獣人好きの悪役令嬢、婚約破棄されるがどうやら嬉しくて仕方ないらしい

中華鍋

獣人好きの悪役令嬢、婚約破棄されるがどうやら嬉しくて仕方ないらしい

「アンジェリカ・ホワイトムーン! 貴様との婚約はこの場を持って破棄させてもらう」


 豪華絢爛を絵に描いたようなホールで、不躾ともいえる声が響いた。名前を呼ばれていなくとも、全員が一斉にそちらに向き、興味とさげすむような視線が矢に突き刺さる。


 誰も彼もがこう思っただろう。

 ウェストン子爵家の次男坊が、何かやらかした……と。


 対するアンジェリカは扇子で口元を隠し、呆れた目でウェストン家の次男坊……もといエルドレッドを見つめるばかり。彼の隣には随分と愛らしい女性がそばにいたのである。

 こういった場で声を荒げる事自体がマナー違反だ。アンジェリカ含む貴族はそれを理解しているからこそ、眉根を寄せているのである。


「理由をお伺いしてもよろしいかしら?」

 アンジェリカは決して有無を言わせないような威圧感をもって、エルドレッドに声をかけた。彼は途端に声を詰まらせるも、隣にしな垂れかかる少女に視線を合わせてから口を開く。

「彼女を……愛しのクラリッサを虐めたというではないか!

 大切なペットを汚し、貴族たちが集まる茶会では恥をかかせたと!

 貴様のような女を、悪役令嬢というのだろうな」


 そんな風に虐める人間だと思わなかった。

 だから婚約破棄だ。


 と言う彼に、アンジェリカの頭はくらくらとしてしまう。気絶してしまえばどんなに楽だったかと思うが、残念ながら彼女の精神は並大抵の人間よりもずっと頑丈なのである。

「その言葉を鵜呑みにするのはどうかと思いますが、物的証拠はございますの?」

「証拠だと……そ、それはクラリッサが泣いている事が理由だろう! ああ、可哀そうに……こんなにおびえて」

「エルドレッドさまぁー」

「感情論で語ったところでどうにもなりませんわ

 証拠をお出しなさい、証拠を」

 証拠、と言われてもクラリッサは曖昧な表情をするだけ。

 そんな彼女の様子を見て、アンジェリカは大きくため息を吐いてから、びしっと扇子をクラリッサに突きつける。

 途端にひいっと悲鳴が上がるが、アンジェリカはお構いなした。


「時に、クラリッサと言ったかしら?

 貴方と私(わたくし)は一切面識がないのだけれど」

 いつ、どこで出会ったのかしら? もう一度証拠を出してくださる?

 という言葉に今度こそクラリッサが言葉に詰まる。

 当たり前だ。アンジェリカは侯爵家の令嬢である。対するクラリッサは最近できたばかりの新興貴族であり階級は男爵だ。そうなれば知り合っている方がおかしな話である。


 その事に気づかないあたりがお粗末すぎるのだ。だからアンジェリカが無罪というのは、誰しもが思っていること。

「お粗末、本当にお粗末すぎますわ

 こんな子供もわかるような茶番に付き合う方が馬鹿馬鹿しい」

 これ以上踏み込むなら踏みつぶすぞ、という意味を込めていったのだが、エルドレッドには通用しなかったらしい。

「うわあああああっ!」

「エルドレッド様!?」

 本気で馬鹿にされたと思い、激高し、血走った目でアンジェリカに向かって剣を抜いたのだ。


 そう、抜いてしまった。

 階級もアンジェリカの方が上、それだというのに彼は腰についていた剣を抜いてしまったのだ。


「リュコス」

 だが、アンジェリカは慌てずに名を告げる。

「御意に」


 いつからいたのだろうか、低く響く声が聞こえ影が二人の間に割って入り、手刀で剣を叩き折った。

 金属が割れるような音が響いて、刀身の半分が地面に突き刺さる。悲鳴が聞こえたが、アンジェリカは気にせずに隣に控えた影――黒い狼の獣人に触れた。

「ご苦労様」

「お怪我は?」

「貴方のおかげで何も」

 その言葉にほっとしたのだろう。リュコスと呼ばれた狼の獣人は、怯えるエルドレッドを一瞥すると、アンジェリカを守るように後ろに控える。いつでも手は出せるのだが、あえてアンジェリカの意志を尊重しているのだろう。見た目こそ大柄な狼ではあるが、従者としての質は最上級のものらしい。



「あれが、ホワイトムーン家の懐刀か……」

 そう誰かが呟いた。



 さて、ここで説明をしよう。

 ホワイトムーン家は古い家系であり、領地は自然豊かな湖水地方である。肥沃な土地は食料が良く育ち、酪農も盛んである。また、北にそびえる霊峰には、岩塩も出土しているのだ。

 そんな場所だからこそ、そこを欲した者たちからの侵略も多く、守るために様々な技法を取り込んでいるのが特徴である。


 故に、家訓は『使えるものは子供でも老人でも使え』。


 歴代領主たちは、人と異なるという理由で迫害を受けているエルフ、ドワーフなどの亜人、狼などの動物的特徴を持っている獣人にも寛容であり、彼らの技術や身体能力を求めて雇用している節もある。

 つまるところ、ホワイトムーン家は今の王国よりも、ずっと国力があると呼ばれているのだ。


 そんな領土で生まれたアンジェリカは、人と異なる見た目をしていても違和感を感じる事などなく……むしろ獣人に惚れこんでしまったのだ。


 つまるところ、彼女は重度の獣人マニアなのである。


 騎士団の副団長の息子かつ、幼馴染のリュコスと共に過ごしていたせいなのか、元の素質なのかは定かではない。

 けれど、従者も、侍女も獣人で固めようとする彼女に、ホワイトムーン家の領主……彼女の父は多いに慌てた。

 国防も兼ねているため、この領土からは将来的に出なくなるかもしれないが、少女である今の時期は難しい。

 社交界で獣人が好きだと言えば、彼女に降りかかる災難など目に見えている。ホワイトムーン領から外に出れば、獣人や亜人は迫害の対象だ。だからこそ言い聞かせたのだが、当時僅か十歳だった彼女が放ったのは、とんでもない言葉だったのである。


「わかりましたわ、お父様

 それであれば、獣人たちが問題なく暮らせるような社会を作りますわ」


 そうだけど、そうではない。


 という言葉を思わず飲み込んだ。

 だが、言い出したら聞かないのは彼女の父親が重々承知していたのである。諦めたというのもあるが、娘がどこまでやれるか測ったつもりだったのでもあったのだ。


 しかして、リュコスたちを従えて、アンジェリカ・ホワイトムーンは、女傑へと変貌した。


 各領で迫害されている獣人や亜人を呼び寄せ、彼らの伝統工芸品を作ってもらい、販売を行う。物珍しいものが好きな貴族たちには多いに受けて、領土はさらに潤った。

 さらには、読み書きや簡単な計算を彼らに施していく。これで他の領から商人が来ても、騙される事は減るはずだ。


 だが、そうして強固になっていく領地を見て、国に反旗を翻すべく戦争をしかけるのでは? と思う貴族もいただろう。事実周辺の領主たちが発破をかけてきた事もあったが、すでに年上たちと舌戦を繰り広げてきたアンジェリカが「うるせえ、お前んとに送る食料止めるぞ(意訳)」で黙らせたのである。

 まあ、裏で父親や祖父が奔走しまくっていたのは言うまでもないが……。


 そんなこんなで、五年ほどの歳月を経て、ホワイトムーン領は、誰もが認める程の領地になったのだ。

 となれば、アンジェリカの婚約者に立候補する人間が多くあらわれた。

 彼女自身は嫌だと暴れたが、こればかりは防いでも防いでも止むことはない。波状攻撃のように釣書やら縁談が舞い込んだ。

 アンジェリカを女侯爵として彼女を立てる事はできても、後継ぎだなんだと周囲がうるさく騒ぎ立てるだろう。

 だからこそ、一応ホワイトムーン領周辺にあり、かつ大人しくしてくれるだろうという理由でウェストン家の次男に白羽の矢を立てたのだが……。


 まあ、結果は火を見るよりも明らかな、ただのぼんくら息子だったのだが。


 なにを勘違いしたのか、ホワイトムーン領は自分のものだと豪語し、さらには自分は侯爵だと言う始末。さらにはそれを笠に着て、浮気三昧ときた。


 立場わかってんのかお前は……という状態。


 こちらから婚約破棄を申し出たかったのだが、金庫番が見張っていたこともあり、罪に問える程のことをしていなかったのである。そうなれば違約金を払うのはこちらだ。婚約を結んだ時はまだ謙虚で、ここまで増長してはいなかったのだが、権力というものは時に人を変える効力があるらしい。


 それがここに来ての浮気ときたものだ。

 言ってしまえば、この婚約破棄の茶番こそ、ある意味でアンジェリカが待ち望んでいたこと。


「本当に、おバカとしか言いようがありませんわね」

 リュコスを後ろに従えて、アンジェリカは笑う。陶磁器でできたような肌に乗った笑顔は、まるで悪魔のようだが、先に仕掛けてきたのはそちらだ。アンジェリカが罪に問われる筋合いはない。

 だが、エルドレッドは剣を叩き折られたにも関わらず、血走った目でリュコスとアンジェリカを睨みつける。

「俺を! 俺を馬鹿にするな!

 だいたい、何故獣人がここにいる!」

 ああ、本当にアンジェリカの事などこれっぽっちも興味がなかったのだろう。最も、こちらも興味の欠片ほどもないのだけれど。そう考えると哀れではあるのだが、奢った時点で彼の敗北は明らかだ。

「あら、私の従僕よ。そして彼は子爵なの」

 あなたと同じね。と笑うと、エルドレッドは途端に絶望した色を見せる。恐らく、獣人だからと理解しなかったのだろう。

 無知は時に、罪ともなる。


 エルドレッドとクラリッサは、衛兵に捕縛されあっさりと連れていかれてしまった。これから洗いざらい吐く事になるだろうが、こんな場所でやらかしてしまったのだから覚悟はしておいてほしい。

「帰りましょう、リュコス」

「よろしいので?」

「勿論、貴方の表彰のために来たけれど、それも台無しだもの」

 自身の大切な獣人に声をかければ、彼は金色の瞳でアンジェリカを見る。月のようなそれにうっとりとしてしまうが、考えを切り替えて差し出される手を握る。するどい爪があるが、彼女を傷付けるものではない事を、アンジェリカはよく知っていた。

 人目など気にせずに、二人は扉の向こうへ消えていく。

「ウェストン家はこれから大変だな」

 なんて誰かの呟きが聞こえた気がした。


「ふふ、これでようやくホワイトムーン領は安泰ね」

 巨大な玄関まできたところで、アンジェリカが笑うものだから、リュコスは思わずため息を吐いた。

「ここまで大変でしたからね

 今日はいかがいたしますか?」

 幼馴染だからこその気安さを兼ねた物言いに、彼女は笑って口を開く。

「まずはウェストン家に連絡を入れて頂戴

 違約金はいらないから、東の森をよこすようにと

 あそこの長男は次男と違って優秀だから意図をすぐに組んでくれるわ」

「御意に」

「あと、今日は眠れるようにカモミールティーを頂戴」

「勿論でございます

 せっかくですから、寝る前は香油でも用意いたしましょう」

「まあ、素敵」

 完璧なエスコートで馬車に乗り、リュコスを見る。彼の表情はわかりにくいが、時々動く耳としっぽに機嫌がいい事が見て取れた。昔から訓練しているが、それだけは点でダメな彼に心がむずむずしてしまう。

「本当に、よく頑張りましたわ」

「アンジェリカ様の努力の賜物ですね」

「いいえ、貴方のことよリュコス

 お前は、私のために忙しいでしょうに武勲を上げ、領地問題を解決に導いてくれました」

 その言葉に、リュコスの尻尾がぶんぶんと揺れる。

 くすりと笑って頭でも撫でてあげようか? と手を伸ばせば、すっぽりと収まる黒い毛並み。

「これ以上ない幸せでございます」

「ふふ、そうね

 お前は私に惚れているものね」

「アンジェリカ様も人が悪い」

「そうよ、私は悪役令嬢だもの

 欲しいもののためならなんだってするわ」


 一番初めに惚れこんだ獣人は彼だったのだから。

 そのためだったら、アンジェリカはなんだってできたのだ。

「大好きよリュコス」

 心を悟られないように伝えれば、彼は笑って鼻先をアンジェリカの手の甲に押し付ける。


 まだ秘めるべき事柄だが、未来はきっと明るいのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

獣人好きの悪役令嬢、婚約破棄されるがどうやら嬉しくて仕方ないらしい 中華鍋 @chukanabe

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ