第8話:赤い鋏のパレード⑧



 かさこそ、かさこそ。闇の底から、微かな音が連なって響く。




 ポーペンティナが詰めている医務室は、広大な王城の一翼、東側の一階にある。ここは騎士団の隊舎に最も近く、任務から帰還してすぐに診察を受けられるためだ。もし面倒がって行かない者がいても、医官殿自ら押しかけ……もとい、往診に出向いていける距離なのも有り難い。

 そんなわけで部屋を飛び出し、隊舎のうまやにつないである愛馬を引き出すまで、さほど時間はかからなかったのだが。外は既にとっぷりと日が暮れた後で、家々の軒先にランプが灯されていた。石畳を敷き詰めた大通り沿いを、街灯に魔法の明かりを点けて回る魔導師たちの姿も見て取れる。

 (拙いな。ロイは殊更夜目が利くから、黄昏時でも移動に困らなかったろうが)

 だからこそ伝令を買って出ることが出来たのだが、他のものはそうではない。長引けばその分、人間側が不利になる。

 可能な限り人通りの少ない道を選んで駆け抜けること数分、王都の反対側にある西郊外にたどり着いた。蹄が当たるごとに硬い音を響かせた石畳が、むき出しの地面に代わる。この辺りまで来ると民家もまばらになり、明かりらしい明かりもほとんどない――

 いや、違う。火明りではないが、光るものがある。

 「――いった!! あっこら、そっち行くなっっ」

 「あ゛あああ、熱い熱い!! いま絶対焦げてる~~~~!!」

 「ザル部隊、戻りましたね!? もう一回並んで、次が来ますよ!!」

 「はいっ副隊長!!」

 ちょうど民家が途切れて、背後にそびえる山へと続く道につながる辺り。時々悲鳴と怒声を交えて言い合いながら、必死で作業に当たっている騎士たちの姿があった。総勢数十名、いずれも十代後半から二十代半ばの若手ばかりだ。騎士装束の左腕にある鷹の紋章は、近衛騎士団第二部隊に所属している証だ。

 声をかけるより先、ザルを片手に指揮を取っていた人物がこちらに気付いた。短く指示を飛ばしてから、馬を降りたノルベルトのところに駆け寄ってくる。

 「アベル、ご苦労だった。状況はどうなっている?」

 「いや全然。皆が急いで周知してくれたおかげで、住民の避難も終わってます。状況は……正直、あんまり良くはないですね。なんせ無限に湧いてくるんで」

 軽妙な口調で報告しつつ、頼れる黒髪の補佐の表情は苦かった。肩越しに指さした方を見やって、騒ぎの原因をようやく知ったノルベルトもまた、険しい表情になる。

 「燐火蟹ルビークラブか……!」

 背後にそびえる、比較的なだらかな山の稜線。日が落ちた今は黒々とした影になっているそこから、まるで湧水のように次々と現れる紅い光の群れがあった。手のひらに載るほどの、背中とはさみが美しい紅色をした小さなカニだ。

 見た目だけなら可愛らしいと言えなくもない。が、立ち塞がる騎士たちが掬おうと差し出すザル、あるいは腕や脚にしがみ付くと、そこから細い煙が上がり始める。あわてて払い落とした後は服が焦げたり、肌が腫れあがったりして痛々しい有り様だった。

 いつの頃からか、この大陸に現れた新種の魔法生物クリーチャーだ。初夏から夏の盛りに掛けて、ある日突然大量発生し、水場に向けて行進を始める。田畑も草木も人家も関係なく、行く手を遮るものは鋏が発する高熱で焼き切られてしまう。近づくこともままならないため、詳しい生態は未だもって不明という、謎の多い生き物でもあった。発生規模にもよるが、その行軍に行き当たった側からすると厄災でしかない。

 「とにかく手分けして、耐火処理したザルとかで掬っては川まで持ってってたんですが、終わりが全然見えなくて。ヘタに生物相に干渉しちまうと、今後どんな影響が出るか分かりませんし」

 「……。やむを得ん、ここまで耐えられたこと自体が奇跡だ。自分が引き受ける、皆を連れて下がってくれ」

 「すいません、お願いします。――皆、隊長が来てくれましたよ! 人家のそばまで撤退してください!!」

 敢えて景気のいい声を張り上げると、そこかしこからわあっと歓声が上がった。本人らとしては努力が報われた気分なのだろうな、と思いつつ、そちらに背を向けて長剣の鞘を払う。……本音を言えば、小さな命を奪うのは気が進まないが。

 (ここに、リサ殿がいなくて良かった。草木に親しむ心優しい方だ、きっと悲しまれるだろう)

 こんなことを考えていると知れたら、柄にもないと友人たちに笑われそうだ。とにかく足止めと、後続を食い止めるための堤防を兼ねて、得意とする氷雪の術を呼び出そうと集中して――

 「――わあ、ホントだ! なんかカニがいっぱいいる!!」

 場違いなほど朗らかな、そしているはずのない人の声が元気いっぱいに響いたのは、まさにその時だった。








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