風邪菌と頻繁に友達になっていた。


 今もひょろくて長いが、嬉しいことに薄っぺらくはなくなっている。


 体力もかなりついた。体調不良はまったくといっていいほどない。でも、気力だけはどうしても少ないのは、これはもう性格だと思っている。


「俺、小学生の時けっこう学校休んでたけど」

「そうだったんだ」

「そういえば、茅野とは一緒のクラスになったことなかったな」


 この田舎の村にはたんぼと川と山しかない。

 通う小学校も中学校も高校もほとんど同じだ。

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