第9話:赤い鋏のパレード⑨




 いつの間にかすっかり暗くなっていて、持ちだしてきたランプの明かりが目に痛いほどだった。そんな中、突然視界いっぱいに現れた小さな赤い光の群れ。事前にロイから正体を聞いていなければ、なかなか不気味だったかもしれない。

 「わあ、ホントだ! なんかカニがいっぱいいる!!」

 シルエットになった山裾から、土がむき出しの道の上を埋め尽くしているのは、手のひらサイズのカニたちだった。みっちり集まった状態で押し寄せてくるのを、見覚えのある制服姿の若者たちがザルで掬ったり、マントで包んで拾い上げたりして、街に入れないよう奮闘している。

 「……あのー、リサさんてめっちゃくちゃ肝座ってません? そこら辺のお嬢さんだったらぶっ倒れますよ、これ」

 「え、そう? うちってわりかし田舎だし、年中虫さんとお友達状態だったからかなぁ」

 「お、お友達っすか!?」

 「あはは、のどかで良いね~」

 「――リサ殿!! そこで何をしておられる!?」

 「あ、やべっ」

 三人乗りした馬の上でわいわいやっていたら、覚えのある声が飛んで来た。反射的に肩をすくめたロイの向こう側から、剣を片手にずんずん歩いてくるのは、もちろんさっき別れたばかりのノルベルトである。驚いたのと呆れたのと、あと怒っているのとが入り混じった、何とも複雑な表情をしていた。そんな状態でもカッコいいのには変わりないんだから、うらやましいばかりである。

 「ロイ、待機していろと言っただろう! 無理をして戻るだけならいざ知らず、戦う術のない者を連れてくるとは……!!」

 「ままま待って待って、ちゃんと理由があるんですって!! ケガは全快してますし、リサさんがカニのこと分かるかもしれないって言ってくれまして!!」

 「何!?」

 「うんうん、だから急いでこっち来たんだよ。念のためにボクも付いてきたし、ねっ」

 「そ、そうそう! えーっと、ルビークラブって言うんですっけ」

 危うく炸裂しかかった雷を回避して、馬から飛び降り……ようとしたのを、自発的に受け止めた隊長が丁寧に抱き下ろしてくれる。あわててお礼を言おうとしたのだが、その瞬間赤い光の動きがピタッ、と止まった。驚いて辺りを見渡した時、

 《――いいにおい》《においがするね》《うん、うみのしずくだね》

 ぱちぱちと、泡が弾けるような微かな声が足元から聞こえた。まず間違いなく、今しがた立ち止まったカニたちの方から。

 「「「しゃべったー!?!」」」

 「わ、わー、お話しできるんだ! さすが異世界、アカテガニもファンタジー仕様だな~」

 「リサ殿、アカテガニとは?」

 「はい、うちの地元にいるカニさんの一種です。その子達も毎年、今くらいの時季に大移動するんですけど」

 ちょっとごめんね、と声をかけて、足元にいた一匹をそっと持ち上げる。幸い火傷をすることもなく、大人しく理咲の手の中に納まってくれたカニのお腹には、何やら金色にキラキラと光るものが詰まっていた。うん、やっぱりそうか。

 「この金色のが、この子達のタマゴです。普段は食べ物がいっぱいある森とかに棲んでるんですけど、産卵の時だけは海に行くんですよ。でしょ?」

 《そう》《そうなの》《あかちゃんがね、うまれるから》《うみじゃないとかえれないから》《ねー》

 「ああ、それでいきなり大量発生したみたいに見えてたんですね。カニは岩のすき間とかに隠れ棲むもんですし」

 「そうだと思います。あと高熱を出すのは、主にタマゴを守るためなんじゃないかなーと。こっちは魔物とかもいるらしいし」

 「なるほど! 母は強しだねぇ、えらいえらい」

 《ふす~》

 感心したポーペンティナが指先で撫でてやると、誇らしげに胸を、いや腹を張る燐火蟹である。見守っていた騎士たちも、煤だらけの顔を見合わせてホッとした笑みを交わし合っている。……あれだけ殺気立っていた現場が、一気に毒気を抜かれてしまった。たったひとりが介入して、正しい知識をもたらしただけで。

 (やはり稀有なひとだ。聖女として選ばれずとも、人柄と資質には何の関係もない)

 しゃがんでカニたちと戯れている理咲の姿に、また胸が震えた気がした。不覚にも顔に出ていたようで、信じられないものを見たような目で凝視してくるロイと、何やら意味ありげに笑っているアベルをしっかり睨んでおく。あとで覚えていろ。

 「……ごほん。では、彼ら自身に危害を加えなければ問題ない、ということでよろしいだろうか? リサ殿」

 「みたいです。あ、川に持ってってくれたのはうれしかったって。水の中を歩いて移動するのがいちばん楽だから」

 「心得た。――近衛第二部隊の皆、聞こえただろうか! ここにいるのは魔物の群れではない、我が子を育むに良き地を目指す母御ははご方だ。グランフェルトに暮らす命ならば、彼らもまた我々の護るべきもの!

 ザルを持っているものは、出来る範囲で乗せてやってくれ。他のものははぐれたりしないよう、列を作って東の川まで誘導するように!!」

 「「「はい!! 隊長ッ!!!」」」

 ノルベルトの堂々たる指令に、騎士たちが一斉に応える。解決の糸口がはっきりと掴めたおかげで、疲れ切っていた彼らに活気が戻っている。この様子なら、騒ぎが治まるのにもそう時間はかからなさそうだ。何はともあれ善哉善哉。

 「よかったね。気を付けて行っといでー」

 《はあーい》

 そっと撫でてやった理咲に、手のひらのカニはご機嫌で泡を吹いてみせた。



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